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長い夜を歩くということ 99

 彼は今すぐにでも自分の心臓を貫きたかった。

どうにかして自分を殺してしまいたかった。

この体が一度死んでしまえば、私は今の私ではなく、ただの私になれて、彼女はまたあの笑顔で先ほどの言葉を撤回してくれる。

そう彼は必死に信じようとした。

彼が本気だと信じて、彼女を苦しめた偽物でさえ、本物に書き換えられて、これからの人生で埋めることができるとどうにか信じたかった。

「それにね」

彼女はまた楽しげに、そして、もうできもしないのに下手くそな笑顔を浮かべた。

「それにね…私はもう月に帰らなきゃいけないの」

彼女らしさを模した笑顔はどこか痛々しく彼の目には映った。

「杏奈。何を言っているんだ?」

「私の目が見えないのはね。地球のものを見てしまうと月に帰れなくなってしまうからなの。地球から見る月もちゃんと見てみたかったな…」

彼女はあの日のことを、さらに飛び越えた昔のことを、少しずつ瞼の裏に映し出すかのように顔を上げていた。

彼女は今歌っているのだと彼は思った。

上手くなってしまったことが今ではただ苦しく、同時に彼の胸は暖かく彼女の黄色で染まる。

「見たっていいじゃないか。そして、このまま地球に住み続けたって悪くはないだろう?」

彼はもう、何もかもにすがりたかった。理由なんてものはどうでもよかった。

どうにかして、目の前の彼女のことを説き伏せて丸め込めてしまいたかった。

今、自分が感じているものだけが自分だと彼は信じたかった。

「確かにね。優しい人ばかりだったし、お酒は美味しいし、音楽は本当に歌っいて気持ちよかった」

「それなら…」

彼が話そうとすると、彼女はすらすらと言葉を宙に流した。

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