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長い夜を歩くということ 118

 秋の初め、新しいドラマが始まりだす頃、テレビで「樺澤麗華」の名前を見ることはなくなった。

報道番組はまた別の話題を集めてきて、顔ぶれが変わらないコメンテーターが難しい顔をしながら重々しく言葉を選んでいた。

テレビを観れる機会も今まではなかったため、気にしたことさえなかったが、自分が少なからず関わっているものであると、やはり思うところはある。

病院にまで押し寄せ話題にし、引きづり出したにも関わらず、もう世間の興味が失せたと分かれば、空き缶のように蹴り飛ばして舞台袖に引っ込める。

そんなテレビの軽薄さが目に見えて、私の胸の奥でタバコを押し付けられたような痛みがあった気がした。

テレビの向こうにいる人たちが実在する人物なのかも疑い、画面に貼り付けただけの喋る人形ではないかとさえ思った。

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