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長い夜を歩くということ 119

 病室のドアを二度ノックすると、すぐに「どうぞ」という声が聞こえた。

私は静かにドアを開ける。彼女は私に顔を向けて微笑んだ。

「あら、先生。もうそんな時間なんですね」

私はベッドの横に椅子を置いて座った。乾いた冷たい風がレースのカーテンを膨らませて揺らしていた。

「はい。問診の時間です。最近寒くなってきましたから。ずっと窓を開けておくのは控えてくださいね」

私はそう言うとすぐに問診を始めた。内容は何も変わらない。そして、彼女の答えも変わらない。

「先生に心配してもらえるとは思いませんでした」

問診を終えた彼女は白い壁を見つめてそう言うと、私に顔を向ける。

「患者の心配をするのは医者として当然のことですよ」

「あらあら、そんなことを言う人には見えませんでしたので」

「それはひどい。こうしていつも時間通りにきっちり来る、こんなに誠実で仕事熱心な医者はいないですよ」

「そういうこと言っちゃうと全部嘘に聞こえますよ」

「それは嘘ですからね」

「どこからが嘘なんですか?」

「どこからでしょう?もしかしたら樺澤さんと初めて会った時からかもしれませんね」

「だとしたら先生は今まで私をずっと騙していたことになりますよ?」

「それはどうでしょう?どこからが本当で、どこからが嘘かなんて私自身分かりませんから」

「そんな人が医者をやってもいいんですか?」

「医者に必要なのは医師免許だけです」

「あらあら。それはまたひどい言い草」

「樺澤さんこそ、ずっと嘘を続けるお仕事をされているのではないですか?私よりもどこからが本当で嘘なのかわかりませんよ」

私たちの間には、もう遠慮などなく、会話は常に台本が用意されいてるかのように淀みがなかった。

きっと私たちの会話の中には、どんな人間も入れなかったし、入る気すらならないだろう。

私は彼女の顔を見た。彼女は口を手で隠して微笑んでいた。

どれほどの役を彼女は頭の中で思い描き、そして、この場で選ぼうとしているのだろう。

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