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長い夜を歩くということ 16

 彼は当時としては珍しく大学に通うことができた。幸いなことに両親は地元では有名な地主であり、次男であった彼は親の後を継ぐことはなくとも、「名家に恥じない人であれ」という教えがあったからだ。

彼の父は頑固で時に強引で融通の利かない人ではあったが、自分の身を一番に捧げて仕事をする姿を子供たちは見ており、彼も例に漏れず父を尊敬していた。

そんな父を支え、厳しくも強く育ててくれた母のことも同じように尊敬していた。

 彼の通う大学は東京にあった。そのため両親は「勉学に励むため」と仕送りを提案していた。

しかし、彼は「自分で生きる力を身につけたい」とそれを断った。結局のところ両親の説得により、学費のみという話で落ち着き「一体この頑固さは誰に似たんだか」と母は笑った。

 三月となり、進学のために東京駅に降り立った彼は驚愕した。

初めて触れる東京の街は図書館の本棚のように隙間なく建物が並び、人が縦横無尽に流れていた。

自然に囲まれた彼にはめまいがするほどだった。

これから四年間という時間が、地球の裏側に設置されたマラソンのゴールのように思えて、不安が彼の頭の上からすっぽりと覆った。

 しかし、人類という一つの種が、極寒の氷の上でも灼熱の砂漠の上でも生活ができるように、彼もまた東京という異世界に慣れていった。

時間は都合よく彼の体も心も記憶も書き換えて、大学生活を豊かなものにしていった。

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