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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #44

第四章 遭逢:5

惑星郵便制度が大崩壊以前の文明を復興しようと思い定め、かなりの予算を割いている。

そのことは、秘密でもなんでもなく大昔から有名な話だった。

様々な惑星郵便制度謹製の機械装置類は、ポストアカデミーに在任した時々の科学者や技術者が、設計し組み立てたものが原型になっている。

彼らは、地道な発掘作業とそこから発展した研究成果を頼りに、それこそ何世紀もかけて実用に足る形に科学技術を復活させてきたのだった。

それらは文字通り、歴代の科学者と技術者が世代をまたぎながら流してきた、血と汗と涙の結晶だったと仄聞する。


 「そりゃ、いくらわたしだって電気や電灯くらい知ってるよ」

「アリーは決定的に知識、いえ勉強不足。

この明るさこの設備。

プリンスエドワード島ではもうある程度の規模で発電が行われている。

途中の店の中が妙に明るかったのも多分電灯のせい」

「そうか。

出力の大きな発電機が可動していて、島中にかなり安定的に送電しているということ?」

「島中かどうかは分からない。

瓦版でそんな話を読んだこともない。

恐らくはまだ試験運用の段階。

交流なら電圧を上げることができれば広域送電ができる」

ディアナは唇を引き結ぶと険しい表情でシャンデリアを睨み付けた。

「すごいね、郵便局って。

もうこうなりゃ何でもアリだね。

どうしたの。

ディアナ、なんか顔が怖い」

「惑星郵便制度は発掘技術の詳細を非公開にしてきた。

けれども、進んだ技術が少しずつ世界に広まっているのは事実。

もしも元老院暫定統治機構が大きな電力を使えるようになったら・・・」

「戦争をする技術も進むということ?」

ディアナはふと表情を緩めると、お姉さんっぽい感じで『安心おし、アリー!』と笑った。

「そんなことが起きる日が来るとしてもだいぶ先の話。

理論は分かっても、技術は一朝一夕では確立しないし使いこなせもしない。

遠い未来の心配より早いとこ私書箱からブツを回収。

アリーがパットさんから聞いたカフェに行くことの方が今は重要」

「そうそう、グリーンゲイブルズよ。

乙女には戦より甘味よ!」

 その時のわたしたちは、何と言ってもまだまだ子供だった。

後から考えてみればディアナの分析力は大したものだった。

事の本質をかなり正確に言い当てていたことになる。

しかし、考えなしのアリーには世界の動静なんてまるで関心の外だった。

ディアナだってまかり間違ってもジャンヌ・ダルクもどきにメタモルする目なぞは、当時百万回サイコロをふったとて出ようはずもなかった。

 受付で案内を乞い私書箱のカウンターまで行くと、左手に義手を装着した男性が事務を執っていた。

わたし達の気配に気付くと彼は視線をこちらに向け、椅子から立ち上がった。

彼はわたしの顔をしばしみつめて、どこか憶えのある懐かし気な微笑みを浮かべた。

不思議な微笑みだった。

「いらっしゃいませ。

ようこそお越しくださいました」

丁寧な口調で挨拶するその男性は大柄で引き締まった体をしていたが、すでに中年というよりは初老と言ってもよい年齢のようだった。

郵便局の内勤職員は、任務中の事故やトラブルで身体に障碍を負ったポストマンも多い。

わたしはそのことを、局員の募集要項で読んだことがあった。

「こんにちは。

お預けしてあるものを、私書箱から受け出すために伺いました」

「かしこまりました。

それでは此方の用紙に合言葉と鍵の番号をご記入ください」

彼は落ち着いた深みのある声でわたしに話しかけると、一枚の紙を取り出してカウンターの一隅に設えられたブースを指し示した。

「合言葉と鍵の番号をご記入後、二つ折りにしてわたくしにお渡しください」

 わたしは年配の男性が見せる丁寧な物腰にかなり緊張してしまった。

推測が正しければ、彼は数々の任務をこなして障碍まで負った、歴戦の勇士と讃えても差し支えの無いポストマンのはずだった。

「はっ!」

わたしは最敬礼の後、まるで表彰状でも押し戴く調子で両手を差し出し用紙を手にした。

「アリー、なんか変」

背後でディアナがボソッと呟く声が聞こえた。

「御嬢さんどうなさいました。

お客様なのですから、そうかしこまらなくともよろしいのですよ」

憧れのポストマンがわたしを見て苦笑していた。

わたしは頭のてっぺんから足の先まで、全身隈なく瞬時に熱く赤変しただろう。

それと同時に、心臓が早鐘のように連打して悲鳴を上げるのを耳の奥で聞いた。

もちろん大量の汗が噴き出るのも感じたし、口の中に唾液がたまってお腹だって痛くなった。

脳髄がパニクッて自律神経が激しくシャウトしたのだ。


『交感神経も副交感神経もお祭り騒ぎになっちまったってこった』


 「あっ、あの、わ、わたし、いつかポストアカデミーをじゅ、受験しようと思っていて、それでポストマンはちっちゃいころからの憧れで、それで、それで・・・」

そのときポストマンの大きくて暖かい掌が、更に手足まで震え始めたわたしの頭の上に置かれた。

「落ち着いて下さい。

そうですか、それは楽しみですね」

頭の中で爆発的に膨らみつつあったパニックの塊だった。

それがポストマンの掌の温もりで、まるで蒸発するエーテルみたいにあっという間に消え去った。

同時に体の熱気も嘘のように引いていった。

 「すみません。

取り乱してしまって。

本物のポストマンとお話したのは初めてなんです。

すごく緊張してしまって。

舞い上がってしまって。

なんだか訳が分からなくなってしまいました。

あの、わたしの憧れは決して浮ついたものでは無く、本で読んだ歴代のポストマンへの尊敬と言うか何というか・・・」


『ああ、わたしのことを軽薄な追っかけ小娘だと思ってドン引きだろうな。

やらかしちゃったよ』


 空元気が自嘲を引き出し、当初の緊張は緩んだものの何だか大泣きしたいような気分が心に満ちた。

 「お嬢さんのお気持ちは、わたくしどもにとっては襟を正す程に光栄で誇らしいものです。

お若い方達に郵便局の仕事を認めて頂けるのは、公的栄誉よりも何よりも、わたくしどもにとっては嬉しくて胸熱くなることなのです。

久方ぶりに背筋が伸びる思いです。

お礼を申し上げますよ、御嬢さん。

さあ、用紙にご記入が済みましたら、あちらの扉の前でお待ちください」

ポストマンがわたしの頭の上から大きな手を退けた。

途端に自分がどこか知らない場所で一人ぼっちになってしまったかのような心細さを覚えた。寒々しくも悲しい喪失感が胸をよぎった。

もっとずっとそうしていて欲しい、切ないような苦しい気持ちだった。

 それは、わたしが父親という存在に縁が無かったことに、もしかすると関係していたかもしれない。

わたしは心の中で膨らむドーンと甘えてみたい。

そんな子犬か子猫のようなもふもふした欲望を良識の拳固で殴り倒し、ギコギコ歩いてブースに向かった。

 頭の中で古代の詩人チューヤの“汚れちまった悲しみに”を暗唱して平常心に再臨を促し、合言葉と鍵の番号を用紙に記入した。

リセットされた田舎娘Aたるわたしは、少しはにかみながら用紙をポストマンに預けた。

そうしてわたしはディアナと共に、天駆けるヘルメスの浮き彫り装飾が施された、それは大きくて立派な扉の前に立った。

 「おやじ好き?」

ディアナがボソッと口にした。

「なんですって!」

「だから、おやじ好き」

「あなた、言うにこと欠いてなんと失礼な。

あの方は、わたしたちには想像も及ばぬ数多の任務をこなし、大きな傷を負いながらも生還されたの。

そんな、いぶし銀のような高貴なオーラをまとったポストマンを、よりによっておやじ呼ばわりするとは。

常日頃のわたしへの無礼や暴言はともかく、神をも恐れぬ不埒な女とはダイ、あなたのことね。

ホントに失敬と言うか不躾な娘だこと。

せめて、おじさまとお呼び、おじさまと」

「じゃあ、おじさま好き!」

「ダイ、あなたわたしにケンカ売ってる?

その態度上等すぎ」

「さっきの、アリーの様子みんなに見せたかった。

よい土産話ができた」

ディアナはブンブンと頭を振った後、そう言うとクスクス笑った。

「ダイ!」

わたしが思わず声を荒げると今のわたし達のやり取りを聞いてか聞かずか、いささか苦笑気味のポストマンが傍らに現れ口を開いた。

「どうかなさいましたか、御嬢様方。

準備が整いましたので今からご案内いたします」

今度はわたしだけではなくディアナも顔を赤くして、ふたりとも無言でからくり人形のようにこくこくと頷いていた。

 ポストマンは左の義手に数本の大きな鍵が付いたキーホルダーを下げていて、私書箱室の扉の鍵穴にそれらを順に差し込み開錠していった。

やがて重々しく扉が開くとそこには、トンネルのように奥行きがあるけれどもそれほど横幅のない長大な部屋があった。

ディアナが天井の方を見ろと促した。

するとそこにも、眩しい光を放つ電灯が一列に並んでいた。

窓がなくても日光がたっぷりと差し込む部屋のように明るいのは、電灯の放つ強い光のせいだった。

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