ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #46
第四章 遭逢:7
その時いきなり王子様が現れた。
「あぶないですよー」
長身の男性が母子の背後から手をさし伸ばしてディアナの腕を掴み、歩道に引き戻した。
のんびりした口調とは裏腹に素早く力強い動きだった。
目にも止まらぬ早業だった。
泡を食ったようなホーンの嘶(いなな)きとブレーキの冷たい悲鳴が傍らを通り過ぎた。
まさに間一髪だった。
分解しつつあった意識が一瞬で統合され、わたしは固まったままの母子の横をすり抜けて、ディアナの元に飛びつくように駆け寄った。
「よっ!」
車にはねられる直前、ディアナは腕を掴まれて引き寄せられるままするりと男性にお姫様抱っこされた。
そうして計算された舞踏の一部を見ているかのような自然で優しい流れのまま、安全な歩道の上にそっと抱き下ろされたのだ。
歩道に立ったディアナは、身体を支えられたまま強張った笑顔で右手を挙げ『よっ!』と、わたしに言い放ったのだった。
「なにが、よっ、なの。
なにが・・・」
無事だったディアナのとぼけた振る舞いに胸がいっぱいになって、わたしはそれ以上何も言えなくなってしまった。
意外なことにわたしは泣き出していた。
「よしよし」
泣いているわたしの肩を抱き寄せディアナがあやすようにいった。
「なにが、なにが」
どうして泣くのをやめられないんだろう。
ディアナは無事だったというのに。
それに、どうしてこんなやつに慰められてるんだ。
こいつが心配かけるから。
こいつのせいなのに。
「大事に至らなくてよかったですね」
白い軍服を着た男性が糊のきいたハンカチをわたしに差し出して、優しそうな笑みを浮かべた。
「あ、ぁりがとう」
男性は、男性というよりは青年、いや、よくよく見れば、彼はわたしたちとあまり年端が違わぬ少年のように思えた。
けれども日に焼けて引き締まった顔は、彼を実際よりずっと大人びて見せていたようだ。
「ディアナが、わたしの友達が、危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございました。
それと、このハンカチも。
あの、洗ってお返ししますから」
わたしをよしよししながら、彼にありがとうの一言もないディアナの代わりに、少ししゃくり上げながらもわたしは口を開いた。
『表情を殺して照れてるんじゃねーぞ。
無礼者!』
そんな気持ちを込めて彼に見とがめれないよう、ディアナから離れる動作の流れで一発下腹に拳固を見舞った。
「いいえ、お気になさらずに、そのまま」
『ハンカチをそのまま返せということ?
そのまま持って帰って良いということ?』
優しく笑う少年にどぎまぎしてしまったわたしは何も考えずに思い付きを口にしていた。
「お兄様、軍人さんでいらっしゃいますか?」
横目で見ると息をつめお腹を押さえたディアナが、潤んだ目でこちらを睨んでいた。
「多分あなたのお兄様と言うほどの年ではないですが、軍人の卵ではあります。
士官候補生です。
今シャーロットタウンに入港しているインディアナポリス号で乗艦実習中です」
いきなりディアナの顔が強張った。
「あっ、そうですか。
ははは・・・」
わたしは涙声ながらも、頭の芯が急速に冷えていくのを感じていた。
『うわー、どうしよう』
幸いわたしたちは私服だ。
誰がどう言おうとも、見てくれと心意気だけは絶対に可愛くて可憐な美少女系のはずだしー。
このままやり過ごせば身の上がばれることはない。
よしんばばれたとしても元老院暫定統治機構と公式には何十年も停戦が続いている訳で。
別にわたしたちが都市連合の人間と知られても問題ないはず。
でも、そのとき、なんだか、彼にわたしたちの素性を知られたくないなと、強く思ったのだった。
「あなたは元老院暫定統治機構の士官候補生ということ?
あなたは・・・」
ディアナが振り返り、人形の様に真っ白で感情のない顔をしながら言った。
声は低くしゃがれていた。
「そこまで、ダイ。
この方はあなたの命の恩人なの。
わたしが泣いてしまって、ことが後先なってしまったわ。
ダイにも謝る。
ごめんなさい。
ダイは救っていただいた当事者なの。
だからちゃんとお礼を言わなければいけないわ」
わたしはこの場には相応しくない、恐らくは悪意がこもるであろう余計な一言も二言も言いつのりそうになったディアナの口を慌ててふさぎ、大きな声で会話を引き取った。
「・・・?」
少年は訝し気に首をかしげた。
その後、何がどうなったか自分自身でも良く分からないまま話をごまかしはぐらかした。
不満そうなディアナが口を開きそうになる度、じゃれあうふりを装って陰に陽にと小突きまわした。
そうこうしているうちにわたしたちは、グリーンゲイブルズの客となっていた。
彼と一緒に。