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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #29

第二章 航過:17

「艦底や下甲板に居たお姉様方は、みんな無事に逃げられたんですか」

リンさんの声が少し震えていた。

本当の戦争、実戦の話だ。

人を殺し、人が殺される話だ。

他のみんなの顔も心持ち青ざめていた。

けれどもクララさんは穏やかな様子で先を続けた。

「今思えば、一発目は明らかに『本気だぞ!』っていう警告だったわね。

おまけにインディアナポリス号からは三重伝達で十分後の砲撃予告まで送ってよこしたわ。

なめられたもんよね」

クララさんは格が違い過ぎたのよと、少し悔しそうな顔をしたがそこに怒りは無いようだった。

「うちの切れ者ブラウニングの判断も早かったからね。

あの人は変な所で変な意地を張るような士官じゃないので助かった。

結局のところ死者はおろかうちの乗員は誰一人としてかすり傷一つ負わなかったわ。

ブラックパール号でも、戦死者は居なかったはずよ。

生き死にという観点から見れば、インディアナポリス号はブラックパール号からまともに直撃弾を食らってるからね。

うちらの艦艇と似たような配置なら、確実に複数の戦死者が出る一撃だったわ」

 みんな黙り込んでしまった。

みずからは戦死者を出しながらも敵に対しては、敢えて死傷者がでそうな攻撃を控える。

後日海事法廷に提訴する際に、倫理的優位に立とうとしたのか。

はたまた敗戦側海軍としての政治的覚悟故だろうか。

いずれにせよぼんくらチェスターというふたつ名からくる、インディアナポリス号艦長のなんとも締りのないイメージとは裏腹な戦術的手腕と、攻勢防御とでもいえそうなその戦闘行動には尋常ならざるものがあった。

彼にはともすれば有能な軍人にありがちな単純明快を旨とする戦術思考とは相容れない、何かもっと別な次元の個人的な信念や思想が潜んでいるように思われた。

だからなのだろう。

わたしを含めた武装行儀見習いのみんなは、ぼんくらチェスターを憎き敵というくくりでは到底語りきれない相手であると直感したのだ。

悪口雑言をぶち込む隙を狙っていたアキコさんだって、頭の中身は人一倍聡明だからそこに異論はなかったろう。

“来た見た負けた”と語るクララさんの経験譚から、図らずもぼんくらチェスターは悪い奴じゃないと感じてしまったわたしたちは、ものを知らない小娘だったのだろうか?

 「ちょっとかっこいいかも」

パットさんがボソッとつぶやくと、白昼夢から目覚めたようにアキコさんが瞬きをして表情を引き締めた。

そしてなぜか、パットさんではなくわたしに二発も蹴りを入れてから吼えた。

「何をおっしゃるんすか。

ぼんくらチェスターなんていかにも足の臭そうなオヤジのやったことですぜ。

ぜってー、淫らで邪な姦計が裏に潜んでる、そうに違いないっす。

なんならあたしの○○掛けたっていいっす。

姉御連はどうか知りやせんが、純情小娘のあっしや恩知らずのあばずれアリーだってロ○コン中年オヤジの似非紳士面になんか、金輪際騙されたりしませんぜ」

アキコさんはそう吐き捨て、わたしに左腕で裸絞めを掛けると、右手でラスカットを振り上げながら手負いの虎のように辺りを睨み付けた。

わたしはアキコさんの妄想の中で、いつのまにやら“恩知らずなあばずれアリー”という、どこのどちらさんとも知れない、すれっからしの獏連女に成り下がっていた。


『アキコさん、わたしと共に過ごした素朴で幸福だったはずのあなたの過去に、もしや何か痛々しくも香ばしいトラウマでもあるんですか?

これじゃ、まんま凶悪犯と人質の美少女って構図ですよ?

うげっ、ブレイク。

ブレイク・・・』


「まあ、落ち着きなさい、アキ。

アリーが白目を剥いて気を失いかけてるわよ。

ぼんくらチェスターが本当は何を考えていたかなんて誰にも分からない。

けどね、ブラックパール号とピグレット号に限らず、ぼんくらチェスターが艦長になってからのインディアナポリス号は、ほぼほぼ不殺の記録を更新中。

こっちとの交戦の回数がそれまでより格段に増加したにも関わらず、彼我の戦死者を極少に止めているのは確かよ。

海軍情報部のお知らせ四季報を読めば分かるわ。

やつはこっちから先に撃たせた後で反撃に転じ、必ずその場での戦術的勝利を挙げ続けている。

公式には元老院暫定機構海軍との戦闘はないことになっているしね。

インディアナポリス号にはいつだって都市連合海軍の方から先に手を出して、惨敗している手前もあるの。

だからさ。

こっちの艦船の甚大な物理的経済的損失は、もっぱら事故や災害として計上されているわ。

誰も確認してはいないけど、今のところ人的被害はもっぱら向こうの受け持ちのはず。

実は時々連絡を取りあってる現役時代の友達にぼんくらチェスターのフリークが居るの。

たまに会ったりするとどこで調べてくるのか、頼みもしないのに彼の輝かしくもジェントルな戦果を詳しく話してくれるんだわ」

クララさんが少し遠い眼をして豊かな胸を抱くように腕を組んだ。

 アキコさんは裸絞めの腕を解いてわたしを突き飛ばすと、手すりから身を乗り出した。

そしてクワッと目を見開いて、遠ざかるインディアナポリス号に向かって澄んだソプラノを喉から振り絞った。

どうしたものかスキッパーもいっしょに、手すりの隙間から頭を出して吠えていた。

「おぼえてやがれ!

くそったれの変態禿げジジイー!

アッ!」

「わん、わん、わん、うふ?」

アキコさんはカッコよくラスカットを振り上げようとしただけなのだろう。

けれども間が悪い時は色々と思い通りにはいかないのが世の常人の常。

第七音羽丸がピグレット号だった時代から大事に手入れされてきた備品。

クレ海軍工廠謹製白兵戦用装備M2015-0027ラスカットは、アキコさんの右手からすっぽ抜け、まるで投擲された長刀のようなきらめきを残して船外へと落ちて行った。

みなが息を呑み、一拍おいてまるで鈴のように涼しげな楽音が鳴り響いた。   

ラスカットがフィールド面に落着した音だった。

スキッパーがアキコさんを見上げて『やらかしちまったねお嬢さん』って言うような生暖かい視線を送っていた。

 「さあー、みなさん持ち場にお戻りなさーい。

見世物は終わりですよー」

マリアさんの朗らかで優しげな声が辺りを揺るがし、心臓を鷲掴みにするような恐怖が上甲板を隅々まで染め上げた。

インディアナポリス号の優美な姿は第七音羽丸の後方へと徐々に去り、いつもの通り平らな海原と深い空だけが行く手に広がるだけとなった。

非番の右舷直第二班の面々は、班長以下目を泳がせながらそそくさと中甲板に退避することに決した。

「アキちゃーん。

わたくしラスカットがフィールド面に落ちた時に立てる音を、海軍に奉職以来はじめて耳にしましたわ。

すばらしくきれいな音色ね。

武具管理庫で大切に保管されているはずの白兵戦用装備がどうして今この時、美しい音色でわたくしを楽しませてくれたのかしら?

詳しい事情を聞かせてくださいな」

わたしもリンさんもパットさんもそしてクララさんとなぜかスキッパーまで、わき目も振らずダッシュでラッタルに向かった。

敵前逃亡と笑うなら笑え。

班長と三人プラス一匹の班員は、玉砕戦を避けるべく戦友を見捨てて戦略的転進を敢行したのだった。

 踵を返す時、今だ手すりにかじりついたままうっとり呆けているディアナに気付いたが、見て見ぬふりをした。

アキコさんのとばっちりを受けるのは必定と言う情勢下、敢えて時間稼ぎのおとりとして捨て置いたのだ。

親友を見捨てる、そんな自分がちょっぴり哀しかった。

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