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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #23

第二章 航過:11

「新学期初日にだよ、女子校のお教室でお姉言葉をまくし立てるハンサムガチムチな担任に出会ったと想像してごらん」

そう言えばクララさんはトランターの出で、海兵団に入る前の中等教育は女子校で受けたと聞いたことがある。

「海上勤務も二年目で昇進もしていたけど、少なくともあたしについて言えば、気分はほとんど白紙の新兵に逆戻り。

普通は乗組員の総入れ替えなんて有りえない人事だし、艦長以外のメンツが女子なんて話も聞いたことなかったしね」

第七音羽丸の乗員が女子限定なのは心配性な村長の差し金かと思っていた。

まさか軍艦だった頃からのこととは初耳だった。

「航空艦の操艦はみんなも承知の通り海上の船よりずっと難しいからね。

あの時は慣熟航空という事もあってね。

下を行く教導役のフリゲート艦を、とにかく視認できる範囲内に置いて、付かず離れず追随することが任務の第一だった。

ベテランの航空艦になるとペアの航海艦のほぼ直上で併進できる。

あたしが海兵団を出て最初に乗り込んだ艦もそうだった。

あのときのピグレット号は最初の任務にしてはよくやっていたと思うよ。

出港してしばらくは乗員の息がまったく合ってなかったけれど、掌帆長は当時からマリア様だからねー。

もう、掌帆長ったら初日からすこぶる上機嫌でさ。

日一日とそれこそ前日とは見違えるようにみんな仕上っていったよ」

 そうでしょうとも。

わたしはマリアさんともケイコばあちゃんを通して昔からの知り合いだけれど、陸に居た時は優しくて本当に親切なお姉さんだった。

だけど第七音羽丸に武装行儀見習いとして奉公に上がると、そこには『わたしの良く知るマリアさんと同一人物かい?』と疑う程に・・・。まるでいかがわしいどこぞの女王様みたいにサディスティックな掌帆長がいらっしゃった。

たまげたなんてものじゃなかったよ?

そんなんでも、ひしひしと迫る鬼気みたいな、マリアさんの愛情と気遣いはガッツリ感じられたからね。

物腰柔らかで丁寧な口調と対になったアンビバレンツな、それはそれは酷薄なお仕置きの恐怖もひとしおだった。

 船上では気を抜いたら命に関わるという事はわたしも理解している。

それは重々承知しているけれどもね。

マリアさんは船長と副長や事務長それから船匠を除けば、誰に対しても全く容赦がなさ過ぎるのだった。

 いったいいつ休んでいるのか不思議な位。

一日中艦内のいたる場所でそのお姿をお見掛けする。

娑婆じゃいいところのお嬢様らしいけれど、3K仕事に熱心すぎるマリアさんの職業倫理は何処からきているのだろう。

 「慣熟航空のため港を出てからと言うもの掌帆長、コロコロと楽し気な笑い声が絶えないの。

朝から晩まで艶っぽくてそれでいて愛らしい例の満面の笑みを浮かべていたわ。

マリア様のことを何も知らない人間なら、それこそ男でも女でも見つめられただけでぽーっと舞い上がってしまったことでしょうね」

 アキコさんとわたしの掛け合いがあって、クララさんも少し目つきが穏やかになりかけていたのだ。

そうしたクララさんの雰囲気にやや平常心を取り戻しかけていた右舷直第二班の面々だった。

けれども彼女の回想を耳にして一同揃って再び顔色を失うことになった。

口にしたクララさん本人すら青ざめてしまったのだから是非もない。

朝から晩まで掌帆長が満面の笑みを浮かべていたとは、なんて恐ろしいことだろう。

悪夢以外のなにものでもない。

「それはお姉様方も生きた心地がしない毎日だったに違いないわ。

アリーのヘマで掌帆長がニッコリするだけだって、肝が縮みあがるもの。      

なんだか吐きそう」

ぽっちゃり陽気顔のリンさんが影の入った表情でつぶやき両手を口に当てた。


『はあ、さよですか』


わたしだって好きでドジを踏んでいる訳じゃない。

『やらかした!』と思って顔を上げると、いつもそこには笑顔のマリアさんが立っていらっしゃる。

ただそれだけのことなのだ。

 「マァ、ちょっと見てみたいきゃも。

怖いもの見たしゃ?」

おっとり顔のパットさんがもらす何気ない一言は、いつでもみんなを和ませるフォースがあって右舷直第二班の回復呪文みたいなものだった。

けれども今回、パットさんは表情筋が引き攣ったムンク顔のまま言葉を発し、ついでにかんでしまうと言う二重の失態を重ねた。

みんなを気遣ったのに、みごとにこけてしまったパットさんの心情を思うと、痛ましくてわたしは愛想笑いすらできなかった。

 アキコさんがとびきり下品なフレーズをひねり出して、この場を救ってくれるのではと期待したんだよ。

ところが彼女はいざという時にちっとも役に立たないごろんぼだった。

ただアウアウと顎を震わせて、おびえきった子犬のように潤んだ目を見開いているだけだったのだ。

そんな姿が妙に可愛らしかったのも癪に障ったので『へっ、へっ、へっ、嬢ちゃん。もうどこにも逃げられやしないぜ観念しなーっ』と腹立ちまぎれにつぶやいてみた。

心の中でね。

 「あたしたちは一週間の訓練日程を、文字通り月月火水木金金でこなすばかりか、朗らか陽気なマリア様の警告的指導を、一日は二十四時間だっていうのに、体感的には三十時間以上浴び続けたものよ。

海上を並走する教導艦のフリゲート、ブラックパール号の艦尾デッキからは次々とお叱りの信号旗を揚げられるしね。

しまいにはあのふてぶてしいが服着て歩いてるような船長でさえ目に隈作ってたわ。

ピグレット号とその愉快な仲間たちは、そんな状況でヨタヨタ慣熟航空にいそしんでいたわけ」

 本当にご苦労なことだと思った。

わたしは兵学校に進んで海兵になりたいだなんて夢を語るディアナの正気を、改めて疑ってしまったものだった。

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