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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #47

第四章 遭逢:8

 「おまたせしました」
彼は化粧室から戻ると一礼して席に着いた。
「お船の軍人さんなのに、この町のことには随分とお詳しいのですね」
わたしはストローに指を添えたまま小首を傾げて見せた。
ディアナもさっきは顔を強張らせて、見敵必戦とばかりに戦闘モードを起動しかけていたくせに、どこでそんな芸を身に着けたのだろう。
まるで本物の御令嬢のように、それは品よくアイスクリームを口に運んでいた。
猫を被るとはこういうさま・・・。
あからさまを言うのだろう。
「ああ、自分はこの島の生まれです。
海軍の兵学校に入校するまでは、父の仕事の関係もありキャベンディッシュで育ちましたから。
ご覧のとおり元老院暫定統治機構が一応は本国?ということになりますが、故郷はプリンスエドワード島です。
実家は今でもキャベンディッシュにありますから、ちょっとした里帰り中です。    
御嬢さんたちはお見かけしたところ都市連合の方たちですよね。
島へは観光でいらっしゃったのですか」
「えっ、お分かりになりますか」
ディアナも今度は別の意味で固まった。
わたしたちに緊張が走ったことで、元老院暫定統治機構と都市連合の決して友好的とは言えない関係性に、突然思い至ったのだろう。
彼は今までとは打って変わった様子を見せ、しまったという感じであからさまに表情と口調を変えた。
「おっ、お二人の上品で優雅な装い。
島の娘たちはそうした、あっ、失礼、別に流行遅れとか。
あっ、そうじゃなくて、そうではなくて。
僕は、いや自分は、あなた方の感じがその、言葉使いも含めて、良いなと思って・・・。
ごめんなさい。
僕は島育ちのせいか歴史認識が甘くて、そのことでよく失敗をします。
分かっていたはずなのに無理矢理お誘いしてしまって。
ちょっとはしゃいでしまって、つい、お気持ちも考えず言わずもがなのことを口にしてしまいました」
彼は顔色を失って俯いてしまった。
今までの大人びた紳士然とした面構えが、少年の精一杯の気負いから演出されたものだったことが良く分かった。
青年士官の爽やかな笑顔の下にはその年成りの、異性に対するはにかみと怖れが潜んでいた。
そういうことだった。
 ジェントルな彼の立ち居振る舞いは、もちろんディアナが指摘したように、経済的に恵まれた生まれや育ちもあるだろう。
元老院暫定統治機構の人なのかもしれないが、故郷はプリンスエドワード島なのだ。
氏より育ち?
朱に交われば赤くなる?
どっちもいまいち的外れな気がするが何れにせよ、漏れ聞く暫定機構本拠地の状況からすれば、暮らし向きと教育には天と地の差があったはずだ。
加えて士官教育の過程でそれなりの社交術は身に着けていて、異性との交歓を無難に過ごす術もある程度は心得ていたのだろう。
ところがついうっかり、気付かない振りをすべき話題で地雷を踏んでしまったというところか。

『わたしたちの絶対可憐美少女振りに舞い上がったってこった。
余裕ぶっこいてたつもりが若輩者故、いささか脇が甘かったってか? 
うんにゃ、たんに坊やだったからかもね』

わたしの中の意地悪属性がそう分析した。
けれども浅慮やうかつさを割り引いたとしても、彼が正直で心根の優しい優良物件である可能性は極めて高かった。
意地悪な分析を善意で言い換えればだ。
少年はありったけの背伸びと言う形で、わたしたちに敬意と好意を表してくれていたと言うことだね。
会って間もないというのに、彼は誠実と書いたプレートを頚から下げてやりたくなるような、可愛いらしいポチだったってこった。

 「わたくしども、揃って来年ポストアカデミーを受験いたします。
それで下調べも兼ねて・・・」
ディアナが突然口を開きエレガントにほほ笑んだ。
同性だし。
幼馴染だし。
本性を知り尽くしているし。
だけれども、口惜しいかな。
その時のディアナは信じられないほどの気品にあふれ、清楚かつ可憐に見えた。
上品に振る舞ってはいても、無口なうえ無表情だったディアナが突然浮かべた清淑な微笑みと奥ゆかしい口調。
これには彼も驚いたようだった。
懐に入り込めば、将来、玉の輿を差し向けてくれそうなエリート士官候補生が、おそらくは先ほどとは違った意味で顔色を変えた。

・・・スッと、清らかな何かがディアナの後れ毛を揺らした。

『待て待て、今この瞬間、わたしは人が恋に落ちる瞬間に立ち会っちまったのか?
キューピットが射かける矢の風切り音が聞こえやせんかったか?
ちっ、この娘企みやがった。
乾坤一擲のチャンスを狙ってたんか。
ためにためて、ここ一番で大見得を切りやがった。
わたしを引き立て役の道化に仕立て上げようと仕組んだんか?
わたしに狂言回しの“侍女その一”役を振って、美味しいところだけ独り占めか?
どっちにしたって、とんでもねえ了見の小娘だ。
いや毒婦だぜ。
あんちゃん、騙されちゃいけませんや。
このアマ、とんだ食わせものですぜ』

日々の薫陶宜しく、わたしの内面はちょっとアキコさんに似て来たかも知れなかった。
「正直、元老院暫定統治機構の軍人さんとお聞きして、初めのうちはなにやら恐ろしくて。
・・・けれども・・・」
鈴を震わせるような甘い口調で始めて、終わりは消え入りそうな響きでデクレッシェンドをかけやがった。
真珠みたいな小さな歯が見え隠れする薔薇色の唇は、かぐわしい吐息を漏らすタイミングを意識してか、完全に閉じられることはなかった。
少年に与えた一連の演出効果を確かめたディアナは、頃合いを見計らって目を伏せた。
わたしはディアナを完全に見誤っていたことに愕然とした。
幼いころからいつも一緒だったと言うのに、こんなディアナを見る日がこようとは、驚きを通り越し呆れかえって言葉もなかった。
わたしの目の直径はいつもの倍になっていたに違いない。
「申し訳ありません」
少年はすまなそうに身をすくめた。
「そんな。
お止しくださいまし。
考えてみれば私どもの世代こそ、条約を超えた本当の意味での和平を築き、和平を未来永劫のものとする友愛の絆を結ばなければならないのですから」
ディアナは伏せた面を上げると、頬を染めながら星をちりばめた大きな瞳で少年を見つめた。

『どの口がそれをいう。
どの目がそれを肯定する。
そいつは敵かつブルジョアの豚じゃなかったのかい。
鼻持ちならないほど自己愛の強い金持ちの子弟ってさっき言ったばっかりじゃん!
権力と金の亡者に身を売ろうとしてるのは、誰あろうおめーじゃねーか!
この糞ビッチが~』

開いた口が塞がらないというのはこのことだった。
わたしの内面が今完全にアキコさん化した事を、わたしは強く自覚した。

ディアナは再び掟破りの微笑みを浮かべ、駄目押しとばかりに、そっと恥ずかしそうに目を伏せて更に赤く頬を染めてみせた。

『顔色まで自由自在かよ!』

反則技のコンボが炸裂し、悪辣な魔女いや淫魔に魔法を掛けられたかのように、少年はディアナの軍門に下った。

『掛かった!』

ディアナが胸中で、凱歌の雄叫びを上げる様がまざまざと見えた。
わたしはディアナが伏せた顔の端で微かに口角を上げ、ニヤリと笑うのすら見逃しはしなかった。
 その後二人のシンデレラリバティが尽きるまで、わたしはネイビーオタク同士のくだけた楽し気な会話から完全に置いてけ堀を食らわされた。
わたしは結局、ディアナに出し抜かれたショックから立ち直れず、ひとり孤独を噛みしめながら焼きもちで胸がいっぱいになりました、とさ。

  「ダイ、あなたがあれほど饒舌な娘だとは思わなかったわ。
なに?
いつもと全然違うじゃない。
あの態度といいあの口調といい、一体全体どうしちゃったわけ。
ああ、なんだかとってもムカつく。
イライラする」
わたしたちは、プリンスエドワード島出身のイケメンな優良物件と、楽しい?ひと時を過ごし船に帰ろうとしていた。
「ささやかな民間外交」
「敵かつブルジョアの豚と?」
「情報収集のため止むを得ず」
「甘やかされて鼻持ちならないほど自己愛が肥大した金持ちの小倅と?」
「そこまでは言ってない。
アリーはとっても意地悪」
ディアナはぷっと、頬を膨らませた。
ディアナはわたしには真似ができない、計算とは無縁の可愛さも実装している娘だった。

『わたくしだって彼と親しくお話ししたかったのに〜。
ディアナのあの異常な盛り上がりようときた日には、それはもう呆れかえりましたとも。
会話の内容も二人の趣味に思いっきり偏ったものだったし。
それこそわたくしは傍らで知ったかぶりの相槌を打つので精いっぱいだったのでございますわよ。
天測のコツや艦船の性能や構造なぞには。
ええ、わたくしまったく興味ございません』

しかし一体全体ディアナは、あの明るく機知に富んだ人格を、物静かで内向的なオタク気質のどこに隠し持っていたのだろう。
赤ん坊のころからの長い付き合いになるけれど、あんなディアナは今まで見たことも聞いたこともなかった。
優良物件を目の当たりにして、ディアナにはいきなり狐が憑いたのかもしれなかった。

「どうして?」
「どうしてだろう。
必死?」
「必死?」
「そう必死」
ディアナはそう一言つぶやくと硬く口を引き結んだ。
もうこの件はお終い、そう言わんばかりに。


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