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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #33

第三章 英雄:3

「補給のことでしたらプリンスエドワード島には少々コネがあります。

みんなには久々に美味しいものを食べさせてやることができるでしょう。

香辛料でのごまかしには、自分も少々うんざりしていましたから。

もちろんそれとは別に、傷みかけた肉の対策として、掌帆長には上等なスパイスの仕入れ先のメモを渡しておきました」

少し考える間を置いて、バイロン副長はチェスターの意識に広がったいじましい動揺の原因をあっさりすくい上げた。

そしていつものように安心安全なお値打ちものの答えを出して見せた。

彼の示した困惑から素早くその意をくみ取り、見事的確な解答を提示して見せたのだ。

耳をそばだてて二人のやり取りを聞いていた後部甲板のクルー全員が、『あんたはエスパーかっ!』と心の中で異口同音に突っ込みを入れたのはお約束である。


 見目麗しいその外見からはとても想像がつかなかったが、職責については自他ともに酷烈至極で、任務遂行に当たっては謹厳実直を絵に描いたようなレベッカ・シフ・バイロン海尉ではあった。

そうではあったけれども、レベッカはことチェスター相手だと、突っ込み所満載のツンデレ娘という見立てで間違いなかったろう。

配置に着いた時に見せるレベッカの軍人としてのありようは、能面を張り付けたような面構えと、腰に佩(は)いたひと振りの胴田貫を見るまでもなく、佇立しているだけで古の剣士そのものだった。

 孤高をかこつ厳めしいなりも、レベッカの愛嬌のうち。

クルーはみなそう考えていて、レベッカの武張った姿にも、彼ら彼女らのアイドルオタク的忠誠心は、萌えに萌えるのだった。

実は後部甲板のみならず、レベッカのチェスターに対する思いは艦内に広く知れわたっていた。一部のクルーの間では、彼女の恋愛成就が賭けの対象にすらなっていたのだから、そこは推して知るべしである。

 レベッカは何かとクルーを楽しませてくれる、アングラな人気者だったのである

だが、彼女に対して親し気に接しようと言う人間は、チェスターを除けばただの一人として存在しなかった。

退屈な航海の気晴らしに、有能な強面女性士官のツンデレぶりを楽しむためには、当人の自己イメージを壊してはならないのだった。

 チェスターを支える冷徹な副長はクルーに恐れ敬われている。

レベッカはそう自認しているのだ。

クルーがレベッカを恐れ敬っているのは事実ではある。

しかし、それ以上に慕われ面白がられていることを、当人には決して覚られてはならなかった。

これはチェスターを除く、全レベッカファンの共通認識だった。

知らぬはふたりばかりなりではあった。


 レベッカの報告は、パズルの最後の一片の様にチェスターの足らざる懸案の穴に、ぴたりと納まった。

チェスターの不安はたちまちの内に払拭され、ほとんど感嘆の思いで端正な美貌だが、時に氷の女王と揶揄される彼女の顔を見つめて顔をほころばせた。

「ベッキー、本当に君が居なかったら僕は一日、いや一時間だってまともにやっていけそうにないよ」

「何をおっしゃいます。

自分はヨーステン艦長の副長です。

副長は艦長の女房みたいなものです。

指揮以外の雑事は万事自分にお任せください」

ツンデレレベッカは抑揚のない声と無表情を張り付かせた顔の下で、今のチェスターの発言に実はだらしなくにやけきっていた。

おまけに頭の中では恋する少女が優雅に小躍りしていたのだった。

 レベッカはチェスターが副長としての自分を優秀であると考え、心底信頼してくれていることは十分承知していた。

だからこうして現実の誉め言葉としてそれを示されると嬉しさも格別だった。

チェスターは世辞など使う人間ではないし、女心の機微などはこれっぽっちも分かっておらず関心もない。

そのことを痛いほどに知っているだけに彼の賛辞は、レベッカにとって何にも増して貴重だった。

 チェスターの意をくむべく不断の努力を密かに重ねるレベッカである。

我ながら良く対応できていると思っていたが、それに馴れた彼が見せるそっけなさには、内心寂しさを感じていたところでもあった。

それゆえチェスターの優しい笑顔と褒め言葉は、レベッカに取り干天の慈雨のようにじんわりと心地よかったのだ。

 チェスターの自分に対する期待と高い評価は、職能上のことだけ。

今はそれで良い。

レベッカ・シフ・バイロン海尉は表情を完璧に消し、トップスルとコースの張り具合に目を遣った後、合切帳に再び目を落とした。

そうして仕事の段取りを考えながらも意識の片隅で、チェスター・アリガ・ヨーステン海佐の公私に渡る全てを手に入れるための遠大な計画に思いを馳せた。

 背後では後部甲板のクルーが『良いものを見た』とニコニコしていた。

だが、レベッカもチェスターもそれに気付くことはなかった。

 余談ながらレベッカは、図抜けた専門能力や沈着冷静な勤務実績を離れ、こと一人の小娘として見れば是非もない。

彼女の内面は妄想にまみれた少女の域を出ない迂闊さに満ち満ちていた。

彼女は自身の誠心誠意がチェスターをある意味、良い具合に追い詰めていることには、露ほどにも気付いていなかったのだ。

レベッカは長きに渡った対チェスター戦にちょっと間違った形で王手をかけつつあることを、想像すらしていなかった。

 もし後部甲板にアイドル萌えとは無縁なレベッカの友人が勤務していたならばどうだろう。

その友人は、彼女の計画が大詰めの段階を迎えていることに気付いたに違いない。

そうしてチェスターにとってのレベッカの存在意義を、母から女へと切り替えるタイミングが重要であることを忠告してくれたことだろう。

 こと男女の機微については相当にポンコツな二人だった。

それゆえ、ふたりを見物するインディアナポリス号のクルーは、当分の間退屈しないですみそうだった。


 チェスターは彼の考えを深く斟酌できるレベッカの能力にあらためて感嘆し、満腹の猫の様に満ち足りた気分で再び物思いにふけり始めた。

チェスターは自分が、子供の頃からいつもひもじい生活を強いられてきた事もあるせいか。

人間のやる気は、気配りの効いた美味しい食事で土台が支えられていると喝破していた。

メニューは豪華である必要はない。

例え貧しい食材であっても、作り手が美味しく食べてもらおうと真心を込めて工夫を施し調理したものであれば、腹と共に心も満たされるのだ。

チェスターは司厨長の料理の腕と心意気に絶大な信頼を寄せていた。

それ故に、あの内臓肉にはせめて上等な香辛料を添えなければ、彼女の日頃のご苦労に対して申し訳がたたないと考えていたのだった。

 幼少時に孤児院で理不尽な人間関係に揉まれ、澱の様な人間不信を心の底に沈殿させたチェスターだった。

親兄弟の愛情とは無縁に育った哀しい深層心理がそうさせるのか。

食事の差配に限らず総じて彼は部下の将兵を気遣い大切に扱った。

兵站関連の分野はもとより艦内の生活環境や上下の規律に至るまでそれと知られぬように細かく気を配っていたのだ。

 特に階級を嵩に着た個人的な憂さ晴らしや、懲罰に名を借りた虐めは経験上捨て置けなかった。

チェスターは、上の者が下の者に対して理不尽な振る舞いをすることが無いよう、ぼーっとした外貌の下から実に細かく注意の目を光らせていたのだった。

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