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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #42

第三章 遭逢:3

その日わたしとディアナは、午前八時始まりの午前直から八時間、第一折半直が始まるまで非番だった。

午前四時からの朝直を済ませた後で、少し眠かったけれど朝食を取ってすぐに上陸した。

こんなこともあろうかと家から持ってきた、とっておきの可愛い私服に着替えて二人で船を後にしたのだ。

 ケイコばあちゃんの手紙には胡散臭さ以外の何物も感じられず、できれば思いっきりぐずぐずしてうやむやにしてしまいたい気持ちもあった。

けれどもキャベンディッシュの街に出るというミーハー的期待感については、トキメキオトメゲージが振り切れていたことを正直に白状しよう。

そうして、命令とは言え先陣を切って上陸するわたしたちが、めかしこみかなり浮ついた気分で埠頭に降り立ったときのこと。

背中に突き刺ささるお姉さま方や同僚が射かけてくるやっかみの視線が、得も言われぬほどに心地良かったことも併せて告白しよう。


『アキコさんのそれに至っては、ええ、確かに極上の殺意を含んでましたとも!』


アキコさんのセリフじゃないけれど、“選ばれし者の恍惚と不安と二つ我にあり”とは、あのときのわたしたちの心情そのものを指していたのは明らかだったわね。


 キャベンディッシュは惑星郵便制度のお膝元らしく、清潔で変な臭いのしない街だった。

瀟洒(しょうしゃ)な街並みとそこを行きかう人々の調和が絵のように美しかった。

わたしはたまさか、神様の白日夢にさまよいこんだかのように感じ、しばし現実を忘れた。

 市街は中央郵便局の建造物群の周辺に整然と広がっていた。

高原地帯の奥深くにある山地から、何段もの滝を介して流れ下るティベレ川を境に、街は左岸と右岸に分かれていた。

 音羽村には舗装してある道など港の周辺にしかなかったけれど、キャベンディシュにはどこを探しても未舗装の道がなかった。

商業地区の広い道には、立派な歩道が付いていた。

街路の両側に建つ商店には、大きな透明な板ガラスを幾つもはめ込んだショーウインドウが、設えてあった。

途切れなく続くショーウィンドウの内には、一目見ただけで魂を持って行かれそうになるほど素敵なお洋服や、可愛らしい雑貨小物の類が品良く展示されていた。

 修学旅行で行ったことのある都市連合の首都トランターの街もそれなりに立派だったのは確か。

だけど街路の両側にオシャレな店舗が延々と続いている絶景は、キャベンディッシュに遠く及ばない。

驚いたことに一軒一軒の小売店が、アキコさんのご実家、音羽百貨店と比べても比較にならないほど大きくて立派だったのだ。

音羽百貨店はわたしたちの村や近隣の町で、一番品揃えが贅沢でおしゃれと評判だったにも関わらずだ。

ケイコばあちゃんの経営する手芸店むじな屋なんて、キャベンディッシュでは露天商レベルかしらね。

まぁ、それは言い過ぎとしても、道端に立つ小屋掛けの売店に毛が生えた程度の小商いだと実感して、さすがに溜息が出た。


 「トランターなんかよりぜんぜん豪華でおしゃれかも」

「ぜんぜんそう」

ディアナとわたしは緯度的には熱帯なのに、高原から吹き下る風がとっても涼やかな街路で棒立ちになった。

そして今更ながらに横目を使い、お互いの容姿と着装した目一杯のおしゃれ装甲の品定めをした。

船を出るときにはそれなりに可愛いトランターの御嬢さん風、などとちょっと自惚れていたのだ。

けれどもいざ一歩、埠頭から踏み出してみたところでふたり共々目を伏せ、哀愁のこもった吐息を洩らしたものだった。

 「わたしたちは、確かに野暮ったい山出しの小娘かもしれない。         

しかしである。

辺りを見回せ、行き交う女どもの細部に目を止め観察しろ。

わたしたちのファッションはプリンスエドワード島の流行水準から察すれば古臭くて些か陳腐かも知れない。

だが怯むな。

実はそこにこそ勝機がある。

この姿、“トランターの躾が厳しい寄宿女学校の学生風”と斜め上へ無理矢理開き直れば、いっそ育ちの良さをそこはかとなく醸し出すクラシカルで上品な佇まいともいえよう。

容姿顔立ちは絶対良し良しだぁ。

決してやつらにひけを取るとは思えん。

己を信じろ。

そして、いざ参らん」

わたしはこぶしを握りこみ、ディアナだけに聞こえるようごく小さな声でアジった。

「おーっ、合点だ」

ディアナはうつむいたまま、わたしより更に小さい蚊の鳴くような声で応じ、拳を上げるふりをした。

 年頃の乙女としては街に繰り出した最初の十分間は、小奇麗で華やかなアボンリーの少女達に対するどんよりとしたコンプレックスに身の縮む思いだった。

しかしご心配なかれ。

それはそれ。

わたしたち女が胸いっぱい吸引したいと常日頃切望している神経ガス。

豊潤で香(かぐわ)しい贅沢という名の神経ガスが、そこかしこに立ち込めるキャベンディッシュの街中だよ?

深呼吸をした後、物欲にのぼせた頭(かしら)を上げて勇躍歩き始めたならば、あら不思議。

たちまちのうちに純粋理性が痛烈な批判をしそうな妄想が、頭の中いっぱいに溢れかえったものさ。

そうして陰気な劣等感なぞお呼びでないとばかりに、あっと言う間に青空の彼方に吹き飛んで行っちゃったよ?

 「ポストアカデミーはキャベンディッシュとシャーロットタウンの丁度中間くらいの場所にあるのだよ。

わたしの進路選択は間違ってなかった。

わたしは一生懸命勉強して立派な郵便局員になるんだ。

この素敵な街で勉学と遊びを両立させてやるぞー」

ブティックのウインドウの中でマネキンがまとう、最新流行らしいアンサンブルに目を奪われながら、わたしは腹の底から力を込めてそう言い放った。

「郵便局にも航空航海部門がある。

ポストアカデミーに志望を変えても空と海に生きる志は同じ。

海軍兵学校ばかりが自分の進むべき未来じゃない気がしてきた。

すごくしてきた」

ディアナも血走った目でアンサンブルを睨み付け、歯を食いしばりながら力強く拳を握りこんだ。

「ヨッシャー。

二人で世のため人のため“くに”を捨て故郷を捨て、中立公正なポストマンをめざそう」

「うーっ・・・」

わたしはアンサンブルから視線を逸らさず握り拳を振り上げた。

 ディアナは心の中で吹き荒れる葛藤の嵐のせいだろう。

青ざめた面に油っぽいいやな感じの汗をかきながら唸り声を上げていた。

しかしわたしには分かっていた。

ディアナが子供のころから夢見ていた海軍兵学校への志ですら、金色に弾けるリアルな女の性(さが)の前では、鴻毛(こうもう)の軽さに等しいだろうことを。

「ねー、一緒にポストアカデミーに行こう。

絶対楽しいよ」

わたしは両手を広げ、眩しい輝きに満ちた街並みを後光に見立てて、こってりと無邪気にディアナに笑いかけた。

「うーっ・・・」

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