ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #52
第五章 秘密:5
「二人とも楽しそうね」
「わふ」
ミズ・ロッシュとスキッパーだった。
「わっ!
ミズ・ロッシュ。
お疲れ様です」
「・・・です」
わたしとディアナは慌てて起き直ると、急いで立ち上がった。
「そんなに慌てなくても良いことよ。
わたくしはあなた達の直接の上司ではありませんからね」
ミズ・ロッシュはいつ顔を合わせても、見た目について言えば年齢不詳の美女としか形容できない人物だった。
物心つく前からの知り合いなのは確かだが、記憶にある限り容色にまったく変化がない。
ミズ・ロッシュはちらりと辺りを見回して、近くに他の人がいないことを確かめた。
「アリアズナもディアナも、もっとくだけたいつもの村での感じで良いですよ。
今は人目もないし。
どうもあなた達がそうしてわたくしの前でかしこまっているのを見ると、居心地が悪いわ」
「ハナコおばちゃん、第七音羽丸じゃ村に居るときと全然様子が違うのだもの。
ブラウニング船長やモンゴメリー副長が、ハナコおばちゃんの前では行儀見習いみたいに緊張してるの見るとね。
とても軽口なんかたたけないよ」
「スペンサー掌帆長もハナコさんの前では絶対に笑わない。
まるで借りてきた子猫」
わたしとディアナももう一度辺りを素早くチェックして、お言葉に甘えた。
スキッパーもまさか密告はしないだろう。
あくびをして耳を掻いて居るし、船内カーストには全く興味が無い様だった。
「ああ、三人とも兵学校ではわたくしの学生でしたからね。
船舶工学を教えていたのだけれど、三人とも優秀な学生でした。
あの子たちも船にうるさい姑が居るようでやり難いでしょうね。
第七音羽丸も軍籍を離れて今は民間の船なのだから。
三人とももう少し肩の力を抜いて欲しいのだけれどね」
ミズ・ロッシュは軽くため息をついた。
船長があれで肩の力を抜いていないのなら、本当に力が抜けたらどれだけ?
思わず突っ込みを入れそうになってしまった。
「ハナコおばちゃん、軍と民間ってそんなに違うもの?
わたしは今でも毎日が相当つらいよ。
もしまかり間違って軍なんかに入っちゃったらどうなるんだろ。
とってもやっていけそうにないや」
「アリアズナはポストアカデミー志望でしょう。
ポストアカデミーだって日々の学習や訓練はそう甘くはないはずですよ。
“変わらぬ中立を保つために堅持する独立への強い意志”
生半可な覚悟では保てないでしょう。
けれどわたくしはアリアズナが海軍兵学校ではなくポストアカデミーを志望することには大賛成。
ディアナは兵学校を志望していたのだっけ?」
ミズ・ロッシュは予備役ながら軍人なのに、なぜか前々からポスアカ推しだった。
「それがねハナコおばちゃん、ダイったらキャベンディシュの瀟洒な市街をぶらついて、そのあとカフェで美味しいお菓子を食べたら、コロッと転向しちゃったの。
ポストアカデミーに志望変更ですって」
わたしは気持ちのぐらついているディアナの尻を叩くべく、少し話を盛ってみた。
「転向だなんて・・・。
私はただ船に乗りたいだけ。
アリーはとっても意地悪」
ディアナが顔を真っ赤にして口をとがらせた。
「まあ、それはよかった。
ディアナ!ぜひそうなさいな。
これはささやかなわたくしのエゴですけれどね。
実はね、あなた達には金輪際戦争の技術などは学んでほしくなかったのです。
軍はあくまで必要悪と思います。
わたくしもさんざん軍には世話になってきたけれど、実戦を潜り抜けてきた老兵として言わせてもらえれば」
ミズ・ロッシュの表情が老長けた年長者のそれになり、真剣な眼差しと口調でわたしたちに語り掛けた。
「どんな理由があるにせよ戦争は、死臭に満ちた醜悪な破壊活動に過ぎないのです。
戦闘は惨めな恐怖と苦痛の坩堝(るつぼ)以外の何物でもありません。
長い時間を見込んだ大局的見地に立てば、戦争という政治的事象は結局は誰のためにもならないことです。
侵略者からどうやったら郷土とそこに暮らす人々を守れるのか。
軍人として生きてきたわたくしにも、未だ正解はみつからないわ。
それでもこれだけは言えます。
戦争にもし大義や有用性があるように思えても、いつかは高い利息をつけて返済しなければならない惨めな負債に過ぎないのだわ。
人類は戦争の原因となる底意地の悪いエゴイズムを克服したからこそ、宇宙に出てここまで来ることができたはずなのにね。
わたくしたちは退化してしまったのかしら。
スキッパーにも意見を聞きたいところですね。
それにしても、ディアナの心変わりを聞いておばちゃんは心の底から嬉しいわ」
そのときミズ・ロッシュは少し涙ぐんでいたかもしれない。
ミズ・ロッシュの年齢を考えると、先の戦争に出るのには若すぎた。
戦後の私掠船との小競り合いやら東のスループ艦やブリッグ艦との不正規遭遇戦が、彼女の潜り抜けてきた実戦になるのだろう。
そういえばインディアナポリス号との遭遇戦では、船底にある工房兼アトリエは作品ごと跡形もなく吹き飛ばされたはずだ。
フリゲート艦や戦列艦の船匠を勤め、兵学校の教授にまで出世した海佐殿が、なんでまたちっぽけなスループ艦に船匠として舞い戻ったのか。
そのことは全くの謎だった。
時期を考えると、遭遇戦の時にはもうミズ・ロッシュはピグレット号に乗艦していたはずだ。
ミズ・ロッシュも噂のゲロゲロを体験したのだろうか。
それは聞きたくても聞けないけれど、まことに興味深い内輪話ではあった。
「わたくし、実はあなた方にお願いがあるの」
ミズ・ロッシュがハナコおばちゃんの顔に戻った。
「明日の晩、キャベンディシュにある惑星郵便制度のセントラルホールで開催される夜会の話は知っていますね。
うちの船にも招待状が来ていて、居残り志願の者以外は原則全員礼装で出席。
そういう船長命令がでていることも?」
知らいでか、であった。
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