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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #134

第十章 破船:2

 ブラウニング艦長は、メガホンを素早く取り上げた。

艦長は気持ちを落ち着けるように深く息を吸い込み、やがて力強く声を張り上げた。

「艦底に直撃を食らったわ。

ダメージコントロール班が先行してるけど、たった今ルーシーが損害評価に向かったの。

しばらくはあたしが直接指揮を執る。

水平帆はすっきりこっきり吹き飛んじゃったからもう頼れないわよっ。

手が空いたものは順次ジブブームとスパンカーブームに集まってちょうだい!

この先舵取りはジブとスパンカーが頼りよ。

いまいましいぼんくらチェスターとの交戦を思い出しなさい。

幸い今回は船体を回転させるモーメントは掛かってない。

戦訓を生かす時よ!

みんなならやれるわ!」

上甲板のそこかしこから鬨の声が上がった。

ピグレット号の士気は未だ健在だった。

「いずれ間もなく敵の航空艦との会敵が予想されるわ。

クララ聞こえる!

艦首砲にミズ・ロッシュが試作した例の爆裂弾と焼夷弾を準備してっ!

行けるはずでしょ!

砲術科はあんたの手下を二人ばかり残してあとはブレースへやってちょうだい。

どうせ撃てても二射がいいとこよ。

小娘ども!

耳の穴かっぽじって良くお聞き!

これから一番大事なこと言うわよ。

敵艦がお出ましに成ったら、うまいこと騙くらかして交戦をかわせるものならかわすつもり。

上手くスルーできたらそのままトンズラこくわ!

スルーし損なったら本当に面倒だけれども。

ペテンだろうがだまし討ちだろうが、兎に角敵さんに一杯食わせて油断を誘うつもりよ」

戦意に溢れた娘たちが、首をかしげ怪訝そうに顔を見合わせた。

ブラウニング艦長は訝しげな娘たちの様子を確かめると、人の悪そうな片笑みを浮かべた。

「ちょっと考えてることがあんのよ!

業界に広まればどいつもこいつもドン引き確実な、とびっきり卑怯で悪辣な手口を用意するわ。

後で指示するから楽しみにしてなさい。

首尾よく敵の奴らが気い抜いたら、チャンスを伺ってタコ殴りにしてとんずらよ。

交戦しようがしまいが、最終的にピグレット号はマンハッタン島の丘陵地帯を目指すわよ。

そしてどこでもいいわ。

斜面に乗り上げたら名残惜しいけど、艦はうっちゃって皆でとっとと上陸。

その足ですぐさまカモガワ市に向かうわよ。

カモガワ市到着後、提督から預かったブツを連絡官事務所に届けて判子をもらったらね」

ブラウニング艦長は満面の笑みをうかべた。

「大急ぎでブロードウエイに繰り出して、皆んなでどんちゃん騒ぎよ!」

戦いはまだ始まりさえしていないのに、一瞬にして勝ち鬨が上がる騒ぎとなった。

いや増す士気の高まりに、ブラウニング艦長は満足そうな笑顔で娘達に手を振った。

「なに?

プリシラ?

もちのろんで、食べ放題飲み放題よ。

つけはぜーんぶ、提督にまわすわ。

安心してちょうだい。

いいこと?

みんな!

何が何でも全員無傷でブロードウエイにたどり着くの。

イケメンはべらせてビールの大ジョッキで戦勝の祝杯を上げるわよ。

戦闘なんてチョチョイのチョイ!

最終目標は提督のおごりで飲めや歌えの大宴会よ!

分かった?」

余程の運に恵まれない限り、敵航空艦とは会敵必戦となるだろう。

ピグレット号はまともな操艦の術を失ったのだ。

艦長が言った

『トンズラこく』

は叶わないだろう。

ユリシーズ号の現状を知れば敵航空艦も方針変更で、ピグレット号に殲滅戦を仕掛けてくるかもしれない。

そのことはクルーにも良く分かっていた。

まともに当たればピグレット号には、ほとんど勝ち目のない戦と成りそうな情勢だった。

それでも、いやそれだからこそ、ブラウニング艦長一流の韜晦は健在だった。

艦長のとぼけたノンシャランぶりが、凄惨な血生臭さを予想させる景色を、妙に生緩くて楽観的な色調へと変化させた。

いつのまにか、勝利条件は敵の撃破ではなく歓楽街での宴会開催にすり替わったのだ。

ブラウニング艦長とゆかいな仲間たちに乗り越えられない試練は無いとばかりに、甲板各所から歓呼の声が上がった。

目を閉じて聴覚と皮膚感覚だけでこの場を感じたのであればどうだろう。

さながら人気バンドの登場に沸く野外フェスと寸分変わらぬ歓声と拍手だったに違いない。

 今現在艦に残っているクルーは、すでに実戦経験がある第七音羽丸以前からの乗艦組だけだった。

元々がこだわりのドレーク提督によって、全艦隊から選りに選って選抜された娘達でもある。

彼女たちは軍艦のエリートクルーだったが、感受性がしなやかで心根の優しい娘が揃っている。

第二射で鉄弾の直撃を食らった時から、艦底で作業に当たっていた三人と一匹のことが心配で堪らないのは皆同じだった。

だがそこに、あえて触れないブラウニング艦長の心情を想像すると、皆はいっそう胸蓋がれる思いで切なくなるのだった。

クルーは、自分たちの泣き出しそうな気持の動揺にそっと目を瞑り、艦長の大見得に空元気をもって答えた。

艦底の有様は酷いものらしかった。

けれども、皆の母親代わりである船匠と不出来な妹分や四足の古い同僚が、戦死したとは限らないのだ。

例え空元気であろうとこの局面では気合を入れて気分を盛り立てるしかない。

それが全艦一致した暗黙の了解事項だった。

ブラウニング艦長は握り込んだ左の拳を高く掲げると満面の笑みで娘達の歓声に答えた。

 「マリア。

フォアマストの帆は全部畳んで、メインマストもコース一枚だけにするわ。

速度はがた落ちでも、人はいないし舵も取りやすいでしょう。

シュラーブレンドルフ海佐・・・脳筋ユリウスには一泡吹かせてやったけど敵もさるものひっかくものね。

心底むかつく奴だけど操艦と砲術だけは超一流だったわ。

上から厳命を受けていたんでしょうけど、あの射撃精度だもの。

成型岩石弾と鉄弾の混成砲撃だったら今頃みんなで雁首揃えて冥土へ団体旅行だったわ

・・・ここちょっと頼むわね。

花摘みに行ってくる。

しっかし、今度と言う今度はホントに参ったわね」

ブラウニング艦長は右手に持っていたメガホンをスペンサー掌帆長に渡すと、スッと肩を落として艦長室に向かった。

クルーの目が無い、つかの間のおトイレタイムだった。

艦長室の扉を後ろ手に閉めると、一瞬で老け込んだかの様に表情筋がたるみ、顔は土気色となった。

誰も目にすることはなかったが、耽美的風雲児たるルートビッヒ・マオ・ブラウニングの面影が消えた刹那だった。

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