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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #21

第二章 航過:9

「うわ。

旗で挨拶を交わしてエールを送るなんて、まるでわたしたちの第七音羽丸ってば、軍艦みたいですよね。

船体なんて目をむくようなドピンクで、網引っ張ってスイープのどさまわり中だっていうのに」

わたしは思わず感じたままを口にしてしまっていた。

「いくら船体の塗装を派手にメイクアップして、空引き網をズルズル引きずってたって、こっちが予備役の軍艦だってことはむこうも先刻ご承知よ。

現役時代の艦名や今の船名も、それから多分幹部スタッフのあれこれやその他諸々うんぬんかんぬんもね」

クララさんの声にまるで抑揚がなくなった。

話しながらも目前に迫ったインディアナポリス号を茫然とみつめたままだった。

少し潮焼けした顔がいきなり脱色して、目の色も薄くなった感じがした。


 空引き網とは、大きな隕石の塊を回収するときは別として、船がフィールド上を航走中、細かい隕石の破片を集めて回るのに使う“引網”のことを言う。

漁船の底引き網と原理は同じね。

船尾から弧長二百メートルくらいの扇形に広げた網を引き回していると、終いには魚の代わりに結構な量の隕鉄を回収できる。

表面の摩擦抵抗ほとんどゼロというフィールドの特性ならではの技だ。

鉱石スイーパーの名は、フィールド上に散らばる小さな隕鉄を、引き網で言わば掃除して周るところから来ている。

 第七音羽丸は、優雅に波を切り真っ白な帆いっぱいに風を受けたインディアナポリス号を、追い抜いていく。

後部甲板に立つ船長以下のコアスタッフは皆一様に不機嫌で、掌帆長のマリアさんの満面の笑みが発する憤怒の波動は、メデュウサの魔力に負けず劣らずと言う所だ。

うっかり近くでそれを直視してしまった年期の浅い下っ端は・・・あれは武装行儀見習い二年目のチェーミンさん。

石にこそならなかったものの、恐怖のあまり凍り付いてしまったのか、体色と言い造形と言いまるでリアルな氷像という風情で固まっていた。

で、あるならば現在のマリア様は、メデューサと言うよりは、雪女もしくは雪の女王かしら。

そうしていつしか、わたし達の周囲だけではなく第七音羽丸の舳(へさき)から艫(とも)まで、まるでみんなの心がばらばらになってしまったかのような寒々とした静寂に包まれた。

耳朶を打つのは索具や帆を振動させる風の音だけだった。

ここは本当に巡航中の船の甲板なのか。

先輩諸姉の醸し出す異様な雰囲気に呑まれたわたしには、聞くともなく聞こえる心ふたぐ風の奏でる音だけが、皆の正気を保つために共有されている微かな頼りのように感じられた。

 「あたしたち、海軍時代からの予備役編入組はあいつを、ぼんくらチェスターを身に染みるくらい良く知っているわ。

そもそも第七音羽丸が退役する羽目になった事案と言うのは、彼の指揮するインディアナポリス号との交戦だったの」

クララさんの暗くかすれた声が、沈黙の支配する場にいきなり波紋を広げた。

クララさんの声のトーンは、彼女がいつもは屈託のないおねー様キャラなだけに訳もなく恐ろしげだった。

それでもわたしには、呻くようなクララさんの声が、止まった時を無理矢理動かす切っ掛けとなる合図とも思えたのだった。

「成程、クララさんがやけに事情通なのはそんな訳だったんですね!」

わたしは間髪入れず明るく振る舞い、ポンと膝を叩いてみせた。

しらじらとした振る舞いが、自分でもすごく気持ち悪かったんだけどね。 

ようやく長話の到達点に来たんだろうと言う期待感もあったと思う。

サービス、サービス!

過去の因縁絡みと言うのなら、クララさんのちょっと逝っちゃってる感ありのインディアナポリス号にまつわるディープな長講説にも、合点がいった。

 「薄汚ねー中年親父の加齢臭が、鼻先まで臭ってきそうな話じゃねーですか。

お頭。

そのぼんくらチェスターとか言うハゲのタマ、あっしが取ってきやしょうか?」

びっくり箱のピエロのようにいきなりアキコさんが湧いて出た。

わたしの無理矢理なリアクションに、アキコさんも我に返ったのだろう。

実はオヤジ萌えかと思ったのは真夏の昼の夢だったらしい。

さっきの唐突なアキちゃん的正気は、脳みそに掛かった変なバイアスによる、ちょっとしたアキコさん的狂気の脱臼だったにちがいない。

外れた狂気の関節が整復されて、めでたく正気から狂気を取り戻したのだろう。

ご存知凶悪アキコさんとしては、抜身のラスカットを構えてまで、期待される人物像を演じようと勇躍お出ましになったわけだ。

「選ばれてあることの恍惚と不安の二つ我に在り!」

アキコさんはラスカットを上段にかまえ、わたしにはまったく理解不能な大見得を切った。

切ったのだけれど、彼女はすぐにクララさんとわたしの間に、身体をぐいぐいねじ込んできた。

セリフは勇ましいのに声も身体も震えていた。

恍惚よりも圧倒的に不安が勝っているのは確かだった。


『アキコさん刀があぶない。顔が近い。唇に色が無い』


パットさんやリンさんもすぐ側にぴたっと寄ってきていてクララさんに縋り付くような視線を向けていた。

みんなまるで巣の中で身を寄せ合う十姉妹みたいだった。

赤道が近いと言うのに、船上の凍えそうな程の緊張感で、アキコさんですら人肌が恋しいことを隠せなかったのだ。

もはや右舷直第二班は全員で押しくらまんじゅう状態だった。

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