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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #51

第五章 秘密:4

 「アリーは何気に大胆失礼」

作業を進めながら、ディアナがぼそっと言い放った。

「なによー、大胆失礼って。

本当に驚いたんだから。

船長の男性としての造形的長所は隠しようがないわ。

ちょっと苦み走って、すっごくカッコよく見えたの。

船長室ってめっぽう薄暗いからそのせいもあるかもね。

そんなことより、なんでわたしなのよー。

ケイコばあちゃんって何者?

お使いに出されたのは良かったけれど、あの手紙はなに? 

読ませてもらえなかったけど、一通はわたし宛てだよ。

こうなると、ケイコばあちゃんにうまいこと言いくるめられてこの船に乗せられたってのはさ。

なんだか壮大な陰謀双六の振り出しに置かれたわ・た・し。

みたいな感じがしてたまんない。

あげくの果て船長室では下手打って、毎度おなじみマリア様のご不興を買うし。

うわーっ、マリア様・・・マリア・ロマノフ・スペンサー掌帆長って何者?

わたしのことを絶対目の敵にしてる」

「マリア・ロマノフ・スペンサー。

トランターに本拠を置くスペンサー商会を経営する一族のご令嬢。

母親は現在の社長。

アナポリスの海軍兵学校ではブラウニング艦長やモンゴメリー副長の一期下だった。

陰謀というのは考えすぎ。

アリーごとき小娘に、例え脇役であっても板の上で勤まるような陰謀劇なぞありえない。

ふっ。

笑止」

ディアナが冷たく笑う。

「何よ!

その、人を小ばかにしたような薄笑い。

何気にあなたには随分と失礼な人物評価されている気がする。

けど、スペンサー商会ってあの武器商人の?

兵学校?

なんで兵学校出の、しかも良いところの御嬢様がスイーパーの掌帆長なんてやってるの?」

「海軍兵学校は中退、掌帆長であることは謎。

けれども、マリアさんの前で、ブラウニング船長やモンゴメリー副長についてあれやこれや言うのは、自殺行為。

そんなことは、業界の誰もが知ってる暗黙の了解事項。

基本の基。

それにアリーは別にマリアさんに目の敵にされている訳ではない。

アリーがしょっちゅう食らっている罰直の内容を見れば分かる。

兵学校志望の私に渡されている自主訓練のメニューとほとんど一緒だもの。

上の人たちはアリーにその気が無くても、立派な船乗り。

いいえ、海兵に仕立て上げるため、一から鍛えあげるつもり。

間違いない」

「えーっ、どーしてー。

わたし、兵学校なんか絶対行かないよ。

ポストアカデミーに行くって決めてるもん。

ダイだって、キャベンディッシュの街を見て気持ちがぐらついてるのでしょ?

アナポリスなんて田舎町にある海軍兵学校より絶対に楽しそうだよー」

「大丈夫。

私はポストアカデミーに志望変更するとしても、航空航海コースに進むつもり。

今やってる訓練や水兵仕事は入学後役に立つし多分入試にも有利」

「へいへい、左様でございますか。

どーも納得いかないけど、ここでこうしていることがポストアカデミー入試の無駄にならないなら。

まあ、いいか。

それにしても、あの手紙には何が書いてあったのだと思う?」

 わたしとディアナは、古くなったロープをほぐして、まいはだを作っていた。

まいはだは、ほぐしたロープにタールを染み込ませたもので、おもに甲板や船体などの亀裂や隙間に詰め込む充填物として使われていた。

ぼろぼろになった帆や破損した部材には、実にさまざまに使い道があった。

帆船というものにはほとほと無駄がなかった。

作業中身に着けるエプロンや普段使いの丈の短いパンツも、薄くなった古い帆布の使いまわしだ。

カラフルに染色されてアップリケや刺繍が施してあっても、帆布は帆布だ。

 「手紙の内容?

見当もつかない。

けれども、第七音羽丸の軍艦という出自を考えて、そこにケイコさんが絡んでいるとなるとどう?

陰謀とは言わないまでもなにか想像もつかない事情と背景がありそう。

いつかアリーがその手紙を読んだときには、心臓が止まるほどびっくり。

昨日までの世界がひっくり返るのは必定」

ディアナは器用にロープをほぐしながら、恐ろしいことを平然と言い放った。

「ちょっとー。

さらっと怖い御託宣かまさないでよ。

そんな言い方されると、本当にろくでもないことに巻き込まれそうな気がしてくる。

ほら、実はわたしはケイコばあちゃんにさらわれた、どこぞの大金持ちの娘かなにかでさ。

手紙には出生の秘密やら。

本当の親のことやら。

残された莫大な遺産のことやらが、書かれているとか」

「アリーはケイコさんとおなじ赤毛で、目と眉と耳の形がくりそつ。

二人で並んで立っていると祖母と孫というより、母親と娘。

遠目じゃへたすると姉妹」

「そんなことは、いちいち言われなくても分かってるわよ。

はあーっ。

乙女のだいそれた夢をソッコーかなえてくれたり。

オシャレでセレブな人生を、大食いチャンピオンを一瞬でお腹いっぱいにさせるくらいの勢いで、もちろん生涯にわたるアフターサービスの保障付きで約束してくれるみたいな?

こう、何か完璧にノンリスクかつお手軽で、たなぼた的な美味しい人生の選択肢が身近に転がってないものかしらね」

「ない。

アリーにはこれと言った特技も取柄もないし。

そんな都合の良い与太話、いっそ清々しい程に未来永劫まったくない」

「んっ、まっ!」

わたしはディアナに飛び掛かると、両の頬をつまんでぐいぐい引っ張った。

「そういう乙女の真摯な願いを踏み躙る言葉を、動力織機のように絶え間なく紡ぎ出す小憎たらしい口はこれか。

うりゃ、うりゃ」

「はひー、いらい、やめれー」

「アリー様がダイに取り憑いた悪魔の心を、今から綺麗さっぱり祓い清めてくれる」

 キャー、キャーとひとしきりじゃれあった後、二人で甲板に仰向けで寝転がった。

上気した頬に高原の涼しい風が心地良かった。

荒く早くなった呼吸も、一息ごとに体の中の何か汚れたものを洗い流すような気がして、気持ちが良かった。

気の置けない友達と冒険の旅に出て、日々驚きに目を見張りまだ見ぬ未知の世界に心を躍らせる。

自分の意に添わぬ、武装行儀見習いの奉公中という現実にさえ目を瞑れば、言うことなしだった。

 「楽しいな」

「私も」

わたしとディアナは顔を見合わせた。

そしてその時心の底からこみあげてくる、嬉しくてちょっぴり切ない可笑しさ。

それとともに、胸の中いっぱいになった喜びのつぶつぶが次々と弾けるまま笑いに笑った。

それまであれほど無心に笑ったことはなかったし、いつかあれほど無心に笑えることがあるだろうかとふと思う。

一六歳だったあの夏は、一六歳のわたしだけの夏だったし、一六歳のディアナだけの夏だった。

 昼間でも星が見えそうな深く青い空の色に染められた、腹心の友と過ごしたひと夏の思い出は、いつまでも決して色褪せることが無いだろう。

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