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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #30

第二章 航過:18

ホームテーブルに無事帰還した右舷直第二班の生き残りは、最前線に置き去りにしたアキコさんとディアナのことはとっとと忘れてお茶会を再開した。
古人曰く、Carpe diem(一日の花を摘め)。
今この瞬間を楽しめってこった。
聖書にだって“飲んで食えどうせ明日は死ぬのだから”って書いてある。

「艦底をやられちゃった後はどうなったんですか」
わたしは事の顛末を知りたくて、クララさんに話の続きをおねだりした。
熱いお茶を入れ直してみんなホッと一息ついたところだった。
「アーッ、それはもうめちゃめちゃ。
インディアナポリス号の対空射撃があんまり見事だったからさ。
航空艦はフィールドを艦の上部構造物と下部構造物で挟み込んで安定を得てるからね。
旋回回頭に必要な水平帆を失い、バラストもなくしたことで艦体質量も大幅に失ったの。
それでトップヘビーになっちゃってね。
かろうじてフィールド下に残った船底構造がもう少しアレだったら、転覆なんてことに成りかねないところだったみたい。
あのとき転覆していたらあたしも今こうしてここに居れたかどうか」
クララさんは静かにお茶をすすった。
少なくともこの時点でクララさんの指先には、震え一つ見られなかった。
こんな話の時に相手の胆力を測る自分が相当にイヤだったけれど、心の中で『クララさん、あっぱれ』と言ってみた。
「転覆を避けるため艦長の命令一下、マストの上で開いていた帆は大急ぎで全部畳んだのだけれどもね・・・
上部構造物では唯一、艦首だけ岩石弾で狙い撃ちされたの。
おかげでバウスプリットは折れて前に垂れ下がってしまった。
それでジブスルを畳めなかった・・・」
 通常弾や鎖付き弾は鉄でできているのでフィールドに弾かれてしまう。
だから滅多打ちにされたピグレット号も、中甲板から上には損害が及ばなかったわけ。
普通対空射撃の時には岩石弾を使用する。
大理石みたいに金属の塊を含まない石なら、フィールドを突き抜けるからね。
これなら航空艦の上部構造物も破壊できる。
 やがてクララさんの声に苛立ち成分が混ざり始めた。
「最初はどうして艦首だけ狙い撃ち?ってみんな思ったわ。
艦長もなんのこっちゃって顔してたしね。
こうしてあらためて思い返してみると、ぼんくらチェスターってのは実に頭の切れる人道的な人でなしだよ」
クララさんは人様の悪口なんか言いたかないけどねと、遠くを見る目をした。
「次はどこを岩石弾で狙われるのか?って、みんなの恐怖と緊張が最高潮に達したころだったわ。
壊れたバウスプリットから垂れ下がっていたジブスル・・・。
畳めなかったジブスルが、巡航にはおあつらえ向きって言えちゃうほどの素敵な風を、めいっぱい受けてしまったの。
たまたま前甲板に居たマリア様とその手下どもが、決死の覚悟でバウスプリットの残骸を切り落としてくれたわ。
それができるまで、第七音羽丸はどんな有り様だったと思う?」
あれ、クララさんの指先が震えだしてソーサーとカップがカチカチ音をたてている。
「ジブスルが具合よく風を孕んじゃって、どんなベクトルが働いたのかしらね。
今でも信じられないけれどピグレット号が回転運動を始めちゃったの。
艦の回転はだんだん速度を上げて終いにはバレリーナよろしく、くるくる、くるくる、くるくる、くるくる、回り続けたわ。
基本、航空艦は海上艦と違って揺れないからね。
海軍じゃ船酔いが嫌なばかりにこっちを志願する者がほとんどだからさ。
後は推して知るべし、よね」
クララさんの顔は青ざめ気持ち悪そうにからえづきまでしていた。
「えっ、じゃあ・・・」
わたしは触れてはいけないことを尋ねたのかも知れなかった。
「スパンカーやトップスルを広げたり縮めたり。
バウスプリットを切り落とした後も、できることは何でもやってみて、ようやく回転が止まるまでの時間が長かったこと、長かったこと。
所かまわず小間物を広げちゃったみんなにとっては、永遠にも思える時間だったわね」
 小間物を広げるとはアレだ。
なんだかんだで品が良いクララさんの婉曲的な表現だ。
反吐をゲロゲロするってことさね。
「ブラウニング艦長以下、クールビューティーのモンゴメリー副長を含めて殆どの者の胃が裏返っちゃって。
本当の修羅場っていうのは、ああした状況のことを言うんだわ」
クララさんのお顔が青から白に変わり、カップアンドソーサーをテーブルに置くと膝の上で両手を揉むように握りしめた。
「なんとか作業に当たっていたマリア様や、ごく一部の強靭な三半規管を装備した剛の者達すらね。
甲板のそこかしこ、いいえ、舳(へさき)から艫(とも)までの甲板全面から立ち上るアレな臭いや、ビジュアルなアレのありさまに晒されて・・・。
結局は一人残らずアレな状態になっちゃった。
文字通り全身どろどろに成りながら、回転するヤードの上でバントライン(帆を畳むためのロープ)と格闘し、血糊より良く滑るあれが飛び散る甲板で、ブレースを引きながら艦の回転運動を抑え込んだ訳だけど・・・・。
後始末がそれは大変だったわ。
航空艦は海上艦と違ってふんだんに水を使うという訳にはいかないからね。
あいにくなことに事後何日も真っ青な晴天が続いてスコールもなし。
私たち。
何処にも逃げ場のない、シーシュポスなこの世の地獄を体験してしまいました」
お姉様方の空恐ろしいまでのルサンチマンがようやく理解できた。
乗艦を沈められた訳でも、まして人死にが出た訳でもない戦いだったと言うのに。
お姉様方がどうしてそこまでインディアナポリス号とぼんくらチェスターを忌み嫌うのか。
吐瀉物のぬめりと臭気にまみれた、うら若き乙女たちの屈辱や絶望を思えば、無理からぬことと知れた。
そんなシュールな不条理を経験をしたのがわたしなら、インディアナポリスとかチェスターなんて単語を耳にしただけで催吐中枢が大興奮してしまうだろう。
思わず口元を押さえたわたし以下、右舷直第二班のみんなの顔は確かに青ざめていたと思う。
 クララさんの前振りから続いた実に長い長広舌の意味も十二分に理解できた。  
ピグレット号に乗り組んでインディアナポリス号と交戦した勇者たちは、ぼんくらチェスターについては決して軽々には語ることができないのだ。
 お茶会の仕切り直しは台無しに成ってしまった。
でも、今頃三途の川の渡し守りに啖呵を切っているかもしれないアキコさんに比べれば、なんぼかまし。
かろうじて、そうは思えた。
 足元で目を輝かせていたスキッパーだけは、食欲を失ったわたし達のおこぼれを食べきれない程ゲットしてご満悦の様子だった。
現場に居合わせたスキッパーだって、ただではすまなかったはず。
だけどね、彼は過去を引きずらないタイプのナイスガイ、らしかったよ?

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