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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #40

第四章 遭逢:1

「彼ったらちょっと、かっこいいかも」

わたしは目の前で細かな水滴の汗をかいているグラスを手に取った。

その歪みの無い器は石英のように透明だった。滑らかな表面を透かして見ても、ガラス内部には気泡がまったく見られなかった。

こんなに幾何学的に美しいガラスのコップを見たのは、生まれて初めてだった。

グラスの中には芳香を放つ甘酸っぱい果汁が入っていた。

そして信じ難いことに、ここは常春の島だと言うのに、小石程の大きさに砕かれた氷のかけらが浮かんでいたのだ。


『これこそがギリシャ神話に出てくるネクタルに違いないわ』


わたしは楚々とした振る舞いを必要以上に意識した。

出来うる限り上品にと心がけながら、ストローを唇で挟み冷たい果汁を一口含んでからグラスを置いた。

グラスに付いた水滴が指の腹を濡らしたので、何気なくスカートで拭った。

向かいの席に座る幼馴染、ディアナ・グリソム・バーリーに早速それを見咎められた。

彼女は『なんてお行儀の悪い』と言う意を込めた視線でわたしをなじり、やがて冷ややかに言い放った。

「あいつは敵の軍人。

アリー、口を慎まないとアキコさんにいいつける」

「エーッ、イケメン無罪よ」

ディアナも持てる知識を総動員して、ご令嬢テイストの風体を装っている様がありありだった。

 ちなみに彼女はアイスクリームを、小さな銀色の匙でちょびちょび舐めているところだった。

わたしはと言えば、はしたなくも生まれて初めて味わう氷菓のひんやり蕩ける甘露の奇跡で、瞬く間に我を忘れた。

ふと我に返れば、杏子の実ほどのその小さな幸せを、ほぼ三口でたいらげた後だった。

夢にまで見たアイスクリームなのに・・・。

それはまるで蜃気楼のように儚く、ひとりわたしを置き去りにして思い出の中に消え去った。

ここが故郷である音羽村の駄菓子屋だったなら。

いや今席を外している士官候補生の少年さえいなければ。

わたしは子犬のように、アイスクリームの残渣が残るお皿を、ペロペロ舐めていたと思う。


 わたしたちは空港と惑星郵便制度の本局があるキャベンディッシュの町に来ていた。

そう、わたしたちは全世界の乙女が憧れる妄想のユートピア、驕奢(きょうしゃ)のエルドラドたるプリンスエドワード島に上陸していたのだった。

「彼ってハンサ・・・えっと眉目秀麗だし、制服はびしっと決まっ・・・形振りに品があって、わたしたちに対してまるで本物の淑女を相手にするような礼儀正しさだわ。

ああいう男の子・・・エーッと殿方をきっと紳士と言うのじゃない。          

いいこと。

優良物件に敵も味方もありゃしないわよ?」

大人の女性や同年代の世慣れた娘共が評価すると、彼は実際にそこまでいけてる少年ではなかったかもしれない。

けれども村でくすぶってる幼馴染の小僧共に比べればだ。

礼儀作法についてのスキルや教養のレベルが段違いであることは歴然としていた。

容姿だって月とスッポンと言い切れるほどに、わたしの目には素敵に映ったのだ。

「アリーは節操がない。

彼は士官候補生。

シャーロットタウンに入港しているインディアナポリス号の乗り組み。

かてて加えて、察するところ多分お金持ちのぼんぼん。

元老院暫定統治機構は貧富の差が激しいところと聞いている。

要するに敵かつブルジョアの豚」

「察するところ?」

「士官候補生と言うことは兵学校の学生。

真面目で成績の良い貧乏人の子か、鼻持ちならないほど自己愛の強い金持ちの子弟と相場が決まっている」

「だからって、どうして彼がナルシーなお坊ちゃまと言い切ることができるの?」

「染み一つない仕立ての良い制服に磨き上げられた上等な靴。

士官の軍装は自弁が原則。

なにより決定的なのは気取った物腰に左手中指の指輪。

あの指輪は十人委員会幹部の子弟である証拠。

故に彼の内も外も貧乏人から搾取された富によってあがなわれていることは確定」

「はあ?

やっぱり優良物件じゃない」

「武装行儀見習いのための帆船生活巻の弐、第四章全体主義と民主主義にちゃんと書いてある。

アリー、勉強不足。

権力と金の亡者に身を売るなど恥知らずも良いところ」

ディアナはシレッとそう言うとスプーンを咥えた。

「ダイはこの航海が終わったら船長の推薦もらって、海軍兵学校を受験するんでしょ。

でも、わたしはポストアカデミーを受験するんだから、そんなはんちくな知識はいらないの。

それにポストマンになっちゃえば相手が誰だろうと、敵だの何だの非難される筋合いもなくなるわ。

公正中立こそが惑星郵便制度の理念ですからね」

「兵学校の件は・・・正直なところ少し決心がぐらついている。

けれども元老院暫定統治機構は民主主義の脅威。

我らが父祖の怨敵。

この事実は変わらない。

軍人でそれも士官ともなれば、百歩譲って彼が庶民の出だとしても、全体主義の走狗かつ特権階級の手先であることに疑いの余地はない。

「・・・ダイ・・・すごい?

・・・のかしら。

何のことだか全然わからないし。

それが彼の人となりにどう関係してくるかも理解できないけれど、小難しそうだから多分すごい・・・のね」

わたしはなんだか面倒臭くなってしまった。

「武装行儀見習いのための帆船生活、別冊革命と乙女にも書いてあった」

「えっ、本当?」

「うそ」

ディアナはその童顔には似つかわしくない、ニヤリ笑いを片頬に浮かべた。

凄味のある悪相だった。

 思うに武装行儀見習いとして第七音羽丸に乗ってからと言うもの、アキコさんもそうだったろうがディアナも性格が変わった。

悪い方に変わった。

自分も含めて素朴で純情な田舎娘などという代物が、この世のどこを探したって存在しないことは重々承知している。

それにしても二人の隠されていた地?本質?

があまりにもヒリヒリと赤裸々に表へ顔を出しすぎている惨状を鑑みるに付け。

幼馴染のわたしとしては寒心に堪えなかった。

「んまぁ!」

わたしは大きく目を見開きストローに両手の親指と人差し指を添えて、とびっきり可愛く驚いて見せた。

 そうやってふたりでめくるめく官能のスィーツに陶然としつつ馬鹿話に興じていたラウンジは、パトリシアさんご推薦の超有名甘味処グリーンゲイブルズだった。

グリーンゲイブルズには、なんと!!

驚異の水洗トイレと手水用の水道栓だけではなく、香りの良い石鹸や紙タオルが装備された化粧室があった。

清潔で明るいその小部屋には、そのまま入っていけそうな程に大きくて歪みの無い鏡まで設えてあった

わたしは生まれて初めて自分の顔の造作と身体の輪郭を、隅から隅までズズイーッと、じっくりしげしげ観察する機会を得た。

 ケイコばあちゃんはことあるごとに、世の中には知らない方が幸せという現実が多すぎると耳たこレベルで弁じていた。

そのことには、まったくもって同感である。

わたしはにわかには変えようがない、すでに作り付けになっている顔面のパーツや身体の造形的出来具合。

そこんところは早々に見切りをつけた。

そして歪みのまったくない鏡と真摯に向き合って、表情筋の動かし方と楚々たる仕草を少しばかり練習した。

優良物件の歓心を買うためだった、と言っておこう。


『自称とびっきり可愛い笑顔ってやつがそのささやかな成果さ。

ほっとけ』


 その時分のわたしは、アキコさんとディアナの二人を反面教師と考えていた。

即ち言葉使いや立ち居振る舞い、表情の操作と選択にはよくよく気を付けよう。

そう硬く心に誓ったばかりだったのだ。

最後に今一度自分の容姿を隈なく点検して、ささやかな野心に火が付いたことを告白しよう。

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