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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #39

第三章 英雄:9

戦場での蓄財の可能性は、資源も人材もカツカツな惑星ロージナにおける、戦争にまつわる大いなる偽善的交戦ルールのおかげだった。

資源も財産も人的資産あっての事である。

大災厄以降もその前も、植民惑星ロージナでは人間が最も大切なお宝だったのだ。

ロージナ人には、先祖代々受け継いできた遺伝的資産があった。

個々のDNAには量子コーディングされたライブラリーのバックアップ情報が、もれなく格納されているのだ。

 ライブラリーの情報とは即ち、人類が営々と築き上げて来た知識と知恵の集大成と言えた。

だからこそライブラリー無き後、人間がロージナで最も大切なお宝になったのだ。

個別の遺伝情報が惑星ロージナの再建と希望ある未来を約束していたのだから、それは当然と言えば当然の事だったろう。

 もとより、命をやり取りするギリギリの状況下で、敵兵の生命を身代金で担保すると言う暗黙の了解事項が、常に機能するわけではない。

鉄と血で高揚する戦場の熱情やら、ばたばた倒れる戦友達への思いやらで、報奨金や懸賞金は二の次の凄惨な殲滅戦となることも枚挙にいとまがなかった。

 とりわけ近接戦闘が主になる陸戦において、その傾向が強かったのもむべなるかなである。

それでも先の大戦時、初戦で起きた大規模なジェノサイドは、最早狂気の沙汰としか言えなかった。

かろうじて生き残り正気を取り戻した者達は、人類の心の奥底に眠る冷たい目をした獣の本能に恐怖した。

 兵員を一つのまとまりとして考えやすく、艦船自体にも資産価値がある海戦においてさえおなじことだった。

敵のクルーを皆殺しにして、船だけ分捕ることを売りにした艦長が双方に存在したのだから、暗い情念はあなどれない。

 先の大戦からもうかなりの年月が経過した。金と情に引き裂かれた、ある種祝祭めいた赤黒い高揚に支配される海戦の物語も遠くなったこの時代だった。

それでも超古代から伝わる泥棒のざれ言、”浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ”と言う警句は廃れない。

海賊船はその総数を大幅に減らしたものの、世代を交代しながら今でも元気に荒稼ぎを続けているのだ。

 攻守新世代の登場と共に、ある意味犯罪者に対して寛容ともいえる偽善的交戦ルールが、昨今ようようと機能するようになった。

偽善的交戦ルールを使いこなした者は富を得ることができる。

 ルールに従ってまんまと新しい時代に適応したインディアナポリス号は、暫定統治機構海軍一の稼ぎ頭となった。

そして若干なりとも国庫を潤す集金マシーンとして喝采を浴びたのだった。

 五年前のブラックパール号とピグレット号に対峙した遭遇戦では、ブラックパール号を戦闘不能に追い込んだが拿捕はせずそのまま捨て置いた。

戦時下とは事情が違う。

例え相手が戦闘を仕掛けて来たのだとしても航海法上、軍艦の拿捕換金もクルーの身代金要求もできなかった。

むしろ、回航していた私掠船と保護した商船を守り切った現実が、インディアナポリス号の愉快な仲間たちにとっては重要なイベントだった。

それがどちら側の私掠船であっても、平時に獲得可能な美味しい賞金首だったからだ。

おまけに救出して差し上げた商船からは、積み荷の値打ちに応じて法定の謝礼金も出る。

母港に無事帰還したインディアナポリス号のクルーは、艦長以下結構な額のボーナスを手にして他の艦からおおいに羨ましがられたものだった。

 ことほど左様に、インディアナポリス号とチェスターの戦上手は、私掠船や海賊船の拿捕にまつわる多額の獲得賞金で有名になったといっても、過言ではなかったのだ。


 「距離五千メートル」

「経路交差まで十五分」

ミズンマストからの報告が続いていた。

「めんどうくさいけどね、一つ御挨拶と行きますか。

ベッキー!」

チェスターはレベッカに声をかけた。

「アイアイサー。

ミスター・カナリス!

信号旗用意。

-貴船の航海の無事を祈る-」

カナリス士官候補生はバイロン副長の発令を耳にするや否や、夢見心地から完全に覚醒する間もなく、ほとんど無意識のうちに命令を復唱し持ち場に向かった。

カナリス士官候補生は、そこらの少年達と同じ程度には益体もつかぬ妄想に浸る癖があったが、任務に対する注意力には定評があった。

彼が何をどのように夢想していたかは、神のみぞ知るである。

レベッカに敬礼すると走り出したカナリス士官候補生の顔は、見事に赤かった。

 第七音羽丸に向けた信号旗が上がると、やがて答礼の信号旗が船底から流されるのが見えた。

「第七音羽丸から答礼。

-貴艦の武運長久を祈る-

でーす」

カナリス士官候補生の甲高い声が甲板に響く。

「少年の仕上がりはいいようだね」

チェスターが少し詰まったような声でぼそっと口にした。

「よい子です。

素直で優秀です。

信号関係の教則はもう全て頭に入っているようであります」

レベッカは感情を交えない平板な口調で答えた。

 彼女は若者が軍人を志望することに、チェスターが複雑な思いでいることを知っていた。

彼自身決して軍人に成りたくて成った訳ではなかったからだ。

勉強を続けるには授業料が要らない海軍兵学校か、陸軍士官学校に進むしか他に道がなかったのだ。

 「そうか」

レベッカにはそういって薄く笑うチェスターが、本当は今張り裂けんばかりの胸の苦しさと、理屈では割り切れない戸惑いを感じていることを知っていた。


『優しい人・・・』


レベッカは自身の胸に溢れかえる、暖かで揺るぎの無いチェスターへの思いが少し辛かった。

 「直上。

第七音羽丸と進路交差します」

海上に影が差し、はでなピンク色の船体が音もなく、インディアナポリス号の上空を後方から斜めに追い抜いていった。

扇形に広がった網を引きずっているが、相対速度を考えても二十五ノットは出ていたろう。

クリッパーに代表される高速帆船でも、順風に乗って最速十七ノットと言うところだから、さすがに航空船のスピードは違う。

フリゲート艦も軍艦の中では高速のほうだが、平均速力はせいぜい十ノットと言うところか。

 ロージナでも古代の地球にならい緯度一度を六十海里と定めている。

極点から赤道までの距離は地球よりやや長く、約一千八十万キロメートルだが都合の良いことに一度だと十二万メートル、一分で二千メートルとなる。       

要するに一海里二千メートルとなるから、地球の一海里千八百五十二メートルより計算が楽になる。

一ノットは一時間に一海里進む速度と定義されている。

よって一ノットは時速二キロメートルと考えればよい。

ちなみにノットとはロープに等間隔に作られた結び目のことだ。

海上の船では浮きをつけたロープを艫(とも)から流し、一定時間でいくつの結び目が繰り出されたかを数えて船の速度を簡易的に計測している。

 帆船と言う優美な乗り物は、無風ともなれば速力はゼロだ。

全ては風任せと言う点では、海の船も空の船も事情は一緒である。

チェスターは以前赤道無風帯で立往生したことを思い出していた。

だらしなく垂れ下がった帆を眺めながら、後甲板でじりじりと日焼けしていったのは、奇妙に懐かしい思い出だった。

舷側を打つ波の音と甲板勤務の水兵のボヤキ声だけが、いまでも耳の奥に残っていた。

 しかしあんな所でも航空艦は上空でわずかな風をつかみ航走することができた。

先行する伴走スループ艦が、空の彼方に遠ざかるの眺めながらうらやましくないと言ったら正直嘘になったろう。

とは言ってもチェスターは乗艦を、航空艦に鞍替えしたいとはついぞ考えたこともなかった。

風任せと言いながら、クルーの知恵と勇気と心意気で大海原の荒波を押し渡っていく。

そんな航海艦と言う気まぐれな淑女が、なんだかんだ言っても大好きだったのだ。


 「ベッキー。通常の当直に戻そう」

「アイアイサー。

対空戦闘準備解除。

各員通常の当直にもどれ」

レベッカが叫ぶと号笛が響いた。

各部署への命令が伝達されて、さざ波が広がるように戦闘準備の緊張が解けていった。

 風向きは安定し陽光は眩しかった。

世界中の水兵が夢見る穏やかで気持ちの良い航走が、再びインディアナポリス号に戻ってきた。

「連中とはプリンスエドワード島で顔を合わせることになるのかな。

面倒な厄介ごとが起きなければ良いけれどね。

まっ、いいかぁ。

バイロン副長、万が一の時はよろしく」

チェスターは今日何度目になるか分からない欠伸と伸びをして、レベッカにだれた敬礼をした。

「了解しました」

レベッカはいつものようにベッキーと呼んでもらえなかったので内心不服だった。

だがそんな些細な不満では、能面の様な顔にさざ波程の感情も浮かべることはなかった。

誰も知らぬことだったが、相も変わらぬ無表情ではあるものの胸の内では、

『もちろんですわダーリン!

ベッキーに万事お任せを!』

と、キュートな声を張り上げていたのではあった。

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