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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #35

第三章 英雄:5

指揮官としては出来星ながら、色々な意味で残念なぼんくら艦長に率いられたインディアナポリス号ではあった。

チェスターも着任以来、少々無頓着に昼行燈をともし続けたかと、内心危惧していたのだがあにはからんや。

期待していた以上にまとまりのある艦になったのは嬉しいことだった。

 つまるところチェスターは、初めて預かったフリゲート艦の運営に、今のところ大成功しているわけだった。

さすがにそれを自分の手柄であると己惚れる阿呆ではなかったのは、チェスター自身とクルーにとって幸いなことだった。

 ぼんくらを装い部下を上手く操っている。

チェスターは恥ずかしながら、そこのところだけは密かに自画自賛していた。

自分の演技上手を得意に思う気持ちも確かにあった。

だがしかし、時に応じて盾となり鉾となるレベッカの苦労と忍耐こそが自分を押し立てて艦をまとめ、ほぼ連戦連勝の作戦行動を支えている。

そのことは胸が痛み切なくなる程に強く自覚はしていた。

それでもレベッカはチェスターにとって身近な存在であり過ぎた。

 レベッカに対して抱いている好意の内にある任務と公私の責任感、ことによったら愛情も。

それぞれがどう繋がって何を主張しているのかが、チェスターにはまったくわからなくなっていた。

不確かな感情のごつごつした塊と、等号で結ばれたシンプルな答えがあるはずもなく、チェスターはただ途方に暮れるばかりだった。

 いつかは施されて来た恩の埋め合わせをしようと、チェスターは焦りを覚え続けていた。

それでも何も思い付かず何もなさないまま、レベッカにズルズル甘えっぱなしでここまできてしまったのだ。

 翻ってレベッカ視点ではどうだろう。

レベッカとしてはチェスターに頼られて、実は毎日が嬉しくて仕方がなかったのだ。

元々がお嬢様育ちで、子供の頃から上から目線の高踏的精神もしっかり持ち合わせていた。

だから冷徹と囁かれる自分の評判や、部下が奉る氷の女王というあだ名に傷付くことはあっても、公人と私人におけるそれはそれこれはこれと割り切ることができた。

 チェスターについてはインディアナポリス号での作戦実績を鑑みればなんのことはない。

チェスター自身の自覚無きカリスマが、レベッカの苦労をいつだって価値あるものに変えていたのだ。

そうだからこそ、二人がセットになっていることが、高い人事考課と世評につながって居る。

両人ともどもそのことを、いいかげん覚るべきだったろう。

ぼんくらチェスターと氷の女王はなんだかんだ言っても、艦隊におけるエースコンビだったのだから。


 群れの動物である所の人間が、艦内のどのセクションでも少なくとも三人以上は集まって活動している訳である。

不得手なことながら艦隊の人事部に慣れぬ根回しまでして、こと下士官については慎重の上にも慎重を重ね、これぞと言う人材を見込んで配置してきたつもりだった。

そんなチェスターご自慢の選りすぐりの下士官達の統率下といえども、長い航海の最中に艦内で表面化する不満と騒動の種は尽きなかった。

 海が平穏で単調な当直が続くと起こりがちなつまらないいさかいですら、必ずしも合理的かつ公平に解決をはかれるわけではない。

すると不満分子に対しては、様々な問題の幕引きのために悪者役を引き受ける幹部が必要となる。

皆が納得できそうもない結末の責めを負うサンドバッグのことである。

そうして艦内の仲間内での悪罵や怨嗟の向かサンドバッグ役は、もっぱら副長であるレベッカ・シフ・バイロン海尉が負うはめとなった。

 数百名のクルーを見渡せば、ツンデレレベッカのファンばかりとは限らない。

規則を厳密に励行するコンプライアンス重視のレベッカだった。

そうした時に冷血女と揶揄される副長は、いつもぼんやり海を見つめていて何を考えているのかよく分からない艦長とは、人当たりが対極にあったのだ。

 まだ艦内の事情が良く飲み込めていない新参の兵のみならず、接触の機会がおのずと多くなる一部の士官候補生と無能な士官は、レベッカを心の底から恐れ、同時に嫌っていた。

普段の立ち居振る舞いからは想像もつかないが、レベッカは本質的には心優しく聡明で柔軟な心を持つ女性だった(これについては少なくともツンデレレベッカファンはよく承知していた)。

 チェスターの比翼たらんと努力するペルソナは、人に嫌われる性質のものと承知していたし、内心では自分が果たしている役割に大いに傷ついてもいるレベッカだった。

そこはツンデレレベッカファンが心配しフォローに勤めていた部分でもある。

 端正な顔立と均整の取れた身体の輪郭線は、学生の頃から今に至るまで、レベッカにとってはただ煩わしいだけのデザインだった。

彼女が、天与の美貌から最大限の効果を引き出す術を心得た、上昇志向の強い士官だったらどうだったろう。

笑顔を絶やさず少し声のトーンを上げたなら、たちまちの内にインディアナポリス号いや、艦隊のマドンナと奉られることは必定だったに違いない。

だがそうした、他者を魅了する記号としてのみ機能する女性性のデザインに、なんの価値があろう。

 十代のころ初めてチェスターに出会った瞬間に、レベッカは雷に打たれるような天啓を受けたのだ。

この茫洋としてつかみ所のない男のパートナーが務まる人間は、世界中のどこを捜してもレベッカ以外にはありえない。

天啓はレベッカにそう告げたのだ。

 他者からどう思われようともチェスターの盾となり矛となれるのであれば本望。

それこそ女子の本懐と胸をはって言いきれるのがレベッカという女性だった。

天啓を受けたその瞬間から、レベッカにとってチェスター以外の男は無価値な木石と化した。

レベッカが他者に向ける笑顔は、チェスター限定の特別になった。

レベッカにとっては、自分の持ついかなる記号的女性性も、チェスターだけの為に機能すればそれで満足な、些末な属性に過ぎなくなったのだった。

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