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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #217

第十三章 終幕:25

 こんな状況は本当に久々のことだった。

学校を卒業するやいなや、第七音羽丸での武装行儀見習の奉公に出されたからね。

ケイコばあちゃんとはあまり一緒に過ごす機会はなかったし。

わたしも大人に成ったし。

だがしかしだよ。

ケイコばあちゃんの可愛らしい顔に浮かぶ言うに言われぬ恐ろしい笑顔。

穏かで上品な口調で語られる寸鉄人を刺す言葉。

それらへの畏怖を、わたしの魂は忘れていなかった。

わたしの生存本能がたちまち悲鳴を上げたのだもの。


『・・・分かったわよ。

おばあちゃんがそういう人だってことは、こうしてわたしの魂が痛い程に理解してるわ』


にわかに背筋を這いあがる氷点下の寒気。

同時に起きる顔の熱いほてりと鈍い頭痛。

爆発的にわたしを染め上げる恐怖心故だろう。

恥ずかしながら少しちびった。

突然意識されたそれらの感覚は、わたしが幼い頃から事あるごとに晒されてきた、ある意味顔馴染みのおののきだった。

決して懐かしくはなかった。

人はそれをトラウマとも言う。


『孫娘にそんなもの植え付けてんじゃねーよ』


この時わたしは心底そう思ったね。

いつかミズ・ロッシュやJ・Dと再び会えることがあったなら。

ケイコばあちゃんの仕打ちを言い付けてやるんだ。

堅く心に誓ったことだった。


 「えっと、えっと、・・・それで、それで・・・ロージナのホモサピは漸く帆掛け船を操ったり・・・なんとかアイスクリームをこしらえるまでは・・・進歩したってことですよ・・・ねー。

・・・おばあちゃん、なんか顔も言い方も怖いよー。

わたしももう大人なんだからさー。

そーいうのやめてよ」

堰を切ったように涙と鼻水が流れ始め、すっかり治まっていたはずのせぐり上げがぶり返した。

わたしは目を伏せると、エグエグ言いながら震える指先でハンカチを取り出し、額に浮かんだ嫌な汗を拭ってそのまま洟をかんだ。

まるで子供の頃のままだ。

ケイコばあちゃんに叱られたアリアズナの、脊髄反射的“泣いてごめんなさい”だ。

「そういうこと。

アイスクリームはまだ時期尚早だったの。

私人としては本当に残念だけれどもね。

電力の使用は今後かなりの制限を掛けることになると思うわ」

ケイコばあちゃんは、恐怖に怯える子供なわたしをしり目にサラッと言い放った。

口惜しいことに『してやったり』と片笑みを浮かべるのもチラリと見えた。

「・・・プ、プリンスエドワード島に・・・元老院暫定統治機構の軍隊が上陸したって聞いたけれど・・・それももしかして・・・おばあちゃんが・・・」

「さあ?

なんのことかしら?

『不毛ではた迷惑な、戦争なんていう了見違いを、今この時になぜ!』とは思ったわ。

もちろん心の底から、十人委員会のスカタンどもには怒りが湧いたしねー。

できることなら、スカタンどもを皆殺しにしてでも戦争を止めたかったわよ?

でもね、ブラリーと文通してる今となっては考えが180度変わったの。

桜楓会のお年寄りを締め上げた後ブラリーとお友だちになって、私にはパラダイムシフトが起きた。

だからかな?

怒りが湧いたし、戦争を止めたいって私の良心は今でもそう思っている。

けれど私の理性は、戦争を直ぐにでもやめさせようなんてこれっぽっちも考えてない。

プリンスエドワード島は少し進歩し過ぎたの。

これ以上放っておくとバーサーカーが感付く恐れがあるからね。

戦争は好機と言えば好機?

ブラリ―もそう言っていたわ。

すごく悲しそうだったけどね。

まっ、そう言うこと?」

ケイコばあちゃんはカップとソーサー手に取り、首を傾げて見せた。

ゾッとした。

けれども彼女の考えを理解し納得してしまっている自分に、もっともっともっとゾッとした。

 ケイコばあちゃんの禁則事項を公表したって、何処の誰が信じるだろう。

ケイコばあちゃん当人ですら、バーサーカーの実在を直感的に認めているだけ。

それをまったく疑いのない事実として、信じている訳ではないのだ。

まして、科学技術が進めばより豊かな未来が待っている。

そのことが分かっている人々に向かって、いくら禁則事項を声高に盛んだとしても聞く耳を持つとは思えない。


『来るかどうかも分からないけどね。

それでも兎に角侵略者に備えましょ』


『バーサーカーに気取られぬよう、文明の進歩を止めなはれ』


だなんて警鐘を鳴らしてみたところで、オーディナリーピープルはなんのこっちゃって思うよ?

 現役時代に名将の名を欲しいままにした先読みのケイちゃんだってさ。

そんなこと言いだしたら、皆からまともに相手なんかされないだろう。

『暇を持て余した才人が紙一重を越境して、なんかの教祖の真似事かい?』ってね。

気の毒な人を見る目で笑われるのが落ちだよ。

とすれば黙っていても破壊と消耗が進む戦争だからね。

突出した科学技術を滅失させるにはうってつけの手段じゃなかろうか。

戦争は一方で科学技術を進歩させる側面があるというけれどさ。

そこはお得意の、権謀術数の限りをつくして妨害すれば良いのだから、始末は楽だろう。

ケイコばあちゃんなら、表の戦争と裏の妨害工作をセットで運用するだろう。

大衆に気取られずに文明の進歩を遅らせることなんかちょろいもんに違いない。

 戦争で死んだり傷付いたり財産を失う人たちを、良心の呵責って言う勘定に入れずに済む。

その条件がクリヤーできるのなら、わたしだってそうするね。

だからなのだろう。

必要とあらばロージナの未来のために非情な決断ができる人間。

そんな、どこかねじの飛んでるケイコばあちゃんみたいな人間。

そんなホモサピがチキンなライブラリーさんには、どうしても入用だったのだ。

 元老院暫定統治機構による今回のプリンスエドワード島への侵攻は、ケイコばあちゃんが企画したものでは無い。

それは本当のことだろう。

けれどもこの機に乗じて科学技術の進歩を遅らせる裏工作は、もう始めている可能性が大。

口では継続審議事項だなんて言ってるけど、なんたってケイコばあちゃんだからね。

とっくに審議は終わっていて計画立案も成り、すでに状況を開始してるはずだ。

わたしはそう確信した。

 「わたしに関係した・・・この一連のごたごたも大きな・・・おばあちゃんの企てた・・・大きな作戦の一部ということ?」

ケイコばあちゃんに泣かされて、またも始まったわたしのしゃくりあげが止まらない。

「第一義的に私個人のエゴとして、アリアズナ・ヒロセ・コバレフスカヤの命を守ること。

それが他の何にも優先する目的だったわよ?

天秤の左側にあなたが乗っていれば、右側に何人のホモサピが乗っていようと鴻毛より軽いのは確か。

天秤が右に傾くことはないわ。

まあ、私も過ち多き人の子の常を免れ得ず。

あなたには怖い思いや痛い思いをさせて、危うく死なせるところだった。

私としたことが面目ない。

それが悔やんでも悔やみきれない痛恨の一事ね。

けれど後は全て狙い通り以上の成果が上がった。

アンであるあなたにはそう言っておくわ。

もっとも今となってはそれも、大事の内のささやかな小事になってしまった。

あなたのことは、個人的な腹の内としては今でも最優先だけれど。

天下国家を考えるとちっぽけなことに成ってしまったわね。

そこんとこについては『オケイ!大局を見極めなさい』ってブラリ―にも懇々と諭されたわ。

だからあなたには、私の相棒やがて後継者って役回りが振られたのよ?

もちろんブラリ―の発案でね。

彼女ったらアンは、敵から自分自身を守ることができるくらいに強い力を持つべきだって言うの。

あなたには、何処か鄙びた田舎の片隅か。

もしくは大都会のど真ん中で。

天下国家とは関わらずにボーっと暮らしていて欲しかったんだけどね」

天下国家っていったい何?

チキンなライブラリーさんの発案って何?

わたしはケイコばあちゃんの話に半ば呆れ、半ば無力感を禁じえなかった。

 この先うまく立ち回れば、兵学校ではなくポストアカデミーに入ることができるかもしれない。

それでもわたしはもう一生。

ケイコばあちゃんとブラリ―さんの軛から逃れることはできないだろう。

ケイコばあちゃんの相棒になり、やがて後継者として認められようと認められまいと。

テヘペロでサムズアップするケイコばあちゃんに向かって『バッキャロー!』ってね。

全身全霊で絶叫したいところだった。

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