ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #207
第十三章 終幕:15
明日の見えぬサバイバルの毎日を生き抜き、復興への一歩を踏み出す。
それまでにロージナの人間達は、気が遠くなるほどの苦労と努力を積み重ねた。
彼らは生きんがため、当てにも頼りにも成らない地球の本家や近所の親戚達には、早々に見切りをつけた。
暮らしを立てる為、今日を耐え抜き明日に挑む。
そんな日々を繰り返す内。
太陽系や他の星系の事を直接知る人々はロージナの土に帰っていった。
いつしか人々は、自分達が宇宙の孤児となったことすら意識の外に追いやった。
そうしてロージナがお日様の周りを千回も公転する歳月の間。
人々はただひたすらに生活向上を目指して日々の仕事に励んできたのだった。
「ライブラリーを失い地球や他星系からの助力を待つ時間的余裕が無くなったの。
その時点で科学文明的に、ご先祖様たちは詰んだってことね。
ロージナのホモサピに残された地球文明への手掛かりは、今を生きる生身の人間だけになってしまったわ。
個人が学習した記憶と訓練して身に付けた技術だけが、わたしたちに残された人類の神髄になったってこと。
大災厄以前にはそうした事態を、人間もライブラリー自身すら、想定していなかったでしょうね」
ケイコばあちゃんは大きな目をぐるりとお茶目に回して見せた。
古代であれば図書館や大学あるいは各種研究施設に、書籍や印刷された論文や図面、更には手書きのノートと言う形で情報が残されていたのだろう。
けれども、進み過ぎた文明はアナログな記述と記録の方法論をきれいさっぱり忘れてしまっていた。
「それでも万が一を考えてはいたのよ。
今を生きる私としては、トリッキーとしか思えない荒業だと思うけどね。
ホモサピが星から星へと空間と歴史を超えて蓄積してきた数多の情報は、ライブラリーの生体バックアップと言う位置付けで、ロージナ市民の各家系に割り振られたわけ。
DNAに量子コーディングされた例のあれよ。
そのおかげでハナコやあなたみたいにコバレフスカヤの女性は、とんだ因果を背負いこむことになったのだけれどね。
この話はもうハナコから聞いてるわよね?」
超科学を誇ってはいたものの『存外に人類は間抜け』とケイコばあちゃんは仰る。
なぜなら、一見冴えたやり方に思えた生体バックアップそのものの仕組みに問題があったから。
莫大なお宝情報の全ては、セカンドネームとサードネームの付箋を付けられて市民個々人のDNAに整然と量子コーディングされていた。
それなのに大災厄と同時に肝腎要なそれらの文字列を機械的に読み出すシステムもまた、きれいさっぱりその機能を失なってしまったのだ。
これは笑えない状況だったろう。
「目の前に人類の危急を救える方法と手段を解説した知識がうじゃうじゃある。
生きている人の数だけ文明のマニュアルがあるというのに手に入らないのよ。
まさに人の心みたいなもんね。
そこにあるのが分かっているのに見ることも聞くこともできない。
墨絵に描きし松風の音ってこと。
まあね。
そもそもが、ライブラリーのバックアップって言う位置付けだからね。
多次元リンクを使って情報は随時更新されていたし、ライブラリーにとって人間は生体メモリーって程の意味しかなかったかもしれない。
それでも人間メモリーは、ライブラリーのメモリーバンクに異常が起きた時の万が一の備え。
それもシステム内の多重バックアップ全てがダメになった時の備えであるのは確か。
例えメインフレームがおしゃかになっても、マシンを他所から導入すれば、みんなの量子コーディング情報でシステムの再構築ができる。
そんな腹積もりだったのだろうね」
ケイコばあちゃんはそう言うと肩を竦めて見せたものだ。
「当時は・・・わたしの様な能力持ちの存在は知られて・・・いなかったの?」
わたしはケイコばあちゃんに借りた素敵なレースが付いたハンカチで、腫れぼったくなった涙目を拭い、思いっきり鼻をかんだ。
彼女は顔色一つ変えず話を続けた。
「あなたも既に気が付いていると思うけれど、索引者の能力は他者のプライバシーを不必要に侵すもの。
索引者に全く悪気が無くても、周辺の人間は余り良い気持ちはしないわ。
大災厄以前の人類は多次元リンクを呼吸でもするように使っていたからね。
こと個人のプライバシーについては神経質な位に配慮していたみたい。
だから平時には不必要な、インデックスやリーダーみたいな異能はライブラリーによって封印されていたの。
もちろん当事者や家族にだって、当人が能力持ちであることは知らされなかった。
全ては個人の生体データを把握しているライブラリーが、究極の一大事の為に保護管理していたと言う訳ね。
万能のライブラリー様もメインフレームや各バックアップシステムに、同時多発的な不都合が生じることくらいまでは想定していたでしょう。
けれど、まさか多次元リンクが完落ちして、他所の世界からも孤立するっていう事態までは想定していなかったようなの。
難儀なことに、インデックスやリーダー以外にも数多いるはずの、封印されし能力者の情報もまた失われてしまった。
今だ未知の能力者が、この先どんな厄介事の種になるかを考えると、正直頭の痛いことだわ」
「ライブラリーの代わり・・・に、わたしのご先祖様が活躍しなかっ・・・た理由は分かった」
「あなたの姉さんが本当にイレギュラーだったの。
これまたライブラリーの想定外じゃないかしら。
本来ならライブラリーが多次元リンクを使ってしか解けない封印が壊れて、いきなり能力が発現するだなんてね。
私もハナコも、もう何がなんだか訳が分からなかったもの。
おたっしゃクラブの情報網にアクセスして、“口伝の理”を先祖代々受け継いできた人物に出会えたのはラッキーだったわ。
その意味ではライブラリーの仕込みは、痒い所に手が届くと言う感じだったけれどね」
「その話もその話の続きも・・・ミズ・ロッシュから・・・聞かされたわ。
わたしの扱いがあんまりだって・・・お母さんを責めて・・・しまったほどなの。
お母さん苦しそう・・・だった」
「・・・そう。
コバレフスカヤの秘密以外にもあの子から色々聞いちゃったのね。
J・Dのことも?
・・・ハナコには苦労の掛け通しだったわ。
恨むならハナコではなく私にしておきなさいね」
「そんなの・・・分かってる。
勢いあまってロケットのことを教えたら・・・とても恐ろしいお顔になって・・・お母さんそのまま死んでしまう・・・かとおもった」
ケイコばあちゃんはギョッと目を剝き固まった。
わたしは一矢報いた気分になり、心の中で拳を突き上げた。
「・・・そ、それにしても、まさかあなたにまで能力が発現するだなんて、つ、ついてなかったわ」
動揺があからさまなケイコばあちゃんは、話をいったんやめて深呼吸をした。
ケイコばあちゃんは怒ったミズ・ロッシュが怖いみたいだった。
ちょっと意外。
「・・・事の真相が明らかになった時点で、情報の拡散は最小限に囲い込み、全て闇に葬るつもりだったのよ。
こうなったら、もうあなたには隠す必要もなさそうだから言ってしまうけど。
ここだけの話、考えなしのお調子者が何人も行方不明になっているくらいだからね」
ケイコばあちゃんは気持ちを切り替えたのだろう。
今さっきのうろたえぶりが嘘のように、人の悪い笑みをニヤリと浮かべた。
「それって・・・」
「もちろんあなたの想像通りよ。
ハナコからディープな内情を聞かされていて、その上あなたがロケットのことまでしゃべってしまったのなら私も腹をくくるわ。
・・・ハナコのこともあなたのこともいささか甘く見ていたようね。
策士策に溺れるってやつかしらね」
ケイコばあちゃんは最後に小さくつぶやいた後、わたしの目に正面から視線を合わせた。
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