見出し画像

ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #49

第五章 秘密:2

わたしは、私書箱から受け出した例の大判封筒二つを持ってタラップを駆け上がり後甲板に向かった。

すぐに舵輪周りやコンパス周辺での作業を指揮していたマリアさんに呼び止められた。

「アリー、戻りましたね。

ルートビッヒ様と副長がお待ちです。

付いていらっしゃいな」

マリアさんは、作業中の人たちに二言三言指示を告げると、わたしを伴って船尾にある船長室へと降りるハッチに向かった。

傍らにいたスキッパーも一緒に付いて来た。

さっき帰船した時に後甲板に居るのを見かけたのに、船長と副長はどうやら先に下へ降りたようだった。

現在のマリアさんは無表情だから、かなり機嫌が良いはずだった。

けれども、たかが古びた封筒二通の為に、第七音羽丸のコアスタッフが全員勢揃いとは。

いったいこの封筒には何が入っているのだろう。

せめてわたし宛てらしき封筒だけでもさ。

保護者の指示のもと開封のことという但し書きさえなければ、事前に検めることができたのにね。


『そうだ、ついうっかり開封しちまいましたという手があったかも。

それともあのときディアナにそのまま封を切らせていれば良かったのかな』


なぜだか分からないけれど、にわかに胸がドキドキするほどの好奇心が、むくむくと首をもたげてきた。

下手な後知恵など毒にも薬にもならなかったけどね。

 それにしても一体全体なんだって音羽村を遠く離れたプリンスエドワード島?

それもよりによって中央郵便局なんかに、ケイコばあちゃんの私書箱があるんだろう。

そしてその中身は、もしかしたら、封じられてから十年以上たっているかもしれない書類?

まいまい堂謹製のふるーい二通の封筒に収められた、イミフなフミだったのだ。

かてて加えて胡散臭いことに、その内の一通はよくよく見ればどうやらわたし宛てときてる。

ケイコばあちゃんは、今でこそ手芸品店むじな屋の店長として地味に暮らしている。

けれども、わたしが生まれてしばらく経つまでは、どこぞの船乗りだったらしい。

 ケイコばあちゃんには何度問い質しても、“あっちむいてほい”ってはぐらかされてばかり。

わたしは本人の口からそのことを聞かされたことはない。

知り合いの誰に尋ねたって首をひねられたけれども、商工会のおじちゃんやおばちゃん達が話しているのを、偶然小耳に挟んだことがあるんだよね。

 みんなわたしに何か隠してる?

ケイコばあちゃんと船。

海軍の予備役軍人が運用する元軍艦である第七音羽丸。

どちらも海と空に関係している。

わたしが初等学校の頃から、しょっちゅうケイコばあちゃんに会いに来ていた船長たち。

第七音羽丸に無理やり乗り組まされて、武装行儀見習いの奉公をさせられているわたし。

怪しさてんこ盛りな相互関係と背景事情だった。

正直言って『こりゃ厄介ごとに巻き込まれそう』みたいな。

悪い予感しか浮かんでこなかった。


『まっとうな人間なら、子供でもまる分かりの当事者感だぜ。

脳裏に陰謀の二文字が浮かんだのは我ながら無理もあるまいよ』


 好奇心は猫を殺すというけれどさ。

こちらを振り返ったマリアさんの澄んだ青い目は、わたしの疑心が生んだ暗鬼まで、何もかも見透かしているような気がした。

スキッパーの視線さえもわたしの心を探る様に見えたから、これは少しナーバスになり過ぎかなとも思った。


 プリンスエドワード島のどこの屋内よりも、みすぼらしくて薄暗いだろう。

見るからにそう思える第七音羽丸の船長室は、重苦しい沈黙が支配していた。

 小ぶりの文机やチェストは、品のある装飾で落ち着いた感じ。

作り付けのベッドも小さいながら箪笥と一体になっていて使いやすそうだった。

元軍艦らしく、大砲を据え付ける頑丈な架台はそのままになっていて、代わりに安楽椅子や大きなドレッサーが固定されている。

あまり平滑とはいえないガラス板を、たくさんはめ込んで作りこまれた格子窓は、それなりに大きくて素敵。

けれども後から取り付けられたのかな。

ロココ調の妙に乙女チックなピンクのカーテンが、なんだかとっても残念だった。

 狭い軍艦の中でそれなりに広い部屋を占有する特権を持った艦長さんさえ、居室では二門の大砲と同居していた。

船内見学ツアーでそう教えられたときには驚いたものだ。

もちろん現在大砲は撤去され、架台だけが残されている。

まあ、いくら悪趣味であっても、ごてごて装飾の安楽椅子やドレッサーの方が、わたし的にはごっつい大砲より余程好感が持てる設えであることは確かだ。

 中央郵便局や街中で見た電灯に比べると、比較にならないほど暗くて頼りないオイルランプが文机を照らしていた。

ブラウニング船長は窓に背を向けて、文机に広げた手紙に目を落とし、今までついぞお目にかかったことのない真剣なお顔で黙読していた。ブラウニング船長の真剣な横顔はとても男臭くて凛々しかった。

 『アリーは、“想像もしなかった船長のご様子を目にして、驚愕のあまり口が半開きになってしまった”。

そんな内心が丸分かりの有り様で固まってましたよ』と後でマリアさんに笑われた。

ということはその時わたしはマリアさんを、ひどく怒らせていたということだ。

 「どうしたのアリーちゃん、ぽかんとしちゃって。

そんな大口開けてぼんやりしていると、中に虫が飛び込むわよ」

手紙を読み終わったブラウニング船長は、わたしに目を向けるや否や、いつもの調子に戻った。

「あっ、いや、手紙をお読みになる船長のお顔があまりに、凛々しくてカッコよかったので、不肖アリアズナ・ヒロセ・ムター、しばし見とれてしまいました」

「マアッ、いやだわー、本当に?

冗談はよしてちょうだい」

ブラウニング船長は、文机に手紙を放り出すとアールデコ調の手鏡を取り出し、真剣なまなざしで覗き込んだ。

「ルーシー、どうかはっきり言ってちょうだい。

あたし、変?

アリーがあたしのこと凛々しくてカッコいいだなんていうのよ。

ああ、なんという屈辱。

絶望的だわ」

ブラウニング船長は薄っすらと涙ぐんで下唇を噛んだ。

どこから取り出したのかレース付のハンカチで目頭を拭うと、少し俯き加減のまま手紙を摘み上げてモンゴメリー副長に手渡した。

視界の片隅ではマリアさんが、壮絶な笑顔でわたしを睨んでいた。

スキッパーも『アリーやらかしたね』とばかりに小さく頭を振って溜息をついた。


『しまったー。

なんてこった。

虎の尾を踏んじまった。

竜の逆鱗に触っちまった』


マリア様のあの美しすぎる笑顔の帰結するところを想像すると、足が震えいきなり耐えがたい程の尿意がわたしに襲いかかってきて気が遠くなりかけた。

マリア様の御前で船長や副長に冗談を言ったり軽口を叩くのは非常にマズイ。

それが第七音羽丸一番のご法度であることを、うっかり失念していたのだ。

 「いつもと変わりはしないよルート。

アリーはまだほんのねんねなお子ちゃまだからな。

大人の女の魅力なぞ目に入りはしないし理解もできないだけだけさ。

だろう?」

モンゴメリー副長がやれやれという言う顔付でわたしに片眉を上げて見せた。

スキッパーも後ろ立ちになって船長の膝に前足をかけとりなしてくれた。

「イエスマム。

自分は成熟した女性美について、何事かを語るべき言葉も資格も持たない、愚かでおまけに物知らずな小娘であります」

直立不動で海軍式の敬礼をしながらモンゴメリー副長に即答した。

同時に不覚にもほんのちょっと小の方をちびりながら、横目でマリア様の顔色を伺った。

「そうだわよね、アリーちゃん。

あたしに見惚れるのはもちろん構わないけれど。

言葉には本当ーにっ。

良ーくっ。

注意してちょうだい。

女心が繊細なガラス細工のように脆くて傷付きやすいことくらいは、ションベン臭いガキのあんたにもわかるでしょうに。

あんたなんかよりスキッパーの方が余程デリカシーがあるわ」

ブラウニング船長の瞳の奥に、酸素不足になってチロチロと燃える黒炭みたいな、暗くて危険な焔を見たような気がした。

「イエスマム。

無礼をお許しくださいっ!」

 しばらくしてモンゴメリー副長が、読み終わった手紙をマリア様に渡した。

マリア様は無表情で手紙を受け取り、ちらっとこちらを見て微笑んだ。

その時わたしは再びちょっぴりちびったかもしれなかった。

スキッパーの鼻がピクリと動いて視線をこちらに流してきたが、武士の情けかそのまま捨て置いてくれた。

確かに彼は、デリカシーのある紳士的なジャックラッセルテリアだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?