見出し画像

ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #34

第三章 英雄:4

 上から下へ向かう肉体や心に対する陰湿な暴力は、階級社会には付きものの人間的営為だろう。

それこそ人が未だ猿だった頃から続く習い性とも言える。

つまるところそのことは、軍艦という密閉空間に閉じ込められた縦割り組織では、むしろ自然現象であったかもしれない。

 上官による暴力の根源となる精神の汚泥は、艦長から始まる艦内の階級社会において、上から順に滴っていくある種の毒の様なものである。

チェスターはそう考えていた。

 例えば、第七音羽丸でもクルー同士の揉め事や喧嘩などは日常茶飯のことだった。

それが苛めや非人情な狼藉沙汰にならなかったのはひとえに。

ブラウニング船長やコアスタッフの人柄が、有毒ではなかったからだろう。

 ブラウニング船長がこうした問題を、チェスターほど深く考えていたかと言うと、おそらくそうしたことはなかったろう。

トリッキーな言動で人を戸惑わせるものの、蓋を開ければ公正で私心の無いブラウニング船長である。

その人柄が、何か一つ間違えると良からぬ確執が起きそうな女性の集団を、おおどかでのほほんとした色彩にまとめていたのだ。

だが同時にそれはブラウニング船長だけではなく、モンゴメリー副長とスペンサー掌帆長の三人が揃って初めて作り得た、クルー相互の調和が無ければ叶わなかったことでもあったろう。

 ピグレット号から第七音羽丸を通じ、クルー選抜は訳あって、かなり用意周到に行われた。

最初に艦長、副長、掌帆長がピグレット号のコアスタッフとして任命され、その後でクルーの選抜が行われたのだ。

一艦丸ごとクルーを入れ替えることも、クルーを女性だけで構成することも、艦長、副長、掌帆長が二十代半ばであったことも、全てが異例ずくめだった。

だかしかし、練度も含めて、船長以下この三人抜きでは達成しえなかったクルーの仕上がりであることは確かだった。

 チェスターはと言えば、そもそも方法論を持たないブラウニング船長にはとても真似のできない論理思考で、艦内の平和とクルーの友和を目指した。

チェスターは自身の経験に照らして、上から滴る毒の本質を見極めようと大いに考えを廻らせた。

廻らせた考えの結論として第一に、メンツに拘った権威主義的な命令を、出さぬよう出させぬよう細心の注意をはらうことにした。

第二に、彼自身はそれこそ素のまま昼行燈と化し、飄々かつ茫洋と日々を送って見せることにした。

やる気の無さをクルーに知ってもらうために、各種訓練と作戦行動の指示や命令以外は、艦の運用をスタッフに任せきりにもした。

そうして、皆が呆れ心配するほどに、ずぼらな艦長として振る舞うように心がけたのだった。

 もっとも、いい加減で適当な勤務態度はチェスターの元々の性根にあっていた。

いつしか、それが意図的とは思えない域に達してしまったのは当人にも計算外だった。

“昼行燈を演じ毒を含んだ精神の汚泥を見極める”というお題目すら、自分に対しての情けない言い訳となってしまったことには、我ながらびっくりだった。

 なるほど、ぼんくらチェスターというふたつ名は、一般兵の間から親しみを込めて広まったものではあった。

だがそれは、意外にも正鵠を見事射貫いたあだ名だったかもしれない。

 チェスターは元より自分にカリスマ性があるとは全く思っていなかった。

彼が頼りなさげな様子なら、部下の中でも相対的に階級が高い者は、自身が負う責任を応分以上に果たさざるを得ないだろう。

結果として、足らざるは自分で考え補って行動しなければならない局面が多くなる。

そうすると職分を果たす為には下の者をうまく使いこなさなければならず、おのずから虐めなどと言う低次元な行為は慎まざるを得ないだろう。

チェスターは昼行燈を演じるに当たりそうも考えていた。

 艦長に任せておけそうにない仕事からは様々な責任の露がこぼれ出す。

その責任の露を、職務を遂行する過程で一般兵の末端までこぼれるに任せよう。

さすれば、責任の露は皆んなで受け取り、拭いて回らねばなるまい。

責任の露で毒は薄まるし、大勢で忙しく拭き掃除をしていれば、立場の弱い者を虐めている暇などあるまい。

解説して見せれば、実に底の浅い企らみだったと言えよう。

しかもそれは、熟考の末に辿り着いた論理的な帰結であったにせよ、自分が捕らわれている人間不信を棚にあげてでっち上げた、手前勝手な方法論としか思えない代物だった。

言い換えれば、自分では信じていない性善説をあてにした、単なる思いつきの域を出ないはかりごとだったのだ。

 状況によっては自分に死ねと命ずるかもしれない指揮官の、しかも艦上では神に等しい権限を持つ艦長と呼ばれる人間の能力のことである。

頼りない指揮官を助けてやろう、ここはひとつ自分が粉骨砕身頑張って見事任務を果たしてみせよう、などと考える純朴な将兵がいようはずもない。

 艦長は艦を運用する数百人の命を預かり、命令一過彼らに殺し合いをさせる現場を仕切る人間である。

無能であれば早晩解任されるか、後ろから弾が飛んできて甲板から永久に排除されるか、そのどちらか一方の運命に従わざるを得ない。

何かの間違いで無能なまま勤務を続ければ、艦と部下もろともやがて海の藻屑と消えるのが艦長と言う管理職なのだ。

と言う訳でそもそも頼りない艦長などこの世に存在できる道理が無い訳だから、チェスターの試みはまったくとんちんかんなものだった。

 チェスターのそうしたとんちんかんな自己演出は、当人が自覚していない作戦立案と戦術指揮能力の天才性をレベッカが陰に日向に支え続けることで許されている。

それが乗員もよく知るインディアナポリス号と艦長副長コンビの実情だった。

 統率におけるチェスターの空回りをよそに、インディアナポリス号のクルーは、ぼんくらチェスターが持つ天賦の軍才と無欲で私心の無い人となりに、ある意味心酔していたのだ。

そういった観点から考えると、インディアナポリス号はぼんくらチェスターとツンデレレベッカのファンクラブが運用している、と言っても良かったろう。

知らぬは当人ばかりなりであった。

 プロセスは全く違うものの、クルーが艦長に抱く評価と思いは、存外チェスターとブラウニング船長で、よく似ていたかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?