ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #26
第二章 航過:14
「まったく、ガキじゃないんだからさ。
チンピラみたいな言い掛かりをつけるにしたって、いきなり大砲を撃っちゃ駄目なの。
停船信号を送ってから臨検っていう手順を踏むのは、海事規則で決まってるわけよ。
喧嘩を吹っ掛けるにしたって、大人なんだからちゃんと決まりに従って手続きを踏まなきゃまずいだろうってこと。
うちの艦長はあれでも真面目だからさ。
ブラックパール号の後部甲板に、なんとかとっかんを思い止まる様にって必死で発火信号送ったんだけどね。
まあ、昨日今日兵学校を出たような青二才はすっこんでろってことでしょ。
ブラックパール号は惚れ惚れするような美しい開きを見せると、フォア、メイン、ミズンマスト全部の帆いっぱいに風をはらんだわ。
後はそのまま髑髏印戦闘旗をはためかせながらインディアナポリス号に向かって喜び勇んでまっしぐらよ。
ピグレット号のことはもちろんガン無視ね」
クララさんは遠い目をした。
右舷直第二班のみんなはクララさんのお話しに引き込まれて、呼吸すら忘れて掌に汗をかいた。
「そうなりゃもうどうしたってブラックパール号を止められないってことでね。
こっちも当初の全速航過を果たすべく、艦長は改めて交戦準備の命令を出したわ。
悲鳴のような号笛が響き、慣熟航空のはずだったピグレット号がいきなり実戦よ?
甲板はマストトップから下甲板まで、まんま上へ下への大騒ぎ。
総員必死の形相でヤードに取り付いたり、ブレースを握り締めたり。
上甲板では砲撃準備に入ったりと、それぞれの配置で大忙しだよ。
掌帆長が上げ続ける朗らかな笑い声が、これは訓練じゃない実戦なんだって、びしびし脳みそに突き刺さるのよ?
もしかしたらこれから命のやり取りがあるかもしれない。
みたいな?
情弱な感傷が入り込む一部の隙もないままそのときがきたの」
そのときがきた、とは?
クララさんのお話の間にも、第七音羽丸は巡航を続け今まさにインディアナポリス号のほぼ直上で、進路が交差しようとしていた。
トゲルンスルとコースを縮帆しジブとスパンカーに風を受け、開きを右舷に取りながらインディアナポリス号が航跡をひく。
その純白の肢体は例えようもなく優雅だった。
わたしは船が女性名詞で表現されることの意味を、その時初めて実感できたような気がした。
わだつみに見初められた淑女たるインディアナポリス号だったろう。
けれども彼女は就役以来、都市連合海軍から恐れられ続けてきた全戦不敗のフリゲート艦なのだ。
そんなこと彼女の優美な姿からは想像も付かない。
右舷直第二班のみんなもわたしと同じように感じたのだろうか。
クララさんの話の続きが気なりつつもどちらかというとポカン顔で、交差経路を取るインディアナポリス号に視線を向けていた。
今まで左舷で見物していた連中が一斉に今度は右舷に移ると、クララさんはインディアナポリス号を目で追いながら再び話し始めた。
「行き足を速めたとは言ってもブラックパール号は海上艦だからね。
うちらのほうがだんぜん優速。
後ろから風を受けて全速先行したピグレット号が、インディアナポリス号に接敵する頃には二千五百メートル程の距離ができたわ。
ピグッレト号は今とは丁度逆で、風に逆らってこちらに向かってくるインディアナポリス号の左舷前方から交差する形で接敵したの。
偵察担当も兼ねるシンクレアとその手下が次々に上げる敵艦情報を副長が短文にまとめた。
それを信号員が、発火信号と手旗信号を併用する二重伝達で、後方のブラックパール号に送り続けたわ。
インディアナポリス号ももちろん交戦準備中だった。
戦闘旗を掲げながら向かってくるとフリゲート艦と、高速航過を目論むスループ艦を目の前にしたら当然だよね。
格納が間に合わない可燃物と思しき物をどんどん海に投げ捨てていたし、トップ台で狙撃兵が配置に付いているのまで丸見えだった。
各砲が忙しく砲撃戦の準備を進めているのだって、双眼鏡がなくてもわかったわ。
妙だったのはこれから戦闘と言う時に拿捕船の曳航索を切っていないことと、大破した拿捕船の一本だけ残ったフォアマストのヤード、トップスルヤード、トゲンスルヤードのそれぞれに人員が配置されていたことだった。
ぼんくらチェスターが只者じゃない指揮官というのはこういうところにあるのよね。
敵の三手先を読み、そのとき想像できる戦闘の展開を有利に進めるためには、無駄に終わるかもしれない準備を怠らない。
あの時点で、ぼんくらチェスター自身も艦長になって一年は経っていなかったはずよ。
売り出し中の新進気鋭の艦長として、こっちの上層部でも注目しつつあった時期に起きた遭遇戦だった訳だけどね。
うちの海軍情報部も良い仕事をしていたわ。
査問委員会に呼び出される前に海事人別帳を確かめたら、チェスター・アリガ・ヨーステン海佐についての尋常ならざる経歴情報が、星三つの評価ですでに書き込まれてたからね」
「査問委員会?
なんですかそれ」
話の腰を折るなとアキコさんにどつかれた。
「いきなり交戦だからね。
当然下士官以上は艦隊から事情を聴かれるわけよ。
それが査問委員会・・・
まあそんなこんなでピグレット号は、強行偵察を目的とした第一航過を何とか無難にこなしたわ。
戦時であれば直上航過だから飛んで火に入る夏の虫ってことで、情報と引き換えに嫌と言う程対空砲火を浴びたはずよ。
こっちだって本来は強襲攻撃をしながらの偵察だしね。
ぼんくらチェスターがブラックパール号の艦長並みに好戦的な単細胞だったら、ピグレット号も最初の航過から無傷じゃすまなかったと思う。
うちの艦長も馬鹿じゃないからね。
どうぞご勘弁をって意志表示で、砲門は閉じたままで航過したのをちゃんと読み取ってくれてたわ。
これが後で査問委員会で問題になっちゃったんだけどね」
クララさんがしょうも無い話よと、肩をすくめた。
みんなの頭の上に?が立った。
「違法な戦闘行動であったとはいえ、交戦準備に入って強行偵察を仕掛けた以上、砲門を閉じたままだったのは規則に反するってね。
頭の固い軍令部のじいさんばあさんがうるさくさえずったのよ。
まあ、そのことはおいといて。
とにかく、ぼんくらチェスターのお情けで第一航過はあっけなく終わったの。
だけどね。
その後ヤードを回して、帆の開きを変えて、よっこらさと旋回しなきゃならなかった。
航空艦は追い風に乗って直進するときはすばらしいスピードで航進するけど、細かい進路変更や回頭はめちゃめちゃ不得意だからもうたいへんだったよ。
狂女のように高笑いしながら指示を飛ばす掌帆長に、みんなまるで田舎から出てきたばかりの小間使いのように追い使われたわ。
ブレースを引いたり、ヤードに上がって展帆や縮帆を繰り返したりと大忙し。
目まぐるしく変わる状況をこなすため、息つく暇もなく身体を動かし続けたわ。
苦労の末、ピグレット号がなんとか回頭してようやくインディアナポリス号を追跡し始めたときには、一万メートル位の距離が開いていた。
おまけに第二航過は向かい風に対して切りあがって行くことになるから、何度か上手回しで帆の開きを変えなければ成らなかったの」
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