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好きな景色

私は愛知県の岡崎市に住んでいる。
家の周りには小学校があり、田んぼが広がり、国道一号線が走っている。

その中でも私の好きな景色は、noteを投稿するときによくトップ画として使っている田んぼの風景だ。

3年近く住んでいるが、この景色がすごく好きだ。
特に夕方の景色はものすごく気持ちがいい。

そんなことを思いながら在職時もコロナで外出自粛するよう言われていた時も退職してからも毎日のように歩いて、眺めていた。
時には、泣きながら歩き、大声で好きな歌を歌いながら歩いた。

毎回、歩くたびに思うことがあった。
よく見るとゴミが多い。。。

ものすごく気になっていた。
そこで今日、ごみ拾いをした。

ごみ拾いとの縁

ゴミ拾いと私は縁がある。
中学2年生のときの私は、成長期と激しい野球部の
練習が重なり、膝のケガをした。
4カ月ほど松葉杖で生活していた。
今も右膝は曲げるたびにパキパキ鳴る。

そんな状態だった私は、部活に行くも やることがない。キャプテンだったのに。
なにもできないもどかしさも相まって、
部活の日は松葉杖をつきながらゴミ拾いをした。

当時「グランドに落ちているごみは拾いなさい」という教えだったような気がする。
中学、高校時代は、ユニフォームの後ろポケット
には拾ったごみがたくさん入っていた気がする。

が、松葉杖をついてまでなぜごみを拾おうと
思ったのかは覚えていない。

そんなことをしていたら、
市内の各中学校で一人ずつ優秀な生徒が選ばれ、
市から表彰される賞みたいなものに選ばれた。

なんで選ばれたのかわからなかった。

野球の練習を毎日しているチームメイトのほうが
大変だし、他にもいい生徒はたくさんいた。
なにもしてないのに。と思っていた。

まぁ、こんな感じでゴミ拾いとは少し縁がある。

今日、ごみ拾いを思いたった理由

今日、ごみ拾いしたのは、以下の理由だ。

・好きな景色をよりきれいにしたい。
・見て見ぬふりをしたくない。 
・細かいことにも気付ける人間になりたい。

仕事を辞め、3カ月以上経ったが、
ものすごく自分と向き合った。

前職のときの私を振り返ると、
人への感謝を忘れ、
自分しか見えなくなり、
自分の仕事じゃないと見て見ぬふりをし、
自分・他者含め細かいことから目を逸らし、
他者を優先し、なにかと後回しにしていた。

また、会社には人ごとに仕事が振られているが、
自分の仕事じゃないから、、、
隣の課の仕事だから、、、
という雰囲気が嫌いだったが、
その雰囲気に慣れていった。

もちろん、
他の人の仕事を自分ができるわけでもなく、
してあげれるほどの能力も余裕ないが、
そういう雰囲気が嫌だった。

考えないでいいことを考え、
他の人と比較したり、自分から目を背け、
周りが見えなくなり、
自分で自分を苦しめ、自滅した。
ほんとに愚かだったと思う。

そんなことに気づけなかったほど、
自分で自分を苦しめていた。
あの時は、記憶にもないほど追い詰めていた。

この3ヶ月は財産だと思う。

ゴミを拾うと普通に散歩するより、
かがんだりするからきついなと感じた。

結果、小さい袋3つ分くらいのごみが拾えた。

案外、多かった。
でも好きな景色がよりきれいになる。
自分の好きな景色を、誰かにも好きになってほしいから。

今日の景色はなんかすっきりしたように見えた。

おわり

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