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懲役15年

懲役15年、執行猶予5年。こう例えたら良いのだろか。

決して良い表現ではない。自分の解釈でこのように捉えているからだ。

もちろん自らが犯した罪ではない。

親が借入した多額の負債の保証人となった。しかも自宅を全部根抵当に入れてまで。

ここまで借入してまで会社をやる必要が


結果的に冤罪を被ることになった。当然、酌量の余地などない。

現在服役中して、獄中と言う会社の中で罪を償うことになる。

救いの手なんか無いと思っているし、差し伸べられてもそんなもの信じない。

助けも求めようとも思わない。いろんなところに相談した。結果は、対岸の火事レベルでしか考えられない連中ばかりで話にならない。そんな奴らにいくら相談しても時間の気力の無駄である。

相談者をひたすら探せというのか。探すだけで気力と体力を持っていかれる。

こうなったら余計なことなど考えず、ひたすら罪を償うだけしか方法はない。

人は生まれてくるのに理由がある。

その理由とは試練を与えるためで、修行するためである。

解釈は人それぞれだ。しかし、こんな残酷なことなどあるのだろうか。

その中で、自分は何のために生まれてきたんだろう。

これを今も尚、何度も自分の中で繰り返し唱えている。

後始末するために生まれてきたんだ。

これも選ばれてきて生まれた理由か。

残酷だ。

もしかしたら獄中死するかもしれない。

出所はできない。

ただこの世から消える方法はいくらでも有る。

全て燃やして、その中で自分も燃えて灰と共に消えてしまいたい。

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