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言語化して良いものといけないもの

こんにちは!最近改めて言語化の大事さを感じてます。自分の考えを言語化することで、整理ができる、新たな気づきがあることを実感しています。

毎日投稿を続けているnoteもそうで、頭の中の思考を文字にすることはとても役に立っています。逆に、なかなか文字にできない思考は整理できていないってことになるしね。そんな時は一生懸命考えます。この記事書いた時とかそうでした。(整理するのがなかなか大変だった)

最近だと自分のコーチングの構造を言語化できるようになって、そのおかげで振り返りや反省もだいぶしやすくなりました。課題も具体的かつ明確になってきた。

自分のコーチングを言語化することはこれからも続けていきたいし、必要なことだと思う一方で、自分のクライアント体験(コーチングを受けた経験)は言語化すべきなのか迷っているのです。

言語化って、「自分の頭の中に存在する言葉」を使って、自分の頭の中やいろいろなことを表現する行為じゃないですか。(あたりまえのこと言うな)

つまり、「自分の頭の中に存在する言葉」でしかその体験を表現できない。ってことじゃないですか。(あたりまえのこと言うなその②)

これって果たして良いのかな?って思ってしまうんですよね。なんか、逆にその体験がチープになってしまうんではないかと思ってまして、、

世の中には、言葉で表せない感情がたくさんあると思っています。絶景を見たときに言葉が出ずにただ立ち尽くすあの瞬間とか、、言葉で表さない方が、素敵なことってたくさんありますよね。

それってすごく大切なことで、わざわざ言葉にすると逆に嫌ですよね。きれいな夕日みているとき「うわあ・・」って言葉を失った方が感動してる感じじゃないです?

そういう体験や感情を大切にしたいし、大切にしてほしいので、「何でもかんでも言語化や!!」ってするのは少し違和感があるのです。

でも、ぼくはコーチなので。コーチングの素晴らしさを周りの人に伝えるために、コーチングの中で起きていることや、コーチが使うスキル、効果などなどを言語化する必要があると思っています。「いいな、自分の役に立つかも」と思ってもらわないと始まらないからね。

だからぼくは今日もnoteを書き続けるし、自分がコーチングの中で体験したこと、経験を伝えていくぞ。自分の中のそれがチープになったとて、いまは「だれかに伝える」ことの方が大事だと思うからだ。

ここまで書いてきて、言葉だけじゃなくて絵とか画像を使って表現するともう少し幅が広がりそうだな。と思ってきた。

なので、ちょっと自分の目指す姿とか、コーチングを受けて体験したことを言葉と画像を使って表現してみるぞ。

コーチング受ける前の自分は、なにをしても「欠乏感」が消えなかった。なんか、こんな感じ。走っても走っても前に進まない感じ。

いい運動にはなるのか、、?

それが、コーチングを受け続けて、少しずつ自分の大切にしたいもの(価値観)が見つかり、いまはこんな感じかなあ。伝わるかなあ。

めっちゃ絶壁で自分でも笑った(でも空がきれいだなー)

うんうん。なんか楽々人生楽しめるようになりましたーって感覚とはちょっと違くて、今も結構大変なんだけど、上にはきれいな景色とかがありそうだなって感じ?(にしても大変そうだな)

あと登ってる間も、周り見たらきれいな景色あるしね。それも見て良いなーって思いつつ登ってる感じかな。もうちょい周りに森とか、きれいな風景とか広がってる画像が近いかも。いいのがあったら更新します。

そんで、この「命綱」が自分にとっての「コーチ」だと思うんだな。「命綱」があるから、思いっきり全体重を預けて登り続けることができている。「命綱」なかったら、慎重に、慎重に、ビビりながら全然進んでないかも。途中で降りちゃうかもね。

「命綱(コーチ)」は特に何もしないし、登るのは自分なんだけど、絶対に自分を支え続けてくれる。それを信じてぼくは登り続ける。うん。なんかしっくりきた。

だから自分は「コーチング」を受け続けています。そしてそんなコーチを目指しています。

noteを書きながら、もう少し表現能力を上げたいと思えたので小説などなどに触れたいと思いました。


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