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島と静けさの芸術、星野道夫

僕の住んでいる香川県はかなりの田舎です。全都道府県の中でも最少の面積ですし、うどん県やゲーム条例でたびたびネタにされてたりします。新幹線も通ってないので、初めて乗った時はテンションが上がりましたし、地下鉄の値段の安さには驚かされました。好きなMr.Childrenや米津玄師も、客を呼べるキャパの会場がないので中々来てくれません。それでも、今年の夏にはAdoが来てくれるのが幸いです。彼女のライブには絶対に行きます。


ですが、僕はこの香川県が実に肌に合います。うどんが美味いのはもちろん、文化的な面でも実は結構栄えています。本屋、古本屋はここ数年でかなり増えましたし、何より瀬戸内国際芸術祭の本拠地ということで、三年に一度カルチャー界隈は盛り上がりを見せます。去年僕は全会期で使えるパスポートを買い、友達や彼女を連れて様々な島を巡りました。


島では数々の個性的なアートを堪能しましたが、何よりも印象に残ったのはその静けさです。人で賑わう船着場を除けば、ほとんどの島には音がありません。島の中でも発展している小豆島は別ですが、そこすら街中を離れれば、すぐに静寂に包まれます。音のない、クッキリとした青空の下、鳥の声や海のさざなみ、風に擦れる木の葉の音が鮮明に耳に入ってくると、自分がどれだけの雑音に囲まれて暮らしているか、痛いほど思い知らされます。


僕は普段、食肉工場に勤めていますが、絶え間なく動き続ける機械の音と、集中力を切らさないために流れているJ-POP。金属製のバッカンや大きなタンクに肉の切れ端、脂を放り込む音。それらにかき消されないよう、大きな声でやり取りを続ける作業員たちの声など、強烈な音に囲まれながら仕事をしています。帰宅中には音楽を聴き、家に着くとYouTubeで動画を、Amazonプライムで映画やアニメを見たりと、意識がある間、音が途切れる瞬間がほとんどありません。そう思うと、文明とは、騒音の類義語かもしれません。


星野道夫という、アラスカに在住しながら写真やエッセイを残し続けた、僕も心の底から敬愛する文筆家がいます。彼は著書「旅をする木」の中で、氷海からザトウクジラが飛び上がり、とてつもない飛沫を巻き上げながら海にダイブする様子を、友人と見た時の話を書いていました。その友人は東京に帰った後、こう語りました。


「本当に行って良かった。何が良かったって? それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない。それを知ったこと」


この話を聞いた時、僕が香川を好きな理由はこれかもしれない、と思いました。もちろん香川にザトウクジラはいません。しかし、日々の生活がどんなに雑音で満ちていても、船で一時間未満で行ける場所に着くと、流れている時間はゆったりと、静かなものに変わります。音楽もインターネットも絶ち、そこに身を委ねると、生きるという行為は本来こんなにも穏やかなんだと、心が軽くなるような気がするのです。


芸術が病んだ心に対する特効薬だとすれば、この静けさもまた、芸術と呼んでいいのではないでしょうか。

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