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7/1 キレのいい創作活動


「どうして何年も精力的に書き続けることができるのですか?」


「クソを垂れるのに理由があるか?」


僕の好きなブコウスキーという作家が、短編小説の中で発した一言だ。ヨボヨボの老作家の元に、ジャーナリスト志望の大学生がインタビューをしに行く話だが、この老作家は間違いなくブコウスキー本人がモデルと考えていいだろう。


彼らしいパンクな落語精神が炸裂したワンシーンだが、実際に小説を書いていると、このシーンを思い出すことがよくある。


今月の17日に行われる「海の見える古本市」に向けて「Awekenig」という小説を書いているが、これがどうにも上手く進まない。オチとなるイメージは頭の中にあるが、どうしてここに至ることになったのかの明確な「過程」が中々出てこない。机の前に座ってもTwitterや本に気移りし、酒を飲んでやる気を出そうかと思えば、そのまま眠くなって寝てしまう。


「やべ、書かないとなー」と思えば思うほど執筆のやる気は削がれていく。一回この悪循環に入ってしまえば、過程に繋がるアイデアが出てくるまでは悶々とした日々を過ごすことになる。それは何かの拍子で出てくることがあるが、大抵「書かないと、書かないと」と焦っている時には出てこない。


これはまさにブコウスキーの「クソを垂れる」に通づるものがある。出る時にはところ構わず勝手に出てくるが、出そう出そうとしている時に限って中々出てこない。そしてどんな時でも快便は心地よい感覚を後に残すが、気張りに気張ったクソは労力の割に大したものが出ない。お腹に残った煮え切らない感覚も最低だ。


創作の根底にあるのは「他力本願」だと思っている。もちろん本人の努力によるインプットや継続は必要だが、創作物に宿る「生き生きとした魅力」のようなもの。こればかりはどれだけ頑張っても努力で捻り出せるものではない。それはクソのように勝手に出てくるし、止めようと思っても止められない強烈な生理作用だからだ。出ないなら待つ。それが僕にとっても、作品にとっても一番健康だろう。


というわけで、執筆の合間にこんな日記を綴ってみた。こんなことをしている場合ではない、と思ってもいるが出ないものは仕方ない。あー、もう少しで出そうなんだけどな。

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