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公園のベンチをきれいにするのはなんのため?

会社の給湯室。

昼間は電気をつけなくても全然困らない。窓があるから。でも、私は昼間でも給湯室に入るときには必ず電気をつける。なぜか?

よく誰もいないと思って無防備に給湯室に足を踏み入れた結果、先客が電子レンジでお弁当を温めていたり、カップを洗ってたりすると、「あぁあ、なんか、すいません……」って気分になってしまう。別にこっちは(あっちもだけど)全然悪くないのに。

心の準備ができてない分、ドギマギしてしまう。

大抵の人にとって電気は暗いときにつけるものなんだろう。
でも私にとっては「給湯室に人がいますよ」ってお知らせランプだ。電気がついていれば給湯室に入る前に廊下に漏れる光で人がいることがわかる。

そうすると後から来る人が、前もって「だれかいるのかな?」って心の準備ができると思うから。

と、こんな風にできごとをどう捉えるかによって行動は変わってくるものだと思う。


先日もう一つ思ったことがあった。

朝の公園。

朝、職場につく前に公園に立ち寄るってことをときどきしている。
静かな時間に、自然の中で、ベンチに座ってコーヒーを飲むことで、自然と頭と心が整う気がするからだ。

ただ、どうやらその時間が、公園管理のおじさんの仕事時間と重なることが多いみたいだ。私がコーヒーを飲んでいると、ベンチの拭き掃除を始められる。しかも私の座ってる隣のベンチから。

そうなると、ああ、そこが終わったら次はこのベンチかって思うと落ち着かなくて、ぐっとコーヒーを一気に飲み干して席を立つ。

何回かそんなことが続いた後に、若干モヤモヤしてる自分に気づいた。

せっかくくつろいでるんだから、ベンチ拭きの時間をずらしてくれてもいいのに! いやいや、そんなことしてたらおじさんの仕事が終わらないじゃん。
じゃあ、遠い方のベンチから吹いてくれてもいいんじゃない? いやいや、おじさんはいつもこの順番でベンチを拭いてるんだから手順変えたら気持ち悪いし、拭き忘れがおきても困るでしょ?

なんて自問自答してみた。

そんなときにふと思った。「ベンチを拭くのは何のためだろう?」って。

おじさんにとっては「仕事だから。決まった時間に拭くよう言われているから」かもしれない。ちゃんとやらないと上司に叱られてしまうのかもしれない。まあ、そうだよね。

でも「利用者が公園を快適に利用するために、きれいなベンチを維持する」ってのが目的だったらどうだろう?

だとすると、快適にくつろいでる利用者(私のこと)を追い立てるような行動は本末転倒なんじゃないだろうか?

なんて、ごちゃごちゃ考えてみたんだけど、言いたいことはただ一つ。

「あと、5分ゆっくりコーヒー飲ませてください!」

でした。ご清聴ありがとうございました。


 お前があと5分早く公園行けばいいだろうがってのは重々承知しております。でも、ちょっと早く着いたつもりでも、なぜかおじさんのベンチ拭きと重なっちゃうんですよねえ。おじさんがこっち見てて私がコーヒー飲みだすと「さてベンチでも拭くか」って動き出してるんじゃないかって思うほど。

ちなみに、私がベンチに座り続けてたらどうなるのか? は試したことがないのでわからない。「どいて」って言われるか、私の座ってるベンチは飛ばして次のベンチを拭きに行くのか? でも、気が小さいので、そこまで耐えられないから一生わからないと思う。

《終わり》

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