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敏感で繊細な僕が不登校になったのは「健康診断」がきっかけだった

ちょうど1年前、最寄り駅で電車を待っていると、小学校のときに隣のクラスの担任だった先生にばったりお会いしたことがありました。しかも同じ電車に乗るとのことだったので、移動中に当たり前のように近況報告や昔話に花が咲いたのですが、

そういえば、キミは昔っから正義感が強かったよなあ

と先生がおっしゃって、思わずハッとしてしまいました。

典型的なHSC(Highly Sensitive Child=人一倍敏感な子ども)だった僕は、とくに正義感が強く、かつ怒鳴り声や大きな音が本当に苦手な子どもでした。とりわけ(いまでもそうなんですが)「怒鳴り声が苦手」な側面が大きく、誰かがルールを逸した行動を取っているのを目撃すると、先生が怒るより前に僕が怒ったりして、それがモメ事の火種になることも日常茶飯事でした。

それが爆発したのは、中学校入学してすぐの健康診断のこと。

順番待ちの列の中で、ヒマを持て余してふざけ始めた男子たちがいました。いまとなってはまあ、何もせず並んで待つという退屈さ故にふざけ始めるその心理はなんとなくわかります。でも17年前の僕はそんなこと微塵も思いませんでした。

もう周りに自分のことをよく知る小学校の先生はいません。逆にこちらも、どの先生が鬼のように怒り、どの先生が温厚なのかもまったくわかりません。そして僕は「怒鳴り声が苦手」です。つまりこの状況、誰がどんなふうにふざけている男子を一喝するかもわからない。はっきり言って地獄も地獄なのです。

それが、正義感の強さを駆り立てました。

気がつくと、僕は涙ながらに、いつの間にかやってきた先生やクラスメイトに体を抑えられて止められていました。先生が怒る前に自分がふざけている男子たちを注意したのですが、それが聞き入れられなくて怒っていたのです。

当たり前ですが、ふざけている側も「なんでコイツにキレられなきゃいけないのか」意味がわからなかったでしょうし、なにより僕の側も正しい怒り方や注意の方法を知らなかったのも問題ではありました。冷静に「怒られる声が聞きたくない」と言えていればよかったのかもしれませんが、HSCの「エ」の字も知られていなかった当時はそんな理由、生徒同士はもちろん先生にすら受け入れてもらえなかったと思います。

17年前の僕の記憶は、先生やクラスメイトに止められているその時点でぷつっと途切れています。その後どうやって手を打ったのか、きちんと健康診断を受けたのかまったく覚えていません。次に記憶があるのは、その夜、家で電話を受けた母の姿でした。声の内容から学校からの電話なのは明白で、かつ件の健康診断での出来事について話をしていることもよくわかりました。感覚の鋭さはこういうところにも生きてきます。

電話を切ったあと、母はこう言いました。

あんた、今日学校でなんかあったんやって?

またそこから、その問いに自分がどう返答し、どういう会話をしたのか覚えていません。ただひとつ、感じたことだけが記憶に残っています。

こうした「先生が怒るより前に自分がキレて、後々モメ事に発展する」ことは、小学校のころから日常茶飯事だったことは書きました。しかしいちいちそのことで、学校から電話がかかってくることはありませんでした。でもこの夜、中学校からこのことで連絡が来た。ということは、もしかして今後こういうことを毎度起こせば、そのたびに家に電話がかかってくるんじゃ?

そう気づいた瞬間、僕は一気に学校という場所に行きたくなくなりました。この数日後、僕はなにもないのに学校を休み、不登校の道を歩みだしたわけです。これもまた親から当初すごく怒られたのですが、それはまた別項にゆずります。

まさか17年経って、この「怒られている声が苦手」という人が不登校に限らず大勢いること、そしてこのエピソードが受け入れられるようになったことが、少し信じられない思いでいます。もしも、この当時から「怒られている声が苦手」ということを周囲が理解してくれていたら、自分の人生はどう変わっていたのだろう?と思ったりもします。

先日HSCに関してフリースクールの親の会で講演させていただいたのですが、そのときにこうしたエピソードにものすごく興味を持ってもらえたので、またnoteで少しずつ子どものころから繊細で敏感だった僕がいかに学校生活を送っていたのか、書いていこうと思います。

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