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クーデター後のミャンマー、民主化へ時の針を止めるな

 青森県の八戸市を中心とする県南部で広く読まれている地元紙「デーリー東北」。同紙の人気コラムで複数の寄稿者が執筆する『私見創見』を2020年から2カ月に1度のペースで書かせていただいています。
 第6回は、2021年2月16日付から。この年の2月に国軍がクーデターを起こして民主化を逆行させたミャンマーについて、憤りつつ書いています。
(※掲載時の内容から一部、変更・修正している場合があります)

ミャンマーの最大都市ヤンゴンを正午に出発した車は、ゆるゆると北を目指した。目的地は当時、外国人記者にほとんど公開されていなかった同国の新首都ネピドーだ。2007年3月下旬のことだった。ヤンゴンから北へ約450キロメートル。9時間あれば着くと聞いていたが――。

2021年2月1日、国軍が突如クーデターを起こしたミャンマー。民主化を率いてきたアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相がネピドーの自宅で拘束・軟禁されたと速報が流れた。

時計の針を逆に回した軍の横暴に憤りを感じつつ、「短期間で劇的に変わった国ゆえに、起こる困難は想像以上だろうな」と、初めてミャンマーを訪れた日に思いを馳せていた。

2007年に戻る。ネピドー行きに現地の通信員が調達したのは、日本で1970年代に人気だったカローラの輸入中古車。熱帯の荒野を走るなら「エアコン付きがいい」と探してくれた。

だが、エアコンを入れるとガクンと出力が落ち、最高で時速30キロしか出なくなる。全土で停電が常態化していた当時は車道に街灯がないため、日が落ちると周囲は真っ暗だ。そのせいか、人々はライトを点けた車に近づいて道端を歩く。時にはワラを山のように積んだ牛車が急に前をふさぐ――。むしろ危なくてスピードが出せないのだ。

午前2時過ぎになって、ようやくネピドーに到着。ほうほうの体でホテルの部屋に入るが、砂埃にまみれた体を洗い流そうにもシャワーが出ない。翌朝、街に出ると商店やスーパーなど買い物できる場所も見当たらない。

取材を終えてホテルから原稿データを送ろうとしても、アナログ電話のダイアルアップ回線しかなく、雑音がひどい。混線も激しいため、安定的なデータ通信ができなかった。

時は進んで2010年3月。軍政が総選挙実施を目指していたタイミングで、再びネピドーを訪れて驚いた。多くのビルが建ち並び、国会議事堂など大きな政府関係施設の建設も進んでいた。ホテルもLAN回線でネット接続ができた。市内にはスーパーやショッピングモールが完成し、カフェや飲み屋もあちこちに増えた。

3年前には14時間かかったネピドー―ヤンゴン間にも高速道路が開通し、5時間で走破できた。日本からの輸入中古車も明らかに新型車が増えた。

人々の生活も大きく変わった。2007年に権利購入を含め1台3000米ドルほどもした携帯電話が、3年後には数十ドルで端末とSIMカードを買えるようになった。その後はスマートフォンが急速に普及。多くの人がネットにつながり、SNSで自由に発言するようになっていた。

日本なら戦中から現在まで約80年間かかった変化を、ミャンマーはここ10年余りで経験したといえば大げさだろうか。1960年代から続いた軍事政権の独裁に終止符を打ち、2011年にようやく総選挙を実施して民主的な政治に移管した。

軍政を批判していた欧米諸国との関係回復も進み、海外からの投資が集まって経済は急成長した。日本企業の進出も急増。青森県からもオカムラ食品工業(青森市)が、すしネタ用サケの加工工場を現地に設けた。

2015年の総選挙ではスー・チー氏ら率いる政党、国民民主連盟(NLD)が圧勝し、軍政系政党の議席を上回った。国民も軍政の息苦しさから解放され、自由を謳歌し始めていた。

そんな民政下の太平を、今回のクーデターはわずか10年で打ち切った。2020年の総選挙もNLDが圧勝したが、国軍系が「投票不正があった」とかみつき、こじれたのが今回のクーデター前夜の状況だ。大多数の国民が反発し、今や全土で反軍政デモが拡大している。

世界を見ると、ミャンマーに隣接する中国が経済的に台頭した一方、米国の影響力が退潮した。各地で自国主義が幅をきかせ、地理的に近いタイやカンボジアも強権的・独裁的な政治体制が勢いを増した。ミャンマー国軍もそれを見越してクーデターを実行したとの指摘もある。

だが、民意を踏みにじる実力行使で生まれた政権が、長くもつのか。中国のように軍事力と経済力に裏打ちされた統治体制と違い、それらがないミャンマー国軍が銃とネット遮断だけで国民を統制できるのか。

民主化へ向かう時計の針は巻き戻せない。願わくは流血の事態もなく、穏やかで優しいミャンマー国民がその優秀さを発揮できる社会に、早く戻ってほしいと願っている。

(初出:デーリー東北紙『私見創見』2021年2月16日付、社会状況については掲載時点でのものです)

【後記:2024年3月28日】現在に至るまで、ミャンマーは国軍が政権を握る状態が続いている。3月27日はミャンマーの「国軍記念日」。この日は首都ネピドーで軍事パレードを開催するのが恒例で、筆者が初めてミャンマー入りしてネピドーを訪れた2007年も、この国軍軍事パレードの取材が海外のジャーナリストにも許可されたからだった。
 その軍事政権だが、現在はミャンマー国内で勢力を強めている少数民族の武装集団に目を光らせる(弾圧する)のに力を削がれている。軍事パレードの規模も縮小気味だったようだ。

 2024年2月10日には、国民に兵役の義務を課す「国民兵役法」(2010年制定)が発効し、いわゆる“徴兵制”が始まった(実際の徴兵実施は2024年4月下旬からとの報道もある↓)。これを回避しようと、裕福な層はタイなどの海外へ移住や留学をする動きも活発化してきた。

 2021年2月1日のクーデターから3年が経過したが、はっきり言って国民からの人気も信頼もないミャンマー国軍は“四面楚歌”の状態ではある。欧米を中心に国際社会も燃料を売らないようにするなどの制裁や圧力を強化している。少数民族の武装勢力との対立が本格化すれば、状況はさらに混沌としていく。民主化の回復への道筋は、なかなか見えてきていない。

(了)

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