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2020年11月7日:承認欲求

最近身体中が痒い。ダニに物凄く刺される。ダニ避けスプレーをしているのだが、一向に痒さが治る気配がない。

さて最近自分の承認欲求が強くなっているのだ。それというのもnoteを始めた事によって日に日に強くなっている。

そもそも何故noteを始めたのか。自分はHSP、いわゆる繊細さんの傾向がある。繊細さんはなんでもいいから表現をすることが大切だと本に書いてあった。じゃあという事でnoteを始めた次第である。

最初は本当に書きたいこと思うがまま書いていたが、ある日突然noteから通知がきた。何かと思えば”いいね”がきていたのだ。正直びっくりした。こんな駄文でも見てくれる人がいるのかと。もちろん公開しているから読まれるだろうとは思っていたがまさかいいねが来るとは思いもしなかった。

特に驚いたのがこの日記。


現在時点で6個ものいいねがついているのである。100個とか平気でいいねつく人には大した数字ではないだろうが、自分としては勝手気ままの無秩序な文章にこんなにもいいねがつくとは思わなかったので驚いたと同時に恐怖感も抱いた。自分の日記を書いたことによって他の人にも影響を与えてしまう。そう思ったからである。

不思議なものでこれを機に次第に自分の文体が少しずつ変わっていくのだ。これを読んでくれる人に少しでもいいと思える文章を書こう。冗談を入れたり、何か役に立つアドバイスを入れたりと。無秩序な文章には変わりないが少しずつ自分の文体が変わってくる。他人との交わり合いで文章が有機的に形成されていくのである。

そして、労力を使って文章を書き上げたのだからみんなに見てほしい。いいねが欲しいと通知欄を気にするようになる。労力の割りにいいねの数が少ないと少し凹む。そんな生活になっていった。

承認欲求はどんどん膨らんでいくばかり。しかもこれの厄介なところはたとえ自分で承認欲求に振り回されていると気付いたとしてもコントロールができないという事である。人間である以上これは宿命と言っていいだろう。

「いいねもうちょっときてもいいんじゃないかな。この際、いいねをもらえるような文体にしてみようかな」

しかしふと我にかえるのである。自分の性格を上手に生活に活かす為にnoteをやっているのにこれでは意味がないのではないか。

もし本気でいいね集めをするならば、タイトルを扇動的にして分かりやすく断定的に主張すればいいねを集められるだろう。今のネット記事はそんな感じだ。ちょっと前だったらコロナに関する事。今ならアメリカ大統領選挙か。政治系はいいね稼ぎをしやすい傾向にある。

しかし、私はそこまでする気にはなれない。そもそもそんなので本当に承認欲求なんて満たされるものなのか。他人や世の中、そして自分に嘘をついてまで信念を曲げてまで欲望を満たそうとするならば、自分の中で何かが崩れるような気がするのだ。なんていうのか。いくらお金を積まれてもここだけは譲れないというものがどんな人間にもあると思う。もちろん、切羽詰まっている時やどうしようもない時は自分の信念を曲げてまでお金を手にするということもあると思う。それも一つの生き方である。しかし、充分生きていけるのに、それでも欲望に支配されて自分を曲げるのはいかがなものか。


私はそこまでまだ承認欲求に支配はされていない。しかし、人生どうなるかわからない。ほんの些細ないな事で道を踏み外してしまうなんてザラである

承認欲求は人間である以上消える事なんてないだろうし、今後付き合わないといけないものだろう。うまく付き合いたいものである。

また機会があったら承認欲求との上手な付き合い方でもnoteに書きたい。

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