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2020年11月6日:自由

さてさて困った困った。そう、今書くことが見つからないのである。昨日の日記では大口叩いてnoteで書きたいことがいっぱいあるんじゃーー!!と宣っていたのに、早速の舌も乾かぬ内にネタ切れ宣言とは!


昨日に限らず前から書きたい書きたいと述べていたのにどうしたのものか。

正確にいうと確かに書きたいことはある。しかし、筆が進まないのである(パソコンだからキーボードかな?)。朝は色々と何か描こうかと考えたり、小説を読んだりしていた。しかし午後になると眠くなりダラダラしたり昼寝などをしていた。

感情は移ろいゆくもので、前までの感情と今の感情とはまるで違う。あれだけ熱意があったものが突然と冷めていくなんてザラである(神経科学的に言えばホメオスタシスが働いており、文学的に言えば諸行無常へと感情が揺らめいている)。

しかし、このような気分になるのは前日からなんとなく分かっていた。何故か。それは今日が”休み”の日だったからである。

はて?と思われた方もいるかもしれない。しかし、おそらく皆さんも体験したことがあるのではなかろうか。仕事がある日などは空き時間などの学習が捗り、休みの日などはダラダラとして時間を無為に過ごしてしまうことが。因みに仕事中などは勉強のやる気はあるのに仕事が終わってから結局せずに寝るというのも体験したことはあるのではないだろうか?私にはある!

学習に限らず様々なことに言える。芸術、戦争、発明。困難や制約が爆発的な力を生む。しかし障害もない余白が沢山あり全てが自由だと途端に露頭に迷ってしまう。

人間は自由に”なりすぎる”と迷ってしまうのだ。何百年前の思想家などはこの事を見抜いていた。偉大な数学者で哲学者のバーランド・ラッセルは『幸福論』の中で自由の行き過ぎは不幸を招きやすいと述べている。選択肢が多すぎると人間迷ってそれが不幸の原因になりやすい。だから、幸福になりたかったら計画を立てる必要があると、そう述べている。ラッセルの『幸福論』と並んで、こちらも同じ題名の書籍を書いたフランスの哲学者アランの『幸福論』の中でも似たような事を述べている。

考え過ぎは良くない。散歩をしなさい。と


現代の実用書やビジネス書にも心理学の実験で示さられる結果を引用して、選択の多さや自由さが却ってネガティブな結果を招くとしばしば記されている(ジャムの味の数を独立変数として変えていき、人々の購買意欲がどのように変化するかという実験はもう心理学という学問を表す代表格と言ってもいいだろう)。

酷いものになるとエーリッヒ・フロムが述べていた世界(ナチスの政権時に見られた自身の自由を絶大な権力者に自ら差し出し権力者に導いてもらおうとする行動。サディストとマゾヒストの関係。)になる事もあるのである。近代以前は自由を得るために戦っていたのに、いざ手に入れると放棄する道を選ぶのは皮肉なものである。


私も将来の目標は仕事などに縛られず自由に自分自身がしたい事をするというのを掲げている。しかし、同時に休みの日を過ごす度にこう思うのだ。

たとえ仕事を辞めて自由に過ごしていけたとしても本当の幸せを感じるとることはできないのではないだろうか

正直自分は板挟みにあっているのだ。仕事を辞めても大丈夫ぐらいの財を築いた後に自分のしたい事をしたいと思うと同時に、その願望が叶えられた後果たして本当に幸せに暮らしていけるのか。


さて散々自由に対してネガティブに述べてきた。しかし、そもそもそれが自由を手に入れる代わりに支払われる代償ではなかろうか。

私が思うに、自由の代償は”めんどくささ”にあると思っている。

例えば選挙を例に挙げるとわかる。日本人の選挙の投票率が年々下がっているが、その要因の一つとしてこの面倒くささが挙げられるのではなかろうか?”各候補者の政策をいちいち読み比べるのがめんどくさい。誰に投票しても同じだ”。では、”その面倒くさいのを解消して、今度選挙をなくしましょう!貴方たちは何も考えずに我々に任しとけばもう大丈夫です!。”そう言われたらどうするだろうか。「そんなもの独裁政治だ!」と反発するかもしれない(政治家は喋りが上手いのでもしかしたら納得してしまうかもしれない)。しかし、我々は行動でそう事を体現しているのである。投票へ行かないという行為によって。

選挙に限らず仕事でもそうだ。我々がもし一から儲ける仕組みを作るとなると様々な苦難や面倒くささに直面する。だから大部分の人たちはそれを避けて、不自由で嫌々ながらも勤めている会社が築き上げてきたシステムに乗っかって働いている(決して貶しているわけではないので悪しからず)。

何が言いたいかというと、このように自由になるということはめんどくささも引き受けるのだというのを我々は理解しないといけない。


話がだいぶずれてしまった(というか本題というものがこの日記にはいつも通りない)。


私も自由になる事に対してまだ覚悟や理解が出来ていないのだろう。日記に毎回のように仕事が嫌だ書いているが、それは自由になることで面倒くさい事を引き受ける事を回避している行為なのだと自分はまだその事を本当の意味で理解していない。


あ〜自由に生きるって大変な道のりだ〜〜。



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