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ヤマザキマリさんの「猫がいれば、そこが我が家」を読んで

猫好きが乗じて、たまたま書店で目に止まった、ヤマザキマリさんの「猫がいれば、そこが我が家」を購入してみました。

ヤマザキマリさんといえば、「テルマエロマエ」で有名な漫画家さんというイメージが強いですが、作家としても何冊も著書を発表されていて、この「猫がいれば、そこが我が家」はヤマザキマリさんの自伝的著書となっている。


ヤマザキマリさんは子供の頃から、虫や動物など常に生き物と関わって生きてきており、その中で特に猫とのエピソードが強いようだ。
また、若くしてイタリアへ単身留学されたり、その後もポルトガルやシリア、アメリカなど海外を転々とされた経験もあるため、日本人離れした考え方の持ち主であることがわかる。(現在の旦那さんはイタリア人とのこと。)

どの国でも常に猫と一緒の暮らしをし、もちろん猫との別れも経験されている。
わたしもいま、猫を4匹飼っているが、まだ飼い始めてから約4年半くらいしか経っていないので、幸い愛猫との別れを経験していない。
この本を読んで、愛猫との別れの辛さがなんとなく分かるような気がして、いつの日か必ずくる別れの時をどのような感情で迎えるのか考えてしまう。


ある意味この本は動物や虫たちを通して、ヤマザキマリさんの死生観が描かれている。特に印象に残っているのが、

多摩川沿いを散歩しながら太陽の日を浴びていると、それだけで「死ぬのはわかっているけど生まれてきてよかった」と感じることは多々ある。道端に生えている草木や、小さな虫たちを見ていても、いつかは命の終わりを迎えるが、死が前提であっても生きているからこそこうした瞬間に立ち会えたのだ、と思うとシンプルかつ穏やかな喜びに包まれる。

猫がいれば、そこが我が家より

虫や動物や人間だって、生まれてきた瞬間に死に向かっていくのだけれども、ヤマザキマリさんのこの本を読んで、どのような生き方をして死を迎えるのか、大したことのない日々の生活の中でも喜びというものがあるのではないか、と感じずにはいられなかった。


猫という生き物はとても自由な動物だと思う。著書の中でもヤマザキマリさんは、猫たちの自由奔放さに翻弄されながらも、常に一緒に生きているが、猫は私たち人間にとっての先生なのである。
わたしも猫たちと暮らして約4年半、こちらがどんなに忙しくても、どんなに気分が落ち込んでいても、彼らはいつも自由に撫でてほしいだとか、遊んでほしいとか構わずアピールしてくる。
まるでそんなに焦らないで、僕らの相手をしてくれればいいんだからと言わんばかりだ。

だけど、それがわたしたちにとっての息抜きだったり、幸せだったりするから不思議。
そんなに生き急がなくていいと言っているようだ。ほんと、猫は生きる先生だと思う。


本に戻ると、ヤマザキマリさんの色々な国での生活も描かれていておもしろい。
シリアの首都ダマスカスでの生活では、まだシリア内戦の前の時代で、皆幸せに暮らしている中で、猫は人間社会とうまく歩調を合わせながら生きているように見えた(ヤマザキマリさん)とあり、人間が幸せだと猫も幸せ説が描かれている。

またイタリアでは「マンミズモ」という、俗に言うマザコンのイタリア人旦那に対してのヤマザキマリさんの奮闘ぶりや、イタリア人の動物に対する接し方なども書かれている。

この本は、ヤマザキマリさんの経験されたことや猫とのエピソードから、生きるとは何か、とか死に対しての考え方など、興味深い内容となっているので、ぜひ皆さんも一度、読んでみていただきたいです。

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