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1月28日(日)の日記

昨日の夜は1時過ぎまで『光のとこにいてね』を読んでしまった。めずらしく1日で読み切った。


互いに家庭に問題を抱えた2人の少女が出会って大人の都合で引き離され、また出会ってまた引き離され、ついに自分たちが大人になって再会を果たしたときに事件が起こる……というお話。
少女たちが互いに抱いている感情はどう見ても普通の恋愛感情だと思う。互いにうまく伝えられないのは、2人が同性同士というのもあるけど、それ以上に育ちの違いや家族に歪められた性格のせいではないか。
わたしはそう思うんだけど、やたらに「この関係は友情でも恋愛でもない」「名前のない尊い関係」というようなレビューばかり目にしてちょっと白ける。普通の恋にさせてあげてよ。たとえばこの2人が男女だったらそう思うんじゃない?
多くの人にとってこの物語をきらりと光らせているのが「少女同士のプラトニックな恋愛感情」なのだとしたら残念に思う。尊重する・大事にするのと、やたらに持ち上げる・ありがたがるのは全然ちがう。

文章やシーンの演出はハッとするほど美しくて、きっと映像にしても絵になる。けど、文字で読んで自分の頭の中だけにひっそりと上映されるカットを噛み締めたい。


起きてから部屋じゅうを掃除して、お風呂もトイレも久しぶりにピカピカ。やる気、もどってきた?

お昼を夫と外で食べて、ドーナツを買って帰る。コーヒーを淹れて、夫はゲーム、わたしはまた読書。こんな休日がずっと続いたらいいと思う反面、なぜかいつもタイムリミットがある気がしている。それは子どもを作らねばという強迫観念なのか、いつか本にもゲームにも没頭できなくなるだろうという不安なのか、世界がこのまま続かないかもしれないという妄想なのかはわからないけど。

『青年のための読書クラブ』の2章を読む。コミカルな1章から飛躍して、ずしっと重い。なんだこの本は。

それからすばる文学賞受賞作の『がらんどう』も読む。


中年オタク女性のルームシェア、推しのデキ婚、マッチングアプリでマルチ勧誘、会社の飲み会になじめない……どこか、というか主にTwitterで毎日のように見聞きしていて、もはや自分の体験談なんじゃないかと思うほどに「ありふれた」キーワードが並ぶんだけど、そこに投入された「3Dプリンター」の存在感よ。主人公が隠している〇〇〇〇の虚しさよ。そしてタイトルとラストシーンのリンクの美しさよ。

純文学の短編の型みたいなのがあるとしたら100点だと思う。わたしはこんな風にぴっちり美しい小説がだいすき。2作目もすごく楽しみ。

なんか今日はすごく読める日。嬉しい。

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