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どうかこの瞬間だけにはあなたの日常を持ち込まないでください

ショックなことがあった。
前にnoteにも書いたけど、私は過去に事故的に子宮外妊娠したことがあって、先日その子の10年目の命日となる日が訪れた。前日からお墓参り行くのすごく緊張してて、その子になんて声をかけようとか、10年ってすごい時間だなぁと感慨深くなったりとか、元彼に鉢合わせしたら(10代のときの事故だったけど未だ忘れないでいてくれてて勝手にお墓参りしてくれてる)何を話そうとか、いろいろ考えてて。悲しくて、たいせつな日だから。

ありがたいことに「もう結婚したのだから家族のことだからついていくよ」と夫が言ってくれたのでその日、花と線香買って、お供物を買って、いっしょにお寺に行った。子宮外妊娠したとき私は10代で、訳もわからずに緊急手術されて、事故だったとしても私のお腹の中にいた子を生かせなかったことで生まれた罪悪感もあったり、親泣かせて、学生で結婚もしていなかったから当時は十分に弔うことも責任をとることもできずそれも後悔してて、結局元彼とも別れてしまい……などと一言では語りきれないくらい複雑な感情を今持っていて、そんな私を今の夫はすべて受け入れてくれると結婚した訳なんだけど。

その日、節目の墓参りという場に、“ふつうの日常”を持ち込んできた夫を見て、あぁこの人は私をまるごと受け入れると言ってくれたけど、私の張り詰めたこの悲しい気持ちも、この複雑な罪悪感も、結局は私が自分自身で抱えて生きていくしかないんだなと直感的に思った。

お寺の住職にお願いして線香に火をつけてもらうのだけど、そのときに夫はテイクアウトのコーヒーを飲んだ。小鳥が鳴いてるのを聞いてそれを声真似した。些細だし、ぜんぜん悪いことじゃない。普通だったら気にならないかも。でも、だけど、「どうかこの瞬間だけにはあなたの日常を持ち込まないでください」と思った。日常は意識次第で変わるのだから、私を想う気持ちがあるのなら、どうかできる範囲で寄り添ってくださいと思った。

命日の今日、私の頭の中にはシガー・ロスの曲がずっと流れてるのに夫の頭にはヴルフペックのごきげんなBGMが流れているみたいな、その温度差が辛くて泣いた。

結婚しても、愛し合っても、血を分けた家族だったとしても、どんなにまいにちいっしょにいても、温度差は埋まらないんだということを思い知る。近くにいればいるほど、その絶望は裏切られたみたいに感じて辛い。夫も、私も誰も悪くないのだけど。今後長く生きるにつれて、こういう絶望をたくさん経験すると思うと、むだに長生きしたくないなって思う。絶望するたびまた立ち上がればいいとは思うけど、結局誰といっしょに生きるのを選んだって、精神的にはずっとひとり。

僕のヒーローアカデミアでオールマイトが「きれいごと?上等だ!」って言うセリフがあったけど、わたしは綺麗事は好きになれない。

命日とは違った感情でその日は泣いた。けど自分の身体が線香くさくて安心する。とりあえず10年目の節目の命日には墓参りに行けたんだ。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!