蕎麦と、長い時間と、諦めと、

散歩していてふと気づいたのです。
蕎麦屋さんがなくなっていたのです。

この町に住んで25年、常連でもなく、ほんの数度入っただけだけど
前を通るとたまに、出汁とかえしのいい香りがした店。
とてもやさしそうな、おじいさんとおばあさん二人でやっている、
東京なら、どの町にもあるまあ普通の蕎麦屋でした。

普通の町場の蕎麦屋だからさして特長はありません。
しかし、普通の蕎麦屋だからこそ、通りすがりの人が、
ちょっと立ち寄って蕎麦をたぐる。そういう使い方のできる店でした。

一、二年前でしょうか。
その店にとって、ちょっとした大きな事件を目撃したのです。

このお店では、出前はおじいさんがカブでやっていました。
昔は、蕎麦屋は出前をするのが当たり前。
というか売り上げの大きな割合を占めているものでした。
しかし時代が進み、出前を取らない家が多くなり、
ウーバーやら何やら、新しい業態の出前が主になり、
今では蕎麦屋で出前をやっているのは一部の昔からの店で、
出前はやらず、夜は酒や今風のつまみを出す店が主流になりました。

その日、私が店の前を通ったとき、
おじいさんは出前した器を数件回収し店に戻ってきた所でした。
その横を通りすぎ1ブロックくらい歩いた時、
「ガシャ~~~ン」という大きな音でふり返ると、
カブに積んでいた10個を越える丼がぜんぶ落ちて割れていたのです。

「あーーーーぁ」
おじいさんの声は、たくさんの丼が割れたわりにはとても小さな声でした。

若い頃なら、「ちきしょ-」とか「あーーやっちゃった」とか、
行き場のない怒りが交じったセリフを、周辺に聞こえる程の声で叫び、
その顛末を終いにしたのでしょうが、おじいさんのその小さな声は、
まさに「諦め」の呟きのようでした。

そして店から出てきたおばあさんと片づけはじめました。
二人とも無言で、淡々と、ただ下だけを見て。

はたから見れば、ほほえましい風景だったかもしれません。
ドラマなら「もう少し助け合って頑張ろうね」的な
希望ある未来を啓示するシーンになったかもしれません。
でも私には、何かの儀式に見えたのです。

寄る年波を感じたかもしれない。
「限界が来たかもしれない」と脳裏に刻んだかもしれない。
「仕舞い」のひと言を話す日は近いと悟ったかもしれない。
ずっと一緒に頑張ってきた夫婦だからこそ、
無言の中でいろんな思いを交換しあう、
エンドへと向かう儀式の一場面のようだったのです。

それから一年か二年たったのでしょうか、
短い閉店の報告と御礼の言葉がシャッターに貼られ、店は仕舞いました。

町の商店街をちょっと外れたところに、一軒の蕎麦屋がありました。
どこにでもある普通の蕎麦屋。
いつからやっていたのか、もう分からなくなったけれど、
これまでたくさんの人の空腹を満たし、笑顔にしてきたお店でした。

「おつかれさまでした」
もう開かないシャッターは、そんな私の声も通しません。
でも閉まっていても、店からあふれ出る、とてもいい雰囲気の佇まいが、
「よい仕舞い」だったと教えてくれています。


長々と書きましたが、すべて私の勝手な思いです。
間違いが多々あるでしょうが、お許しください。


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