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#181 「あーサッカー辞めようかな。」(角昂志郎/3年)

みなさん、こんにちは。
体育専門学群3年の角昂志郎です。

今回のブログでは自分が経験したことについて書かせていただきます。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


私は周りから見たら、いわゆるエリートなのかもしれない。
自分ではそう思わないが、簡単に21年間を振り返ってみようと思う。
・小学生の時に国際大会で優勝し、世界一を経験。
・中学生から高校生にかけて世代別日本代表の常連。
アジア予選では全試合に出場し、優勝。
出場機会にはあまり恵まれなかったが、U-17ワールドカップも経験した。
・高校3年ではFC東京U-18で10番を背負い、冬の全国大会で2位。
・トップ昇格はできなかったものの名門であるこの筑波大学にAC入試で入学。
・入学前に手術をしたため少し遅れてのスタートとなったが、復帰してからはほぼ全ての試合でスタメン。
・大学2年では全日本大学選抜に選出され、日韓戦にもスタメンで出場。
・大学3年にはU-22日本代表としてアジア競技大会に出場し、念願のゴール。
確かにこれまでの経歴を見たらエリートと言われるのも納得できなくもない気がする。

しかしそんな私が

3年の秋、U-22日本代表の活動を終え
筑波での活動を再開して数週間したとき

「あーサッカー辞めようかな。」

徐々にそう思うようになった。
日々の練習に身が入らず、グランドに行くことも気が進まなかった。
好きなサッカーを楽しめなくなっていた。むしろ、嫌いに。

これまで落ち込むことはあっても、サッカーをやめようとまでは思わなかった。

そんな時、ふと代表から帰ってきてすぐに小井土さんとこんな会話をしたのを思い出した。
「代表から帰ってきてコンディションを崩した先輩がいる。お前も少し休んだらどうだ?」
その提案に私は即答で、「明日から普通にやります。やらせてください。」と答えた。
一秒でも早くサッカーをして、アジア競技大会での悔しい気持ちを晴らしたかったから当然のことだった。

そんな会話を振り返りながら「あー、素直に休むべきだったのかな。」と後悔していた。

しかし、そんなやる気のあった俺がなぜサッカーを嫌いにまでなっているのか。

・代表活動で燃え尽きてしまったから
・思うように試合に出れないという悔しい想いから立ち直れなかったから
・筑波での生活に刺激を感じなかったから

どんなに考えても明確な理由はわからなかった。
というか、わかりたくなかったのかもしれない。そんな自分が情けなく思えてしまうから。
身近な人に悩みを打ち明け、弱音を吐いたこともあった。
何をすればやる気が出るのか、何をすればまたサッカーを楽しめるのか。

こんな悩みを抱えながら約3週間が経ち
今度こそ小井土さんに「休ませてください」と言おうとしていた。

しかし、そんな時

いつも近くにいる人の言葉ですべてが変わった。


「昂志郎に憧れている人がいる。応援している人がいる。その人たちのためにも頑張れ。」


この言葉で消えかけていた”筑波の10番として憧れられる存在になりたい”という小さな炎が、一瞬にして蒼炎となった。
心の奥底にあった想いが、ひしひしと燃えあがってきた。


振り返れば、10番をつけるにはそれなりの覚悟が必要だった。
まだ3年ということもあり、なおさら。
「伝統」「責任」「期待」すべてが大きすぎるこの筑波大学蹴球部の10番はとても荷が重い。
プレーに直接的な影響はないが、10番をつけることで自分の中の”何か”が変わる。
それは高校(FC東京U-18)3年生で、人生で初めて10番をつけたときにどこかで実感していた。だから自分自身に大きすぎるプレッシャーがかかるとしても、それを乗り越えてもう一つ大きく成長したかった。

新しい気持ちで臨んだホームでの東京国際大学戦。
みんなのおかげで自分のゴールが決勝点となり、悲願の関東リーグ優勝。
ちょっとは憧れられる存在になれたような気がする。

そして関東リーグ優勝を手にした今、残すはインカレ優勝のみ。
筑波の10番としてチームを勝たせ、優勝へ導く。
そして
支えてくれている人、応援してくれている人、そして4年生に恩返しがしたい。

ぜひ共に頂を獲りましょう。

筑波大学蹴球部への応援、よろしくお願いします。


筑波大学蹴球部

体育専門学群3年

角 昂志郎

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