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命題解読のヒント◆岩下志麻主演「はなれ瞽女おりん」

はいどもー、20年寝太郎そしてアドルフ・ヒトラーの生まれ変わりこと、悪意表出ソムリエ夙谷稀で御座います。

◆前説◆

大槻ケンヂ氏noteタイムラインのコメント欄から読者のかたを引っ剥がす行為は礼儀として無作法にあたるのだと承知してますけど、しかし大槻さんが埋められないんでは?と思われる話題があるっぽいので、僕が自分で責任を持つためにも1本記事にしとくかーって思い立ちました。
つまり今回の記事は、サブカルコンテンツ大好きな大槻氏ファンの方向けに、私信めいた題材を選択しておりmuscleよ。

ホントは大槻さんがサブカルコンテンツ解説の有料記事を発信なさるのが正解に近いのだろうと、僕は思います。
大槻さんファンの皆さんが最も読みたいのは、大槻さんの視座や思考と、その現れである大槻さんの言葉なんですからねぇ。

――という様な事含め、補足的なヒントは幾つか投げて置きますんで、その先は皆さん各々で考えて下さいネ。

◇映画◇はなれ瞽女おりん◇篠田正浩監督作◇

今回は映画「はなれ瞽女おりん」についてですよ。
そんなら、筋少ファンじゃなくても読みたい邦画ファンの方がいるでしょうよw
つーか、これは以前からちょっとずつ書き貯めている題材なのでw

◆本題◆

◇はなれ瞽女おりん鑑賞と深掘りの要点◇箇条書き

・冒頭の字幕
まず、はなれ瞽女おりんが芸術祭参加作品であることをおさえて下さい。
しかし、これは別に品行方正な清貧映画ではありません、【ふしだら不道徳に生きる風来坊や人殺しでも、ひとときの幸福は得られる】という自己救済を描いた作品です。
人倫的に不道徳な作品でも、門前払いを受ける事なく公の芸術祭に参加出来ると云う事は、国側も国民に対して品行方正な清貧を求めてはおらんっつーことなのです。
国側のこの意思表示は、冒頭の字幕から真っ先に読み取りましょう。
篠田正浩監督の意図するところは、初めっから提示してある、と云うことでもあります。
映画の字幕やスタッフロールには、意外な事実ベース情報が提示してあるんですねえ。

・序盤、焔のあがる街を背に立ち去る鶴川
物証か何かを消して逃げたと思われます、鶴川(原田芳雄)は後暗い過去を隠蔽しているのでしょうか。
きな臭いうえ説明もなく、観ていてモヤる場面です。
モヤッた事は終劇まで覚えて置きましょう。
しかし、序盤からカッ飛ばす作品ですね (;・∀・)

・鶴川がおりんを抱いてやらない理由
盲目の恋は猛烈な依怙贔屓を招き、あばたもえくぼに錯覚させ、長考のための思考回路や判断力を鈍らせます。
恋愛感情の脳内麻薬は4年間しか分泌されないため、激情に任せて抱き合っていれば、彼らは4年後に別れる事になります。
その相場を鶴川は経験則で知っていたのでしょう、親より大切な相手となったおりん(岩下志麻)との付き合いを、短期間で済ませたくなかったのでしょう。
4年目よりも先の光景を一緒に過ごしたかった。
だから鶴川はおりんをなかなか抱いてやらんのです。
いっときの心地よさで、自分の判断力を曇らせたくなかったのですね。
鶴川は、流されるだけの生き路を避けたくなったんです。
それが、長年の同行者を認めた時の、責任感ある決心なのでしょう。

・鶴川が薬売りを刺し殺す動機
薬売り別所が自分の尊厳を踏みにじったと思ったため、刺し殺したのだと推測されます。
おりん本人にとって性交くらい大した事ではないんですけど、おりんを家族よりも大切な存在とする鶴川は、誠実であろうとする自分の内心まで踏み躙られたのだと受け止めました。
でないと、殺す決心をすぐ固めるほど逆上しないです。
これは、所有欲や独占欲を拗らせたためではないのでしょう。
誠実(honestly)はヒトのあり方として徳が高く、他者のそれを蔑ろにする行為は、即ち内心の尊厳を踏みにじる事にしかなりません。
胡散臭い香具師業界に身を置いていれば、内なる純粋は得がたくいっそう貴重なものと、鶴川も思い知っているのでしょう。

・鶴川終盤の懺悔
後悔を残さず死んで行けって事です、つまり、この最後の面会は彼らの終活に於ける最重要点なのです。
誠実に対峙したい相手が居るのなら、それ相応に接していないと、気が引けて苦しいのでしょうよ。
偽名の脱走兵鶴川は、おりんに嘘をついた状態のままで、この世に置き去る自分の欺瞞が許し難くなったんですね。
本当は、嘘偽りなく正直に共生したかったんでしょう。
誰もが願う【後悔なき去り方】を、重々しい神聖さで提示した名シーンです。

・信頼関係(ラポール)の形成
鶴川の母親はいわゆるプリン女でした。そのためか、鶴川は幼少期より家族との信頼関係を築けていませんでしたが、その代わり、誰しもまっさらな清潔品行方正でない事を体感で知っていて、多少の汚れを持つ事は容認できている様です。
更には、同じ村の権力者親子の身代わりとして偽名で出兵していたため、他者の欲得に踏み抜かれた嘘塗れの生き路をあゆむ羽目になり、そのためか過去を隠匿しつつ、何処へも定住せず逃亡し続けていました。
周囲の悪意に流されるまま流浪のおたずねものとして終えるかと思いきや、責任を持たねばなるまいと決心する同行者(おりん)との出会いがあり、鶴川の内には微量の誠実さが生じます。
相手に対して誠実であろうとする姿勢は、おりんと信頼関係を築き、末長く一緒に居たいからこそ、生じた訳です。

・改心の瞬間/鶴川の改心とは内面の再始動

鶴川「おりん、そのままにしてろ、綺麗だ、仏さまの様じゃ」
おりん「仏さまだなんて、鶴川さん大袈裟じゃ」
鶴川「嘘でねえ、正直に言ってるんだ」

鶴川にとって仏さまの様な者とは、安心して共に働く事が出来る相手、共倒れになってしまわない同士、と云うことなのでしょう。
この時の仏さまとは、今の時代によく見かける【ご遺体の呼び方バリエーション】とは全く異なります。
有り難く神々しい仏画の世界が、自然界の中へ生身を伴って現れたのと同じ事なんです。
鶴川の眼前には冷ややかで高貴な光景が広がり、静けさと多幸感を同時に得られたものと推測されます。
おりんは阿弥陀さまの嫁として瞽女の正統な責務を果たした、はずれ者であっても本来の役目(誰か他者に祝福を分け与えること)を達成した瞬間があった、そう云う意味なんですね。
泥沼の底を這いずる様な流れ者の暮らしの中から、己を律する神聖な美しい光景を心に刻んだ鶴川は、【おりんは仏さまと同じく得がたい存在なのだから、俺ももう少ししっかりせねば】と、決意を改めた模様です。
これは宗教的な改心と云うよりも、心の宝石を得て、その護りを再始動した瞬間、そんな更新のターニングポイントであったかと。

・悪人正機説
人道の路を外れた者こそ無事にながらう必要があると云う仏法の考え方ってありますね、日本では鎌倉時代に親鸞が提唱した悪人正機説のことです。
はなれ瞽女おりんの物語は丸ごと、悪人正機譚に該当します。

・おりんの見たもの

おりん「私が見たものは、あん様の心、本当のあん様のような、温けえ心で御座います」

そう、視覚に映る顔貌は、心の中味そのものではないんですよ。
心の動きは言葉でしか説明できず、息遣いからは気持ちが漏れ出ますし、心の中味は行動でしか現せられないんです。
鶴川の言動を思い返してみて下さい、おりんに対して暴言や暴力を向ける事はなく、迷惑をかけぬよう平常心で接し続けていました。
鶴川の内に唯一生じた徳の高い心根(誠実さ)、おりんの見た美しい心とは、誠実さを守り続けた鶴川の姿勢を指すのだと思われます。

・終劇後おりんに掛ける言葉があるとすれば

元いた瞽女屋敷には誰も残って居らず、おりんは故郷とされる小浜の山中で亡くなった模様です。
この映画の終え方について可哀想と思うのは自由なんですが、僕はそれしきの感想で自分をおさめることを甚だ残念に思うのです。
恐らく、彼女は答え合わせの様な事を求め、元いた瞽女屋敷(妙高)と生まれ在所(小浜)を訪れたものと思われますから。
おりんが崖から落ちる前の段階で、この様に言葉をかけて差し上げたい。

【おりんさん、貴方は死に際の鶴川をちゃんと助けたんです。貴方が瞽女として正統に働いた事を、瞽女屋敷の皆さんも喜ぶでしょう。もう充分じゃないですか。先の事を考えるためにも、今は山の中で目いっぱい嘆いたらいい、それが一頻り済んだら、気分が落ち着くまでしゃがんでて貰えないですか。阿弥陀さまの嫁としての責務は果たしたのだから、これからは貴方自身を大切にして欲しい】

◆閑話休題◆それはさておき◆
映画本編を見直してから、また加筆致しmuscle.
先日買ったwajunパソコンが届くまで一休みザンス。
すんもはん。

◆資料◆

◇YouTubeムービー「はなれ瞽女おりん」

たぶん課金制でフルに観覧できる公式の動画でしょうから、貼り付けて置きます。

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※すんもはん、後でまた加筆修正するは。見出し画像も後で自前のものを書きます。

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2021年12月05日 初版発行
考案と筆記/夙谷稀

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アテクシは一介のサブカルクソ野郎で結構で御座いますよ。