さよなら、僕の友だち

これは時折ツイッターに書き散らしている事ではあるが、オイラが自分から頼んで友人になってもらった相手というのは、この世に独りしか存在しないのだ。
だけどね、最近は人間関係についての考え方がちょっと更新されたよ。
まあ、オイラも55歳という老害だし、内側で整頓される事柄も結構ある訳だよ、脳の仕組みのタイミング的にも。
うん、それでなんだけど、相も変わらず、人さまを遠くから眺めていて、こちらで色々と思案する訳ですよ。

【この人には共通する議題があるし、オレでも部分的に伴走して行かれそうだ】

そう判断出来る相手の事を、こっそりと遠慮がちに心の中で、友人と呼ばせて貰おうと、最近のオレはその様に考えている。
その事への同意を相手に強要したりは、オレ、しないよ。
この姿勢そのものが、遠慮という態度に他ならない訳ですからネ。

――ここから引用――

気の合う友だちってたくさんいるのさ
今は気づかないだけ
街ですれ違っただけでわかる様になるよ
Wow, oh, Yeah

RCサクセション「わかってもらえるさ」より歌詞を引用させて貰いましたよ。

―――

伴走して行かれそうだと思う相手はいまや何人もいるし、遠くから部分的に関わる方がオレはやっぱり楽なんだ。
元々からそのスタイルなので、その事は別に、寂しくも何ともないし。
世の中は相も変わらずグチャグチャでどうしようもない。
それでも、55過ぎるまで生きていて、オレはよかったと思う、ちょっとだけね。
清志郎の書いた歌詞がほんの少しだけ、体感で判る様になったのだから、それで充分じゃないか。
(〃´o`) フー

―――

【注釈】
※リアルな暮らしの中に於いて、余りにも多大な迷惑を掛けて来た他力本願寄生虫の蛸壺連中なんぞは、友人や友だちのフォルダに入れてないけど、その事でいちいち文句を言って来ない様にな。
貴様らのそういう暴力団みたいな思考回路や言動が、オレから軽蔑を受ける原因なんだから、そんなのは貴様ら自身の所為ですよ?

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2020年10月6日初版発行
©️夙谷稀

アテクシは一介のサブカルクソ野郎で結構で御座いますよ。