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人は見えないものを想像する生き物だ

今日は本当に暑かった。
まだ5月だというのに、まるで夏のような陽気にちょっとぐったりしてしまいました。

外を歩いてみると、今日みたいな暑い日には多くの人がマスクを外しているのではないかと思っていたのですが、案外そうでもない。

私はというと、マスクの着用が個人の判断に委ねられてから、実はさっさと外してしまいました。

でも、マスクをしていないと、じっと見つめられているような気がする時があります。(自意識過剰かもしれませんが。)

なぜじっと見つめているのかな?
私の顔、何か他の人とは違うものがついているのだろうか?

おそらくみんなと同じものしかついていないのですが、なんだか不安になる……。

そして、多くの人がマスクをしている中で、マスクをしていないとちょっと無防備だと感じる時もあります。
その無防備さは、ウイルスに対してということではなく、顔を全て見せているということに対してです。

多くの人が自分の一部を隠しているわけで、一方、マスクをしていないと全てが見えてしまっている状態ということですよね。
それはなんだか、私の全てが明らかになってしまっている状態なのかな、と思うのです。

そんなふうに思うなら、やっぱり隠しておいた方が安心か……。

でもね。
実はマスクをしていて隠れている(隠せている)と思っていても、色々と見えているんですよね。
しかも、隠されていることで広がる想像の世界があります。

そんなことに気がついた時のことを文章に残していました。

よかったら読んでみてください。


以下の内容はWEB天狼院書店メディアグランプリで掲載されたものの再掲です。(2020年11月8日掲載)

マスクという着火剤


「マスクしているとね、みんな可愛く見えるよね」
もう20年以上通っている美容室で言われた。長年付き合っている美容師さんだ。私以外に誰もお客様はいない。遠慮のない会話だ。
 
やっぱり……。実は私もこのところずっとそう思っていた。でも、そんなことなかなか口に出して言えない。
 
「女の子、みんなアイメイクに力を入れているしね。目元をちゃんと作っていると、他が隠れているから……。うん、やっぱり可愛く見える」
 
何かを確信したかのように、再度力強く言った。
 
それって、目元以外が隠れていて、他の部分がわからないから、可愛く見えるってこと?
結構辛口だなぁと思い、私は苦笑する。
 
彼は、若い頃から美容室の外に出て、CM撮影などのメイキャップを手がけている。最近では少なくなったようだが、以前は女優さんのメイクも手がけていたようだ。そんな、メイクのプロでもあり、可愛い女性、綺麗な女性を作り上げるプロである彼が言うのだから、やっぱり、ある意味、真実なのかと思う。
毎日女性の髪に触れながら、女性の「可愛さ」とか「綺麗」ということに関して追求してきたそのセンスを私は疑いようがない。
 
でも、裏を返して言うと、マスクをしている場合、目元をちゃんと作り込んでさえいれば、みんな可愛く見えるということだ。
じゃあ、この時期、可愛く見えるようにするのは、そんな難しいことじゃないかも……。
それならみんな、一生懸命に目元のメイクをするよね。
 
「最近、マスカラ変えた? まつげ長くしているね」
そう言われて、私は恥ずかしくなった。
そう、マスクから出ている目元だけでもしっかり作って、少しでも「よく思われたい」と思っているのは私自身だったから。
「マスクしているとみんな可愛く見える」の「みんな」の中に「私」も入っているわけである。
 
「可愛く見えるか見えないか」、「綺麗に見えるか見えないか」は別としても、本当のところ「目元しか見えていない」状態でどんな風に人は印象を作るのだろう、と思う。
 
今までよく会っていた人は、マスクをしていても、そんなに印象は変わらない。おそらく、その隠された部分について、頭の中で印象を補完しているのだろう。
 
では、初めて会う人はどうなるのだろうか。
今のこのご時世、マスク姿で「初めまして」となる場合が多い。そうすると、マスクで顔の半分は隠れている。そうなれば、やはり目元の印象が一番だ。隠れている部分はもう、想像するしかない。
今まで、人の第一印象の多くは容姿、顔の表情で決まっていたと思うのだが、もはや、今は目元とその他の見える部分の印象となる。
話している時、笑っている時、口元の動きや頬の動きなど、多くはマスクの下なのである。
 
最近、電車に乗っている時、私は勝手に向かいに座っている人を見ながら、マスクの下の姿を想像してしまっている。
どんな口元をしているだろう、どんな表情をする人なのだろう……。
想像の世界はどんどん広がる。
 
先日、仕事であるメーカーの営業マンに久しぶりに会った。以前も2回ほどあっているだが、少し時間が経っているせいか、打ち合わせが決まっても、あまり顔の全体像が思い出せていなかった。
実際、顔を合わせた時、「そう、こんな感じの方だったなぁ」とは思ったものの、やはり顔の全体像はわからない。今回はマスクをしているから、目元しかわからないのだ。
 
マスク姿の目元だけ見ると、美男子系の好青年だ。
キリッとした雰囲気、そういう感じだったかな……と、以前の印象も思い出してみる。
 
タイトな印象のジャケット、すっきりとした着こなし。
カタログを開き、添えている手元を何気なく見ていた。細くて長い指、爪の長さはきれいに整えられ、清潔感のある手だった。
目元の印象とも相まって、やはり、繊細でキリッとした印象を持つ。
 
私は商品の説明を聞きながら、質問しながら、彼のマスクの下の表情を想像し、発する言葉から彼の人間性を感じとっていた。
そして、それらを組み合わせながら、彼がどんな人物であるか、私の中で作り上げていたのだ。
 
ところが、である。
お茶を飲むためにマスクを外した姿を見て、「あれ? ちょっと違う」と思ってしまった。
私がこの時間の中で想像していた「彼」とは違うのだ。
もちろん、好青年には変わりはない。だが、もっと口元は優しそうで、キリッとした美男子というよりは柔らかな雰囲気だった。
 
勝手な想像はここで終わり、一気に違うイメージが築き上げられた。


マスクをしていて、見えないところは想像するしかない。隠れていたら、より好奇心が掻き立てられる。そして、見えている部分から多くの情報を得るため、敏感にいろいろなことを察知しようとしている。
そこに飛び込む情報は、服装なのかもしれないし、髪型なのかもしれない。はたまた、ほんの指先なのかもしれない。
人はどこから判断するのかわからない。
 
だからこそ、油断してはならない。
私が営業マンの彼から感じたように、あらゆるところが「自分」を発信している。
マスクが絶対必要な世界になって、人の目が引き付けられるところが変わったのだ。
 

実は、先ほどの美容室の会話には続きがある。
美容師の彼は言った。
「若い女の子、みんな可愛いけど、みんな同じに見えるね」
今までは、はやりの服装、髪型でも、みんな表情があった。今は表情が見えない分、みんな同じに見えるというのだ。
 
より自分を表現していかないと、自分を理解してもらうのが難しい世の中になりそうだ。自分を表現することにもっと貪欲にならないといけないのかもしれない。
 
自戒を込めて言う。
目元ばかりに気をとられていてはいけない。もっともっと全身に気を使わなければならない。表現としての「自分のディテール」「発する言葉」が大切だ。
 
そして、マスクは人の想像をかきたてるアイテムだ。隠れている部分に対する好奇心をくすぐり、また、その他の見える部分から何かを読み取ろうとする気持ちにスイッチを入れる。
 
マスクをして隠せていると思ってはいけない。マスクは人の好奇心と想像力に火をつける着火剤なのだから。



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