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【観劇記】“前物”の完成とショーの進化の予感~月組大劇場公演『フリューゲル/万華鏡百景色』

私はかねてより、「宝塚の前物」ってなんと難しいんだろうと感じてきました。
なぜなら、宝塚の二本立て作品の芝居は、約90分という短い時間で70名近くの出演者を操らねばならないからです。
さらに、トップスターが固定されていて、それを中心としたスターピラミッドが最大のウリであることも、創作に制約をもたらします。トップスター、あるいはトップコンビが魅力的に映らねばならないこと。芝居の中には、人物がぶざまであればあるほど面白いものも多数ありますので、それが基本的には許されないのは大きな制約といえるでしょう。


大きな制約を乗り越えた“宝塚オリジナル芝居”の最高傑作

「これって『宝塚の前物』の最高傑作ではないか?」

月組宝塚大劇場公演『フリューゲル―君がくれた翼―』1幕の幕がおりたとき、私はそんな高揚感に震えました。

最高傑作というからには、ストーリーがおもしろい。東西冷戦に翻弄されるドイツ・ベルリンを舞台に繰り広げられる若者と家族の群像劇で、ドラマ性もエンタメ性も申し分のないものでした。

それでいて、中心スターたちはもちろん、燻銀のベテランから若手スターにいたるまで多くの出演者に役や出番が振られていました。
特に目を引いたのは、彩海せらさんと天紫珠李さん。それぞれの国家の事情に振り回されながら、強く生きようとする若者を好演。特に彩海さんは、オペラ越しに表情を見ずとも、たたずまいで心情を表現できる素晴らしい役者だと思いました。テンポの良いコメディ要素も含まれる当作において、“シリアス”の部分を担う若手2人の存在が頼もしく感じられました。
ほかにも、卒業する蓮つかささんは出番こそ多くないが物語のキーマンとして貫録を見せました。厳しい境遇に育ちながらもまっすぐで温かく、それでいて確実にステップアップしキャリアを掴んでいるニコラは、齋藤さんが思う“究極の男役”なのではないかなと推察できます。

そんなふうに、隅々まで活躍の場がありながら、物語も充実させられることの成しがたさといったら……。
近年、生徒の出番を優先するあまり物語性が希薄な作品も目につくと感じていたので、この“両立”に心が昂ったというわけです。

しかし前提として、当作の担当作家・齋藤吉正さんはそんな流れに反して、エピソードの詰め込みすぎを指摘されることの方が多い人。いつも登場人物も多く、にぎやかにひしめき合っている印象が強い作風です。

今回は、それが“チューニング”されたと思いました。
この成功はこれまでの挑戦あればこそ。少しでもたくさんの生徒たちに活躍の場を。それでいて物語に対し“神の声”的ご都合主義を発動せず、あくまで登場人物ファーストに動かし、物語をつむぎたい。
一見両立が難しい挑戦にこだわり続けた彼だからこそ、“最高傑作”にたどり着いたのだと思っています。

「反発しながら惹かれ合う」を“人物の人格と心優先”の美しい会話でつむぐ

そんな「ご都合主義ではない人物ファーストの動かし方」をどこで感じたか。
それは、月城かなとさん演じるヨナスと海乃美月さん演じるナディアが親密になっていく過程が魅力的に描かれているところでした。

主人公とヒロインが「反発しながらも惹かれあう」という筋の作品はラブ・コメティの定番ですが、90分という短い時間では、その心模様が予定調和的で乱暴に感じられるケースも多々あります。
それが当作では、多くの人物のエピソートが登場するプロットながら、実に丁寧。特に、ヨナスとナディアが国境の監視台で語らうシーンの会話は見事でした。
まず、ヨナスが母に対する想いを吐露しますが、この独白にいたる会話が自然でムーディでした。
そしてナディアは母を憎んでいるというヨナスに対し、「そんな人じゃない」と軽やかにいなします。
そして会話が「お母様、きっとあの灯りの下のどこかで暮らしているわ」とナディアが応えて終わり、議論が決着しないのも粋だと思いました。
吐露した苦しみに同調するでも解決するでもなく、やわく包んで夜の灯りに溶かすようなロマンチックな語らいで、秀逸な会話描写といえます。

ヨナスとナディアの関係を魅力的に感じた仕掛けをもう2点紹介します。1つは、2人の距離を縮めるキーワードが「お腹すいた」であることがユニークで魅力的でした。
「フリューゲル」という歌を通して距離が縮まったとき。警察隊から追われるサーシャを逃がすというミッションを共有した翌日、そしてクライマックス。何かあるたびにナディアはヨナスに「お腹すいたわ」と笑いかけます。
ナディア自身は酒好きの喫煙者という設定も相まって、食卓を囲む行為により特別感を感じるため、2人の親密性を印象づける効果的なキーワードとして印象に残り、心があたたまりました

もう1つは、警察隊からサーシャを逃がそうとするヨナスを助けたあとのナディアの姿です。
ヨナスを見送ったのち、ナディアはソファにどかっと腰かけ満面の笑みでフェードアウト……。このナディアがなんとかわいいことか!
突然のできごとへの高揚感、達成感、いろんな感情が入り混じった爽快な笑顔。自分が相手のピンチを助けたのに豪快に笑っているようすから、ヨナスに対するさわやかな好意が感じられます。

これは、男性主人公を救うヒロインの描かれ方として魅力的だと感じました。何より、こういった宝塚の娘役にしては豪快なヒロイン像を任せられたのは、齋藤さんが海乃美月さんの気品と美貌に信頼を寄せている証だと思いました。

ヘルムートの狂気を、彼の責任にしない仕掛けと誠実さ

この、前述のシーンは軽妙なピンチのエピソードというだけでなく、“追う側”のヘルムートの人間性も垣間見れる重要なシーンでした。
ナディアの部屋に押し入ったものの、彼女のプライベートな姿を見てヘルムートは慌てふためきます。
彼は行き過ぎた忠誠心からテロを起こそうとする男ですが、その素顔は紳士的な優しい男でもあるんだなと、この仕草で読み取れるわけです。
彼も制服を脱げば優しい男なのだろう、妻も子もいるかもしれない……。演じる鳳月杏さんの包容力も相まって、そんな風に想像しました。

なお、このシーンが前提にあるからこそ、ヘルムートが壁崩壊ののち自ら死を選ぶ意味も理解しやすいものとなります。ヨナスやナディアら、壁と闘った人たちの敵はヘルムートたち個人ではなく、国家という大きな力なのだと思いました。「国家」の都合が、忠義や使命に燃える優しい「個人」を踏みつけにする。ヘルムートの存在と最期から、そんなことまで考えさせられました。

その傍で、きっと“彼個人“に尊敬の念を寄せていたであろうボリスが最期を見つめるのも残酷ながら良い描写でした。こうやって、国家の罪は個人にわだかまりを遺していく……。演じた蘭尚樹さんの最後の眼差しと佇まいは圧巻でした。彼女は当作で卒業されましたが、上記のような理由から、ボリスが一番重要な役だと私は読み取っています。
役自体が餞として当て書きされたり、大団円の公演で送り出したりするのも宝塚の良さとはした上で、最後の役がボリスのような「一番の被害者であり未来のキーマン」というのは、彼女の役者としての実力と気高さを讃える、齋藤さんなりの最大のはなむけだと感じました。

いいところのない悪逆非道の悪役もまた魅力的ですが、以上のような理由から、当作におけるヘルムートはそうではないと読み取りました。
ヘルムートを“単なる物語上の悪役コマ”として動かさず、1人の男の人生を感じさせる描写に徹底した点は齋藤さんの作風の魅力ですし、それによってこの世界の対立を“人と人”の分断として描かないということも成し遂げられていた点も、当作が傑作たるゆえんだといえます。

出演者固定のスター制度だからこそ、うまい当て書きで無限に拡がっていけるはず

冒頭、「宝塚の前物は難しい!」といいました。
ですが、当作がこれだけ完成度の高い作品に仕上がったのは、逆説的に宝塚だからこそだとも思っています。

先に述べた、鳳月さん自身の包容力が補完するヘルムートの人物像。ナディアは宝塚のヒロインにしては豪快だが、海乃さんが持つ、銀幕の女優を思わせる上品な美貌のおかげでまったく下品に映りません
また、ヨナスを演じる月城かなとさんは華やかな容姿を持ちながら、美貌で矛盾をねじふせる、「ただしイケメンに限る」的な人物よりも、地に足の着いた男を魅力的に演じられる貴重なトップスターです。しぐさ、歩き方、声の発し方……、彼女が美しい容姿に注目が集まりすぎるからこそ、コツコツと磨いてきた芝居と所作の気品が光る役どころだったと思います。

そして、何よりそれを、座付き作家である齋藤さんがよく理解しています。
他の配役も然りで、齋藤さんは座付き作家の中でも特に、そういった生徒の核心に迫った当て書きがうまい作家だと思うんです。
なお、私はそれを「ファンが思う当て書き」とか、ファンが見たいものとは少し違うと思っています。それが面白い!

その解像度の高さが当作の完成度を支える要因で、だからこそ「宝塚ならではの名作」だと感じました。宝塚随一だし、宝塚でしかできない傑作。
私は当作を「最高傑作だ」と感じたが、それは今後も更新されていく可能性があり、当作の成功はそのヒントでもあるはずです。そんな希望に満ちた90分でした。

音楽的課題は多くも、歪に熱く燃える好感度の高い意欲作 

続く後物は『万華鏡百景色』。
江戸・東京を舞台に輪廻の物語で紡がれるショーで、栗田優香さんの大劇場デビュー作でした。

ひとふしの物語的な全体の世界観はさておき、各場面から栗田の故郷・東京への慕情や描きたい世界観がひしひしと伝わってくる熱を帯びた作品だと感じました。
正直いって、過去に担当された作品は「うまくまとめられている」と感じるばかりで、ともするとサラッと表面的(Wikipedia的とたとえたりするのですが、私は)にすら見えてしまったので、こんなに情熱的な方だと思いもしませんでした。

いびつでごろごろとした肌触りにとても見応えを感じ、栗田さんの中でさらなるクリエイティビティの炎が燃え上がることに、大きな期待を抱きました。

ただ、音楽的にはかなり課題を感じました。1つは、歌詞やタイトルで選曲をしすぎているため、音楽性がちぐはぐに感じてしまった点。
「目抜通り」はこのショーの着想を得た〝裏主題歌〟なのかなと推察されるので良いとして、「満員電車」という歌詞のある「Tokyo Randez-Vous」をはじめ、「サファリ・ナイト」や「Down Town」など、都会や街、喧騒といったキーワードにこだわって選曲したことがうかがえます。
その手法自体は否定しないんですが、結果、全体を通してフィット感がなく、良いグルーヴを感じなかったために、こだわりが「固執」に感じられてしまいました。場面が時代ごとに区切られて変わっていくのであれば、音楽的なグルーヴがぶつ切りであると、音楽や舞踊がメインディッシュであるはずの“ショー”としては、課題と言わざるを得ないと思います。

もう1つは、ストリート系音楽を使用した場面の質感の古さです。
とりわけ舞踊の古さは看過しがたいものがありました。バレエやジャズダンスの基準では「上手」でも、ストリートダンスの基礎的な動き――ヒットやフレズノ、腰や腕の反動を使わないアイソレーションなど、最低限抑えるべき動作の不出来が目につきました。これは出演者や振付家のせいというより、カリキュラムのせいだとは思いますが……。

これらは一昔前だと「宝塚っぽいよね」というある種個性で片づけられたことです。正直、宝塚の客層に、舞踊や音楽の洗練された質感や「今っぽさ」を求めてる人は少ないかもしれない。実際、当作に対してもその辺は気にならず、物語性や設定・描写に酔いしれている方が多いように感じました。

ですが、小中学校の授業でダンスを履修したり、TikTokなどで一般人でもダンスを披露したりするほどストリートダンスが身近な現代で、もはや「味」ですましていいものか?と強く疑問に思うのです。

挑戦の先にしか進化はない、希望しかない“2人”のタッグ

いくら不得意で、多くが「そんなことどうでもいい」と思う客層だからといって、宝塚のショーはクラッシックやオールドジャズなど旧時代の音楽だけで構成すべきとは思いません。
これらの課題を「そんなこと」と無視するのは、現代音楽やストリートカルチャーの軽視。問題だと思います。

だから、不出来は否めないけれども、情熱をもってチャレンジしてつくりあげたことそのものには大きな喝采と両手いっぱいの敬意を送りたいと思っています。

奇しくも前物を担当した齋藤さんは“宝塚ロック”に挑戦し続け、前作の『JAGUAR BEAT』でそれを完成させた人です。
内なる想いを燃やし、固定観念にとらわれない栗田さんなら、宝塚のショーをさらに素敵に進化させてくれるかもしれない。いや、きっとしてくれる!そんな大きな期待を感じる意欲作でした。

宝塚の前物の完成と、次代を彩る宝塚ショーの進化と。
それぞれこれからの希望を感じる、骨太かつ前途明るい、素晴らしい二本立てだったと思います。

齋藤さんと栗田さんの次回作にも期待!
栗田さんという新しい“推し”も増えて、「座付き作家推し」としては大変満足です。

★★★2023年3月・書籍を上梓しました★★★

宝塚の座付き作家を推す!   スターを支える立役者たち 七島 周子(著)
四六判  280ページ 並製
定価 2000円+税
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787274533/

ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
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