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神様に応援してもらうための古事記の豆知識

日本人のルーツ古事記を知ろう!

神社巡りをするならば、日本の神話や神様のことを知っていた方が楽しめますし、具体的なお願いごとがあるのなら、その道のプロの神様にお願いしたいものです。しかも、わざわざ『この神社は○○○○が祀られています』と書かれているのに、ん?それは誰だ?っていうのは、ちょっと失礼ですよね?

そこで、古事記に登場する神様のお話など書いてみたいと思います。まずは古事記の時代背景から。

日本の歴史が現実味を帯びてくるのは、第33代推古天皇(在位592-628年)を中心とする飛鳥時代からといわれています。この時代に、昭和世代には"聖徳太子"としておなじみの厩戸皇子(うまやどのみこ・うまやどのおうじ)
が摂政となり、国家の基盤作りをしました。

さらに、645年の大化の改新、672年の壬申の乱を経て律令制度が整備され、710年の平城京遷都によって、天皇を中心とする中央集権国家が確立しました。中央集権国家といっても、政府が支配していたのは近畿地方を中心とした地域で、九州の熊襲や東国の蝦夷は支配下ではありません。

そんな中、「古事記」と「日本書紀」が編纂されました。

古事記と日本書紀の成り立ち

日本の神様について知るために重要なのが、古事記と日本書紀です。もちろん全部を読む必要はありませんが概要を知っておくと、神様のことが理解できて神様も喜んでくださると思います!

「古事記」は第40代天武天皇(在位673-686年)の命令によって、稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた神話や伝説を、太安万侶(おおのやすまろ)が筆録したもので、712年に完成しました。

上・中・下巻からなり、上巻の「神代の巻」は、天地創造から神話の神々にまつわる話が書かれており、中・下巻の「人代の巻」には、初代神武天皇から推古天皇までの天皇の系譜やできごとなどが記されています。

「日本書紀」は天武天皇の10年(682年)詔勅が下され、720年に太安万侶らによって完成をみました。全30巻からなり、第1巻と第2巻は「神代の巻」第3巻以降は神武天皇から第41代持統天皇(在位690-697年)までのことがらが年代順に書かれています。

ここで注目したいのは、古事記も日本書紀も”天皇の命令によって”編纂されたということです。

ですから記紀編纂の目的は、中央集権国家の基盤を固めるために、日本人のアイデンティティを確認するとともに、確固たる国の歴史を確立することにありました。ということで、記紀の神話には、【政治的な意図】が多く見られます。

つまり、自分達=大和朝廷の系譜が、皇祖神(こうそしん・天皇家の祖先神)である『天照大御神』から正しく続いているという【大和朝廷の正当性】を主張することが最大の目的でした。

そのために、政府の思惑によって"脚色"されているのですが、今上天皇(きんじょうてんのう)は、初代神武天皇から現在まで脈々と続いて、第126代天皇ということになっていますので、私達はその歴史の延長上にいるということには間違いないのです。

日本の神話

日本神話とは、以下の3つをミックスしたものです。

1古事記(712年)
2日本書紀(720年)
3各地の風土記

*古事記と日本書紀を合わせて『記紀』と呼びます。(よく書き取りの
 試験に出ましたよね…)

古事記も日本書紀も最初の方は神様の話が書かれていて、途中から天皇の話になります。それぞれの特徴をまとめてみますと…

1古事記
古事記は大和言葉(漢字)で書かれています。大和言葉は、音に漢字を当てはめているので、写本のたびに解釈が加わり字が変わっていきました。なので、神様の名前も色々な表記があります。

古墳時代、仏教が伝来した時に、日本文化が廃れそうになったので記録として留めるために日本人向けに書かれました。時代が変わると読めなくなっていて実は古事記は忘れられていたのですが、江戸時代の国学者・本居宣長が『古事記伝』を著し翻訳したため、現代でも読めるようになりました。

2日本書紀
日本歴史学会が正史と認めています。外国向けに書かれた"広報新聞"のような役割で漢文で書かれています。

天皇の話を中心に描かれていて、古事記の6番目の神様が日本書紀の1番目の神様になります。

3風土記(ふどき)
地方の歴史や文化を記した地方誌。古伝説や民話も入っています。713年に元明天皇が風土記の編纂命令を出して編纂させたもの。

約60カ国分あったのですが、写本として現存するのは常陸・播磨・出雲・肥前・豊後の5つです。このうち『出雲国風土記』がほぼ完本として残っています。

古事記の世界観

古事記の「神代の巻」は、

「天地(あめつち)初めて発けしとき、高天原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」

と、はじまります。つまり、最初に天地があって神が出現する。西洋思想のように「神が天地を作る」のではないのです。最初からあるということは、始めがないということ。始めがないということは、終わりもないということ。いのちは滅びない。

そして、私達の命は神様からの分霊(わけみたま)ですから、神様は私たちの中に存在しているはずです。山にも海にも物にも、全ての物に神は宿っています。なのにもし「神が見えない」としたら、自分の中の神が曇っていて見えないということです。だから、祓うのです。実は古事記は祓いの物語なのです。

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