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瀬戸忍者捕物帳 2-3

「はあ・・・はあ・・・くそっ・・・なんでこんな事に・・・」

虎吉はいつも山菜を摘みに来ている裏山まで全足力で逃げてきた。木々が青々と茂り、良質な山菜が取れるこの山は、虎吉にとっては忙しい日々にも落ち着ける、お気に入りの場所でもある。

虎吉はいつも休憩に使っている切り株の上に腰かけた。するとその時突然、

「さあて何でしょうね?」

と、人気のない山で、突然の人声が、しかもかなり近くで聞こえた。

虎吉は声におどろき、上を見上げた。

すると太い木の上には驚くべき事に、先ほど中村屋の屋敷にいたはずの岡っ引き・皐が枝に腰かけているではないか。

「お前!な、何だ!どうやって・・・さっきまで屋敷に・・・俺は全力で走って来たのに。」

ゼエゼエと息を切らす虎吉とは対照的に、皐は全く息切れもせず、さらに店の串団子をむしゃむしゃとおいしそうに味わう余裕ぶりだ。

「簡単な事だよ。君が僕よりノロマだからだ。」

「何だと!?」

皐はわざとからかうように言い、枝から飛び降りて虎吉の傍に着地した。

「ところで・・・店の人たちは、みんなして君が当然のように犯人として決めつけてるようだけど、何でかな?」

皐は疑問を虎吉にぶつけた。

「し・・・知らねえよ!」と不自然に目をそらした虎吉だが、何も心当たりがない者がこういった反応を示すのはおかしい。皐はすぐに見破った。

「君は実直そうだし・・・んー、僕の個人的人相分析では・・・君は比較的ネクラだけど、そこまで人を殺めるような奴には見えないんだよね〜。」

「ね・・・ネクラだと!?」

カッとなり皐の胸ぐらを掴む虎吉。

「あっ、あとかなり短気ね。」

「テメエ!」

皐の挑発により頭に血が上った虎吉だが、皐は不意に人差し指を虎吉のハチマキに向けた。

「そのハチマキ・・・取ってくれますか?」

「な、何で・・・」

「うーん、僕の予想が当たっていれは、そのおでこに理由があると思うんだよね。取ってくれますか?」

皐の要求をしばらく渋っていた虎吉だが、やがて両手を皐の襟から話すと、ハチマキを解いてみせた。

「やっぱりね。」

皐が見たのは虎吉の額に大きく入れられた黒い入れ墨であった。しかもその入れ墨は漢字の「犬」という字に見える。

「黥刑(げいけい)・・・つまり入れ墨刑だね。」

入れ墨刑とは軽犯罪を犯した者に見せしめのために処される刑罰の一種である。初犯の時は額に「一」の文字が入れられ、二回目は一画追加して「ナ」の文字に、三回目は「大」、四回目は「犬」という風に段階を追って入れ墨を追加され、五回目の犯罪時には処刑を言い渡される。

「つまり君は今まで四回も罪を犯してたってことになる。道理でみんなが真っ先に疑うわけだ。」

皐は串団子の最後の粒を頬張り言った。

だが虎吉は「違う。そうじゃねえ。」と否定した。虎吉は深くため息をつき、切り株に再び腰を下ろした。

「いや、違わねえか・・・。実際にはもっと多くの罪を犯してきた。俺は物心ついたころから盗賊団の一員として育てられた。俺はまだ世が治まる前に生まれた戦争孤児さ。つい最近・・・一年ほど前までは盗賊の一員として犯罪に手を染めてた。だが俺は本当は・・・嫌だったんだ。盗賊から足を洗って・・・真っ当な生活をしたかった。俺はそのことを親分に言った。それで出された条件が・・・」

「額に入れ墨刑と同じ模様を彫ることだったのか。」

「そうだ。でもそれでもいいと思った。このまま犯罪に加担させられるよりかは・・・。だが現実はそう甘くない。この入れ墨のせいで俺を雇おうとしてくれる人なんていなかった。百軒以上回ってもう諦めかけたとき、中村屋の旦那様が雇ってくれるって言ってくれたんだ!」

そういった瞬間の虎吉の潤んだ目は純粋な少年のように輝いた。

「俺は・・・あれほど嬉しかったことは他にねえ!だから俺はその恩に報いるため・・・必死で誰よりもよく働いた!労働は過酷だけど・・・ここは俺にとっちゃ理想の場所なんだ!答えてくれ!やっと居場所を手に入れた俺が・・・それをむざむざ台無しにするような犯行をすると思うか!?」

虎吉は皐の襟元を掴み、純粋でまっすぐな眼をサツキに向けた。二人はお互い目をしばらく見つめあった。ざわざわと風が巻き起こり、木々が揺れる。

「・・・さあ・・・どうだろうね。少なくとも今はまだ君が犯人かどうか分からない。」

その皐の言葉にだらんと脱力してしまった虎吉はがくりと膝を落とした。

「もういい・・・どうせ逃げられないんだ。俺の言うことは誰も信じてくれねえし。次に捕まれば死刑確定だ。もう俺の人生終わった。さっさと俺を捕まえろよ。」

「とんだ腰抜けだね君は。」

ニッコリと笑い皐が言った。

「何だと?」

「さっき僕が言ったことは・・・今はまだ君が無罪なのかも、真犯人が他にいるのかも、調べてみないとわからない。だが君が無実だと言い張るなら、それを証明すればいい。ただ諦めて・・・戦いもせず逃げるのはただの臆病者だ。」

「ただの岡っ引き風情が何が分かる!?」

「あっはっは!額に”犬”って字を入れられて、本当に身も心も犬畜生みたく、すさんじゃったんだね!あ〜かわいそう!」

「テメエ!」

皐の言葉に虎吉は顔を真っ赤にして怒った。虎吉は拳に力を込め皐に殴り掛かった。皐はいつものようにひらりと躱すが、虎吉は猛獣のように連続で鋭いパンチを繰り出してくる。皐は躱しながら虎吉に優れた格闘のセンスを感じた。おそらく盗賊時代に鍛え上げられたスキルなのであろう。先ほどは喜七と呉八に暴行を受け、連れてこられたということであったが、この男がその気になれば喜七・呉八など二人掛かりであろうと相手にならないであろう。無抵抗のままやられて屋敷に連れてこられたのだ。

「うおおお!」という咆哮と共に繰り出される虎吉の正拳突きを、皐は左手でさばき、代わりに右ひじを虎吉のみぞおちにめり込ませた。相手の勢いを利用しているので、皐はそこまで力を入れる必要もなく相手に大ダメージを与えることができた。

強烈なエルボーをくらった虎吉はその場でうずくまり、しばらく動けなかった。

「お・・・おまえ・・・何・・・者だ?・・・ゲホッゲホッ!・・・この動き・・・只者じゃない・・・」

「君こそ、なかなかいい格闘センスだ。」

「う・・・うるさい!」

「分かるよ。」

「・・・何が?」

「君の気持ち。僕も同心殺しの疑いがかけられているからね。」

「えっ?」

「ふふ、僕も一応無実を証明するために戦っているんだよ。」

「・・・どういうことだ?」

「僕のことはいいからさ。とにかく話を昨日の聞かせてよ。遺体の状態から判断するに、殺人は昨日の夜当たりだろう。昨日君は夜何をしていたの?」

皐の問いかけに、一旦冷静になった虎吉は昨日の晩のことを語り始めた。

一方すべての事情を聴取した茜は中村屋の屋敷の中庭で考え事をしていた。

「なるほど・・・入れ墨刑か・・・みんなが虎吉君を疑うのは納得できる。でもどうにもあたしには・・・彼が人を殺せるような子には見えなかったんだけど・・。」

と茜が悩んでいると、皐がひょっこりと中庭の木の陰から顔を出した。裏口からこっそりと中庭に入って来たらしい。

「茜さん茜さん、虎吉君をつれてきましたよ。どうですか、そっちの様子は?」

皐の後ろには戸惑った表情の虎吉が控えている。

「虎吉くんは昨日の晩、仕事が終わった後はいつもどおり部屋で寝ていたそうです。彼の部屋は通常は先輩の喜七さん、呉八さんと三人で寝泊まりしているようです。ところが昨日、夜中に物音がしたんで目を覚まし、目を開けると横にいるはずの先輩たちはいなかった。不思議に思ったが厠に行ったのだろうと思って特に気にせずまた眠りに就いたそうです。そして今朝になって自分の使う杵が一本なくなっていることに気づき、喜七さん達に尋ねたそうですが、二人とも知らないと言ったそうです。」

皐は虎吉から聞いた話を茜に話した。

「おかしいわね・・・喜七から聞いた話ではまったく逆だったわ。二人が寝ていると、虎吉が夜な夜な起き出して部屋を出て行ったと。」茜は説明した。

「嘘だ!俺はあの夜ずっと部屋にいた!」と声を荒げる虎吉。

「うーん・・・まったく逆ですねえ。何で話が食い違うんでしょうか・・・」

「どちらかが嘘をついているということね。」

「これは・・・忍び甲斐がありそうですねえ。」

「何?何か言った?」

「いえ何も。」

「それともう一つ分かった事があるわ。番頭の頭の傷をよく見てみたんだけど・・・現場の杵の形と一致しないの。」

「どういうことですか?」

「傷口は何か角のあるもの・・・例えば柱の角にぶつかったとか、そういうときにできるような傷だった。」

「だけど現場にあった血の着いた杵は角を取ってあるタイプのものだった・・・もしもその杵で殴ったとしたら、傷口はまるく窪みますものね。」

皐はあごに手を置いて少し考えたあと、ふと笑いをこぼした。

「ふふ、こうなると喜七さん呉八さんの二人がかなり怪しいと思いませんか?」

「まあたしかに・・・虎吉が嘘をついてないとするなら、あの二人が嘘をついてることになるわね・・・」

「俺は嘘をついてねえ!第一、もしも俺が犯人とするなら、なぜ現場に犯人が俺だと示す杵をわざわざ自分で残すんだ!?」と虎吉は言う。

「確かに・・・となればもう一度あの二人に詰め寄るしかないわね。」茜は再び屋敷に戻ろうとしたが、

「ちょっと待ってください。」と皐は止めた。

「もしもですよ、あの二人が共謀して虎吉くんを陥れようとしているのなら、必ず二人は口裏を合わせ、ボロを出さないかもしれません。」

「待ってくれよ!何で・・・あの二人が俺を陥れようといているんだ?」虎吉は不思議がった。

「それはまだ分からないわ。あの二人との仲はどうだったの?」

「仲って・・・別に・・・大して会話しねえし、かといって恨まれるようなこともしてないし・・・」

「あっはっは!君はネクラだもんね、友達いるタイプには見えないよ!」と虎吉を馬鹿にする皐。

「何だとテメエ!!コラア!!」

とまた激昂した虎吉だが、茜が間に入って止めた。

「それじゃあ何か二人が罪を認める方法はあるの、皐?」と茜は皐の方を向いた。

「僕に考えがあります!」

「考え?」

「はい!虎吉君をしょっ引きましょう!」

「ほうほう・・・って・・・ええっ!?」

意外な皐の発言に茜は驚いた。

「テメエ!やっぱり俺を捕まえる気だったのか?」

「あんた!どういうことか説明して!」

と迫りくる二人に皐は己の策を説明し始めた。


「皆さんご協力ありがとうございました。無事下手人をお縄につけることができました。」

虎吉は後ろ手に縄をかけられ、中島屋の玄関の外まで再び連れてこられた。

店先には惣衛門を始め、お菊、お欄などの女中、喜七、呉八などの男衆などもずらりと集まっていた。

「虎吉。番頭・兵助の殺人容疑で連行するわ!」

茜はよく通るハリのある声で告げた。

それを見ていた店のもの達は、それぞれヒソヒソと小声で話しながら、腫れ物を見るような目で虎吉の方に目をやる。真犯人を突き止めるための芝居とはいえ、虎吉にとってその冷たい視線が何よりも辛かった。この一年近くもの間、自分を目にかけてくれた、惣衛門や兵助の恩義に報いるため、自分は朝から晩まで身を粉にしてこの店のために、そしてみんなのために働いてきたつもりだった。しかしどんなに真面目に働こうと、この額の惨めな入れ墨がある限り、自分は一生腫れ物扱いされて生きていかねばならないんだと絶望した。

そんな虎吉に涙を浮かべた惣衛門の娘・菫が近寄り声をかけた。

「虎吉っちゃん・・・嘘だよね・・・?虎吉っちゃんは人を殺めるような子じゃないよね・・・ねえ嘘だと言って!?」

暗い顔をしている虎吉に菫の父・惣衛門は近づき、その強く大きな目でしばらく虎吉の目を見据えた。

「虎吉・・・本当にお前がやったのか?」

虎吉は答えず、地に目線を落とす。

「テメエがやったのかと聞いてんだ!?」

惣衛門は虎吉の襟元を掴み、感情をむき出しにした。

「そ・・・惣衛門さん、後はあたし達に任せて・・・とりあえず落ち着いて!」と茜は惣衛門をなだめたが、惣衛門の怒りは収まらなかった。

「俺はテメエを信じて雇ったんだ!額にある入れ墨なんて関係ねえ!あの時お前は必死な目で雇って下さいと、何度も頭を下げた!俺はお前の目を見て、こいつは信頼できる、そう思ったからこそテメエをウチで働かせた!その俺の気持ちを裏切りやがって!」

惣衛門は右手に力を込め、思い切り虎吉の頬を殴った。惣衛門の力は凄まじく、虎吉は後方に5mほど吹き飛んでしまった。

「あ〜痛そうですねえ。」と呑気にいう皐を尻目に、茜は惣衛門と虎吉の間に入り、必死で止めた。

「早くそいつをしょっ引いてくれ、もう顔も見たくねえ!」

と惣衛門は皆を店内に入れさせた。

茜は殴られて倒れたまま深く消沈している虎吉にかける言葉も見つからなかった。

その傍で相変わらず「随分派手に吹っ飛びましたね〜」とヘラヘラしている皐を見て腹が立ってきた。

「ちょっと皐、こっちに来なさい!」と皐の腕を掴んで虎吉 に話が聞こえないように距離を置いた。

「あんた、本当に大丈夫なんでしょうね!?」と皐に念を押した。

「大丈夫ですよ〜」と全く説得力のない笑顔で皐は答えた。

「真剣に答えなさい!」と頭にきた茜は皐のヘラヘラ顔の両頬を力一杯つねった。

「いだだだだ!僕は真面目ですよー!」

「真犯人を捕まえてあげないと、きっとあの子・・・立ち直れないわよ!?分かってる!?」

茜は困っている人を放って置けないタチなのだ。このときの茜の懸命に訴えかけるような純粋な瞳を吸い込まれるように見つめた皐は「ちゅっちゅしたいですねえ。」と言いかけたが、殴られそうなのでやめた。

「大丈夫です、卑劣な犯罪を許せないのは僕も同じです。信じてください。」

基本ヘラヘラしているこの男がたまに見せる真剣な表情は妙にどっしりとした貫禄があり、その表情のギャップに思わずドキリとしてしまう茜なのであった。

「さっき店先にいたみんなの表情を観察していました。明らかに喜七、呉八の表情が引きつっていました。そう、まるで何か後ろめたいことでもあるように。さ!ここからは僕の仕事です。茜さんは虎吉君を連れてどこかで待機していてください。茜さん、こういう時は一発!同心として虎吉君を励ます元気ののでる言葉をかけてあげるのがいいんじゃないでしょうか?」

「ええ!?元気の出る言葉!?」

「はい!元気のない人を勇気付けるのも同心のお仕事です!」

「同心でもないあんたに何がわかるのよ!」

「まあまあ!」と皐は茜を促した。

元気が出るフレーズ、元気が出るフレーズ・・・と虎吉に近づきながら頭をフル回転させた。そして恥じらいを捨て、意を決して出てきたフレーズを虎吉に向かって言った。

「虎吉くん!人生、アップ・アンド・ダウン!色々あるさ!負けずに進め!レッツ・レディ・ゴーー!!」

茜は意味不明なことを、滑稽な身振り手振りを交えて言ったが、虎吉は無反応。周りにいる町人達もポカーンと茜のダサい決めポーズを不思議そうに見つめていた。茜は急に恥ずかしくなり、一気に顔が真っ赤になってしまった。

振り返ると皐が両手で口を押さえ、肩をピクピクしながら笑いをこらえているのを見て少し殺意が湧いた。

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