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瀬戸忍者捕物帳 2-4

日が暮れてきた。

茜と別れた皐は忍装束に身を包み、中村屋の裏口の方へ回った。中村屋の屋敷は皐月の背丈よりも少し高い塀に囲まれているが、この程度の壁は皐にとっては何の意味もなさない。

あっという間に傍の木に登り、そこからひょいと塀の上に飛び移った。

「さてと、喜七さんと呉八さんの部屋は・・・と。」

中村屋の庭はそれほど広くないがよく手入れをされている。皐は庭の中心あたりにある井戸のそばで女達が何か作業しているのが見えた。食器を洗っているのか、それとも衣類でも洗濯でもしているのだろうか。皐は彼女達に見つからないように、ささっと屋敷の方へ向かったが、軒先のところへ着くや否や、目の前の閉められている障子越しに人影が映った。

「まずい!」と皐は焦った。

その人影は障子を勢いよく開けた。

「ちょっとあんた達!いつまでやってんの?こっち手伝ってくれる?」

障子を開けたのはベテラン女中・お菊だった。だが、皐の姿はお菊の目には入らなかった。皐はとっさに壁を登り、庇のところに身を隠したのだった。細い木を両手でそれぞれ掴み、足は壁から出っぱった柱のわずかなスペースにほぼつま先だけ乗っかっているような状態だ。

「今行きまーす!」と女達が返事をした後、ピシャリと障子は閉められた。

ほっと息を漏らし、静かに着地した皐はそのまま屋敷の二階のほうへ急いだ。まだ店の者は仕事の後かたずけをしているころだから、二階にはほとんど人はいなかったが、たまに暗い廊下を蠟燭をともして歩いてくる女中がいたときは、皐は蜘蛛のように天井に張り付いてやり過ごした。

こうして誰にも気づかれずに喜七・呉八・虎吉の共同部屋に忍び込んで、喜七・呉八が戻ってくるのを待った。

それからしばらくして喜七・呉八の二人が戻ってきた。

皐は天井裏に忍び込んで二人の様子を伺った。部屋は四畳半プラス押入れ程度の広さしかなく、三人が寝泊まりするにはやや狭い。

二人は神妙な面持ちで部屋の中心で向き合って座り、言葉を交わし始めた。

「なあ喜七のあんちゃん・・・本当にこれで良かったのかなあ・・・?」と呉八は不安そうな顔を喜七に向けた。

「仕方ねえさ。虎が捕まったことで丸く収まったんだからさ・・・。もうこの事は忘れようぜ。」

天井裏で話を聞いている皐は、「やっぱり真犯人はこの人たちだったのか。」と思った。

「でもさ、やっぱりちょっと虎が不憫すぎるんじゃ・・・」

「まあな、でもしょうがねえよ。忘れろ。」

「でも・・・虎吉は間違いなく首刎ねられるよ?」

「うるせえな!呉八!もうこの件は終わったんだ!虎吉が番頭さんを殺した。それでいいじゃねえか!もうごちゃごちゃ言っても仕方ねえんだよ!」

喜七は呉八の胸倉を掴んで一喝した。喜七の勢いに押された呉八は口をつぐみ、会話が強制的に終了された。

「・・・あれは・・・俺たちのせいじゃない。昨日起きたことは・・・仕方なかったんだ。虎吉には・・・悪いが・・・虎吉に全部押し付けるしかなかったんだ!俺たちは秘密を守んなきゃならねえ!」

話を聞いていた皐は確信を持てた。虎吉はやはり犯人ではなかった、と。

「・・・さあ・・・明日も早いんだ・・・。さっさと寝るぞ。」

と喜七が布団を出すために襖に近づいたところで、

「もう少しその話を聞かせてもらえませんかね~?」

天井の木の板を一枚はずし、そこから顔をのぞかせた皐が陽気に声をかけた。

二人は取り乱した。まずい話を聞かれたと思い、二人の額からは一気に汗が噴き出してきた。

天井から飛び降り、二人の間に着地した皐は話をつづけた。

「虎吉くんが捕まったことで本音がぽろっと出ちゃいましたね~。さあ、話の続きを聞かせていただきましょうか?やはりあなた方が番頭・平助さんを殺したんですか?」

二人の顔が凍り付いた。

「お前はさっきの・・・岡っ引き・・・なんで・・・」

気の弱い呉八はチラチラと喜七の顔を伺っている。二人は曇った表情のまま硬直してしまった。

「何も喋らないんですか?」

皐は喜七の前に一歩出て圧力をかけた。笑ってはいたが皐の目はギラリと喜七を睨みつけていた。

「さっきまでいろいろ喋ってたのに。喜七さん、どうですか?あなたが殺したんですか?」

皐はまた一歩喜七の前に進んだが、喜七はその圧力に負けてたまらず皐に殴り掛かった。

「うおおーーー!!」と叫びながら拳を突き出したが、皐はひらりといとも簡単によけ、代わりに腰帯に差していた十手を素早く抜き、その柄を喜七のみぞおちにお見舞いした。喜七はうめき声と共にうずくまり、息ができなくなってしまった。そのあまりにも戦いなれた体の裁きに、呉八はこの忍者姿の岡っ引きには勝てないだろうと悟った。

「あまり暴力は好まないんですがね~。あなたも試してみます?」

言葉とは裏腹に、皐の目はギラつく挑発的な光を呉八に向けて放っていた。

「僕は本当のことが知りたいんです。あなた達がやったことは平助さんの人生を奪っただけでなく、虎吉くんの人生をも台無しにしてしまうかもしれないんですよ?」

今度は呉八に向かって一歩一歩と歩み、圧力をかけていく。呉八はプレッシャーに負け膝をガクンと落とし、床にへたり込んでしまった。

すると後ろから、「俺たちは殺してねえ・・・」と苦しそうな喜七の声が聞こえてきた。

「やれやれ、この状況でまだ認めないんですか?」と皐はため息をついた。

「あなた達は昨日の夜に共謀し、何かしらの凶器で平助さんを殴り殺し、虎吉くんのいつも使っている杵に血をつけ平助さんの部屋に置き偽装工作し、額の入れ墨によってもっとも疑われやすい虎吉くんにすべての罪を押し付けた。状況から考えるにこんなところですかね?なぜそんな事をしたんです?平助さんに恨みがあったんですか?」

「違う!」と喜七は皐の尋問にまた否定する。「俺たちは平助さんを殺してねえ!」

喜七の迫真に迫った表情はなぜか説得力があり、皐は不思議に思った。

「あんちゃん・・・もう無理だよ・・・もう俺は嘘はつけねえよ。」

と呉八は弱音を漏らした。

「呉八!余計なことを言うんじゃねえ!」喜七は呉八を制したが、呉八はぶんぶんと首を振った。そんな憔悴しきった呉八のもとに片膝をついた皐は、

「何があったのか、正直に話してくれますか?」と優しく言葉をかけた。

しばらくの沈黙の後、呉八は口を開いた。

「俺たちは、本当に平助さんを殺してないんだ。」

「えっ?」

呉八から出てきた言葉に皐は混乱した。自分の勘は間違っていたのか?

「じゃあ・・・だれが・・・?一体昨日の夜何があったんですか・・・!?」

皐の疑問に呉八はゆっくりと話しを始めた。

「あれは・・・事故だったんだ。」

二人の話す内容に皐は驚きを隠せなかった。


夜深くみんなが寝静まった頃、中村屋の中庭にある井戸のそばで、一つの人影があった。

その人物は井戸の水を使い、木製の桶の中でしきりに布を洗っている。時々人目を気にし、きょろきょろと挙動不審に周りを確認しながら。

その様子を屋敷の屋根の上から見ていた皐はその人物に声をかけた。

「いくら水で洗っても、血はなかなか落ちませんよねえ?」

その言葉に飛び上がるように驚いた人物は桶をひっくり返してしまった。

「話はすべて喜七さん・呉八さんから伺いました。まさか・・・平助さんを殺したのがあなただったとは・・・お菊さん。」

皐は屋根から飛び降り、井戸のそばで腰を抜かしている人物の正体を確認した。

それは紛れもなく、中村屋で働くベテラン女中・お菊であった。

「あ・・・あんたは・・・?あの女同心の岡っ引き・・・?その姿は・・・」

お菊は皐の忍者装束と腰帯に刺さっている十手を見てピンときた。近頃噂になっている忍者同心・・・同心の真似事をして下手人を捕まえているという凄腕の人物だ。

「まさか・・・あんたが忍者同心?あ・・・あたしが・・・番頭さんを殺しただって?何を根拠に・・・」

「証拠は今必死で洗っているその手ぬぐいですよ。」

皐が水にぬれた赤黒いシミの付いた手ぬぐいを指さすと、女はさっと手ぬぐいを拾い上げて、それを隠すように後ろに振り返った。

「喜七さん達はもう罪を認めました。あなたももう逃げられませんよ。」

と皐が諭すとお菊はしばらく考え込んだが、やがて真実を語り始めた。

「殺すつもりはなかった・・・。あれは事故だったんだ・・・。」

昨日の夜、お菊は厠から戻ってくるときに裏の玄関で番頭の平助が外から帰ってくるのを目撃した。平助はその日、友人と近くの飲み屋で酒を飲んでいたらしく、ひどく酔っ払っていたという。足元もおぼつかない様子の平助を、お菊は仕方なく介抱しようと平助を支えたが、その時に酔っぱらった平助にしつこく性的なことを迫られたのだという。平助は未婚であったのだが、お菊は平助のことは特段好きではなかった。むしろ性的関係を迫られたときにひどく嫌悪感を覚えてしまった。そこでお菊は平助を突き飛ばした。酔っぱらった平助はふらふらと後ろに倒れてしまい、そのとき餅つきに使う石臼の角に頭をぶつけてしまったのだという。お菊は慌てて平助の体を揺さぶったが、しばらくして平助は全く動かなくなってしまったのだという。

「殺すつもりなんて微塵もなかった・・・。だがさらに悪いことにその様子を、喜七に見られちまったのさ。」とお菊は続ける。

寝ぼけ眼で厠に用を足しに来た喜七は頭から血を流す平助とお菊の姿に、眠気など吹き飛んでしまうほど驚いた。

「お菊さん・・・これは・・・一体・・・?」と喜七はお菊に尋ねた。

この非常事態にお菊の頭は妙に冷静だった。必死に頭を働かせ策を練った。

「あたしはすぐに案を思いついたよ。虎吉の所為にすればいいってね。」

額にある入れ墨のせいで、皆は疑いなく虎吉の犯行だと疑うだろう。

それからお菊は喜七に迫り、計画に協力するように求めた。

「そんな・・・虎吉を嵌めようっていうんですか?」と喜七は最初は反対していたが、

「あんた・・・あたしはあんたらが入った頃からいろいろ面倒を見てやったんだ。その恩を忘れたのかい?あんたがクビになるほど大きな失敗をしたとき、取り繕ってあげたのは誰だか忘れたのかい?」

と迫れば喜七はすぐに計画に加担することに同意したという。それに喜七は虎吉について良い印象を持っていなかった。虎吉は喜七・呉八の後にこの店に入ってきたが、彼らは虎吉のことを煙たく思っていたのだ。というのも虎吉の勤務態度はバカがつくほど真面目で、誰よりも早起きで、誰よりもよく働いた。その様子を見ていた店の主人・惣衛門はことあるごとに「虎吉を見習え!」と事あるごとにいうのである。先輩であるのに面子をつぶされることを快く思わなかったということも、喜七を計画に加担させた大きな要因ともいえる。

喜七は寝ている虎吉を起こさないように呉八の肩をゆすり静かに起こし、計画に加担させた。(もっとも、この時の虎吉は目を覚ましてしまい、二人が部屋から出ていくのを目撃してしまうのだが。) 呉八はもともと気弱な性格で兄貴分の喜七のいうことにはすぐに従ってしまう。こうして三人は協力して隠ぺい工作を始めた。

まず、喜七・呉八は協力して玄関にあった平助の遺体を平助の部屋まで、物音を立てないように細心の注意を払って運んだ。その間にお菊は持っていた手ぬぐいで石臼についた血をきれいに拭きあげた。次にお菊は裏の玄関にいつも置いてある木製の杵から、虎吉が使っている杵を持ち出し平助の部屋へと急いだ。お菊が平助の部屋へと到着すると、すでに喜七・呉八の二人は平助の遺体をうつ伏せに倒していた。そこへお菊は遺体の傍らに杵を置き、先ほど血を拭いた手ぬぐいを使って、杵に血をべっとりとつけたのであった。

「いいかい!?このことは誰にも口外するんじゃないよ!私たち三人の秘密だ。明日は何気ない素振りでいつも通りに過ごすんだ。」お菊は二人に念を押した。

これが今回の事件の顛末だった。

「これは事件だったんだ・・・だから・・・お願い・・・見逃してくれないかい?」

お菊は地面に伏したまま弱々しく皐に訴えかけた。そんなお菊に皐は近づき片膝をついた。

「お菊さん、あなたのやったことは決して許されることではない。今回の事件も隠ぺいなんかせず正直に話していれば情状酌量の余地もあったはず・・・そしてあなたは二人の青年を事件に共謀させ、さらにもう一人無実の者が打ち首に処されるところだったんですよ?事の深刻さを分かってますか?」

皐の口調は静かだったが、強い怒りが込められていた。

「分かってるさ・・・あたしはとんでもないことをしてしまった・・・」

お菊は目を潤ませ、皐に訴えかけた。片手をゆっくりと差しだしマスクをしている皐の頬にそっと触れた。お菊は美しい女性であったが、愁眉がより一層この女を魅力を引き立てた。

「ねえ・・・あたし・・・怖かったのよ・・・今回だけ・・・見逃して・・・あたし・・・なんでもするから・・・」

と今度は自分の胸元に手を遣り、襟を少し開いて見せた。この女は今度は色気を持ちかけてきた。

「はあ・・・あなたはちゅっちゅにも値しない哀れな女性ですねえ・・・。」と皐はため息をついた。

「えっ・・・?」と聞き返すお菊に、

「くだらない演技はやめろ。」と皐は強い言葉をお菊にぶつけた。

「あなたは恐ろしい女性だ。あなたは常に自分がどうやれば助かるか、それだけした考えていない。あの時・・・虎吉くんを茜さんが縄にかけた時、僕はみんなの表情を伺ってました。喜七さんと呉八さんには後ろめたさが感じられ、だからこそ僕は彼ら犯人だと疑い、あなたの表情には特段怪しさが感じられなかった。だからこそ恐ろしい。あなたは人ひとり殺しても・・・仲間一人に無実の罪を着せようと・・・罪の意識すら感じず、いつも通りにふるまえる。あなたにとって人とは道具程度にしか思ってないのでしょう?違いますか?そう言えば・・・僕たちが現場に到着したとき、真っ先に犯人は虎吉くんだ、と誘導したのあなたでしたね?」

皐の言葉を聞くお菊の表情が次第に曇ってきた。

「そして今も・・・こうして僕に色仕掛けをし、自分が逃れる方法を探っている・・・。僕は女の子が大好きですが、あなたのような女性は正直虫唾がはしりますねえ。」

すると女は突然奇声を発した。

「くそおおおお!!!」

お菊は地面の砂を握り、皐に向かってぶつけた。

「ぶわっ!いだだだ!!」

手で防いだものの、砂の粒が両目に入り視界が遮られた。女はその隙に立ち上がり、中庭を抜けて逃走を図った。

「やれやれ、本当に往生際の悪い人だ。僕から逃げられるとでも・・・おや?」

視界が回復してきた時、皐はお菊が逃げていく裏門の方向に、オレンジ色の光が見えた。よく見るとそれは提灯を持った同心の茜であった。

「茜さーん!その女が犯人です!捕まえてくださーい!」

犯人が予想していた人物と違ったので、一瞬茜は戸惑ったが、すぐに戦闘モードの顔つきになった。お菊は皐には勝てそうもないが、女である茜には勝てるかもしれないと踏んで、迷わず茜に飛びかかった。

だがこの女の運も尽きた。

茜は提灯を放り投げると、襲ってきた女の手と着物の襟をつかみ、背負い投げを披露した。あまりに気持ちよく技が決まり、石畳に体を打ち付けられたお菊はそのまま気絶してしまった。

「ひゅー!茜さん、かっこいいー!」

と口笛を鳴らして喜んだ皐だったが、茜の頭の上にはクエッションマークが五つほど浮かんだままだ。

「ちょっと、どういうことよ!?犯人は喜七・呉八じゃなかったの!?」

よくよく聞けば茜は皐が戻ってくるのがあまりにも遅かったため、様子を見に来たというのだ。あまりにもいいタイミングで現れた茜を労いつつも、皐はいままでのいきさつを説明した。

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