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未来の虚像

「病気になるかもしれない」

「老後のためにお金を貯めたい」

「一人で死にたくない」

そんな発言が周りで増えてきた。
呼応するかのように、焦る自分がいる。
ほんの少し前までは、考えたことすら無かったのに。


いつからだろう。
漠然とした不安を感じるようになったのは。

いつからだろう。
未来を考えるのが怖くなったのは。


手がかりは、周りの環境にあった。

結婚して家族を築いてく友人
家族を支えるために必死に働く上司
定年を迎えて余生を過ごす両親
終わりが訪れる祖父母や知人

そんな光景から、自分の未来が透けて視えるようになったのだ。
10年後、20年後、そして最期の瞬間まで。


果たして、それは本当の未来なのか?

もちろん、似たような人生を送るかもしれない。
家族を作ったり、長生きするのにはお金がかかる。
身体は徐々に衰えていくし、終わりも必ず来る。

でも、それら事象への向き合い方は決まっていない。
同じような辛い状況にいても、
受動的に困難に耐えるだけの人もいれば、
楽しさを見出してイキイキしている人もいる。

向き合い方が変われば人生は変わる。
そしてその決定権は自分にある。


視えていた未来に、実体はなかった。

それは、自らが作り出した虚像なのかもしれない。
人生への向き合い方を決めることを恐れて。

そんな虚像に囚われると、”今”の行動も制限される。

そして、そんな毎日を繰り返していく内に
虚像は実体化してしまう。

”今”が積み重なって、本当の未来になるのだから。


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