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奇妙な現象

「今年は~な年でした」
「新年は~な1年にしたい」
大晦日から正月にかけて、こんな言葉がよく目に入る。

それらを見たときに、ふと思った。

「何で、同じ時間に、少なくない人が同じような行動をするのだろう?」
「それぞれの人に流れている時間は違うはずなのに」


出てきた答えは「わかりやすいから」だった。

人は何かを測るために数字と単位(=基準)を発明した。
長さ、重さ、個数、金額、

「時間」もこれに当てはまる。
太陽の見える位置が1周するまでを「1日」
季節が1周するまでを「1年」とした。
結果、流れている時を測ることができた。

ただ、これらは区切りに過ぎない。

人の一生で考えると、流れている時は、どの瞬間を切り取っても
平等に1度しかないもので、それぞれの瞬間の意味は人によって変わる。
「年」の切り替わりやその前後の瞬間が他よりも特別なわけでは無い。
しかし、区切りは他の瞬間より単純でわかりやすい。
だから、「生まれた瞬間も、過ごしてきた時も違う人々が、同じ期間に同じような行動を取る」という奇妙な現象が生まれる。

人が長い一生を送るうえで、区切りはとても便利なものだ。
コミュニケーションは円滑になるし、長い一生にもリズムが生まれる。


しかし、このリズム通りに一生が終わるわけでは無い。

死は突然やってくる。
「XX歳になったら死ぬ」、「生まれてXX日後に死ぬ」
などと決まってはいない。
そんな風に考えると、年や日の切り替わりは他の瞬間とさして変わらないように思える。

1年の締めくくりや抱負をする人を否定しているわけでは無い。
むしろ、それらの瞬間を大切にしているその行動を尊く思う。

ただ、他の全ての瞬間も等しく特別なものであるはずだ。
そのことを忘れずに、残りの瞬間瞬間を過ごしていきたい。

「2022年をどんな1年にしようか」考え始めた矢先にこんな考えが浮かび、自身への戒めも兼ねて筆を執った。


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