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織り込まれ済み

先日、地上と駅の地下改札をつなぐエレベータを待っていると、もう一人自分と同じくらいの年齢の男性が後ろに来た。エレベータが到着して自分が先に乗り込むと、当然後からその男性も乗り込んでくる。彼はずっとスマートフォンの画面を夢中で見ており、エレベータの中に入るとスマートフォンから目を離さぬまま扉の方に向き直り、私に背を向けた状態で扉が閉まるのを待っていた。

何か少し違和感を感じつつも、自分は「改札階」という行き先ボタンを押したあと、「閉」ボタンを押した。そのとき、違和感の理由が分かった。その男性は、自分が何もしなくてもどうせ私が行き先ボタンと扉の閉ボタンを押し、地下改札階まで運んでくれると信じ切っているのだ。私はその違和感に明確に気がつく前にボタンを押してしまっていたため、まんまと彼の思い通りになってしまったわけだが、もし私も彼と同様にしばらくボタンを押さなかったら、彼は一体どんな反応をしたのかが気になってしまう。

文章で書くとそこまで妙な振る舞いではなく、他人の行動をある程度織り込み済みで行動することは誰もが多少なりともやっていることと思うが、私がエレベータで会ったその男性は、二人きりの空間で完全に私にボタン操作を委ねていた。エレベータに複数人が乗っていて、かつ行き先が1つしかない時にそのような行動をするのはまだ少し理解できるが、二人きりで完全に相手に操作を委ねていた彼の様子は、言葉にせずとも「お前がやれ」という私に対するメッセージとも取れてしまい、少し微妙な感情が沸き起こったのである。

もちろん、実際に彼にそのような気持ちは無かったと信じたいが、その時のシチュエーションの中で、私がそのようなメッセージを見出してしまったことは事実である。
社会生活の中で多くの他人と関わるため、他人の行動を織り込み済みで行動するのも多少は仕方がないとして、せめて相手にそれを悟られないように上手くやりたいものである。


遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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