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『恋愛』と『結婚』を水とカップで考えてみた

恋愛と結婚は似て非なるもの。

大体の人が同じように考えていると思うが、私もそう考えている。

恋愛も結婚も同じように全く別の人同士のペアで成り立つことは同じ。


結婚生活において大事なものは?

『受容』

と一言答えたお父様の言葉が忘れられない。

恋愛の延長にあるのが結婚だとは思うけれど、違ってくるのは

必要なお互いの器のピッタリ感なのかもな、

そうふと思い立って今キーボードに指を走らせている。

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価値観が違うのは当たり前、育ってきた環境も、関わってきた人たちも、聞いてきた言葉も、食べてきたものも、過ごしてきた時間も何もかも、違う。

お互い価値観が違うから、別れよう

それは当然だろう、と言いたくなる
趣味趣向が近くても、価値観はどこまでいっても大抵ズレる。

恋愛においては『今は一緒にいて楽しい』が何より重要な気がする。
さて、結婚は。。?

きっと『大変だけれども、ずっと一緒にいたいと思える』が重要な気がする

例えてみた。

あくまで私の中で具象化した、勝手なイメージだが、、

一対のペア(カップル)はそれぞれ器であり、
その存在自体は水だと考えてみた

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二人はそれぞれ、相手の器に自分という存在である『水』を入れていく
この入れ始めがまさに、『恋愛』だと思っている
受容の始まり。
器には余裕がある。溢れる心配なんかない。ただひたすらに、楽しい時間。

そこから水はどんどん、溜まっていく。
存在という『水』は限りを知らない。
ともに時間を過ごす中で相手の存在は自身の器にどんどん、溜まっていく
相手の価値観・趣味趣向・生活リズム・発言・行動・・・

ただ、器もすぐにいっぱいになるかというとそうとも限らない。
人間って面白いもので、その『器』の大きさを変えていける。

ただ、器の大きさを変えていくのにはエネルギーがいる。
今までの自分(器)ではいけないからだ。

器には限界はないけれど、大きくすることにどちらかが疲れた時、
器からは水が溢れ、言わずもがな、そのような結果になるのが人間関係、
男女の仲、というものなのだと思う。

結婚は難しいなと思う。恋愛と違って、短期的なものではないから。
長く時間を過ごしてしまう中で、つい横柄になってしまい
自分の存在がどれだけ相手の器に負荷をかけてしまっているか、
そのことに気づくのは大体水が溢れ出してから。

恋愛と違って、結婚は二つの器の存在が溢れないことで、初めて成り立つ。
短期的な恋愛(結婚以前の付き合い)は溢れていても、気合で何とかなることもあるだろうが結婚となるとそうとは言ってられず。


どちらか片方が溢れれば、もう決壊だ。

覆水盆に返らずとはまさにこのこと。

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「知る」だけで終わる価値観のすり合わせじゃない。
大事なのは

『心からの、受容』

そして最も重要なことは

相手を受け容れることに安住することじゃない。
相手が受け容れてくれている現状に何より目を向けること。
そして自分から相手の器に合うようにカタチを変えるように
受け容れること。

皆さんは隣にいる大切な人を

”受容”

できていますか?

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